人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

エルモ・ホープ・アンサンブル Elmo Hope Ensemble - サウンズ・フロム・ライカーズ・アイランド Sounds from Rikers Island (Audio Fidelity, 1963)

エルモ・ホープ - サウンズ・フロム・ライカーズ・アイランド (Audio Fidelity, 1963)

f:id:hawkrose:20200710223140j:plain
エルモ・ホープ・アンサンブル Elmo Hope Ensemble - サウンズ・フロム・ライカーズ・アイランド Sounds from Rikers Island (Audio Fidelity, 1963) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mMCkrvGIvOf9sV-OxU81bRFG_LJ2yqG50
Recorded at Rikers Island, New York, August 19, 1963
Released by Audio Fidelity Records AFLP 2119, 1963
A&R and Produced by Sidney Frey
Produced by Walt Dickerson
All compositions by Elmo Hope and Sidney Frey except as indicated

(Side 1)

A1. One for Joe - 4:34
A2. Ecstasy - 3:15
A3. Three Silver Quarters - 4:45
A4. A Night in Tunisia (Dizzy Gillespie, Frank Paparelli) - 5:57

(Side 2)

B1. Trippin - 3:19
B2. It Shouldn't Happen to a Dream (Duke Ellington, Don George, Johnny Hodges) - 4:07
B3. Kevin - 4:15
B4. Monique - 3:02
B5. Groovin' High (Dizzy Gillespie) - 2:59

[ Elmo Hope Ensemble ]

Elmo Hope - piano
Lawrence Jackson - trumpet (expect A3. B3)
Freddie Douglas - soprano and alto saxophone (expect A3. B3)
John Gilmore - tenor saxophone (expect A3. B3)
Ronnie Boykins - bass
Philly Joe Jones - drums
with
Earl Coleman - vocal (B2)
Marcelle Daniels – vocal (B5)

(Original Audio Fidelity "Sounds from Rikers Island" LP Liner Cover & Side 1 Label)

f:id:hawkrose:20200710223158j:plain
f:id:hawkrose:20200710223218j:plain

Sounds from Rikers Island

Elmo Hope Ensemble

Elmo Hope

AllMusic Ratings★★★★1/2
AllMusic User Ratings★★★★1/2
AllMusic Review by Thom Jurek
 幻のアルバムとされ、ほとんど知られていない本作をスペインのフレッシュ・サウンド・レコーズが再発売してくれたのは称賛に価するだろう。作曲家のシドニー・フレイ、ピアニストにして作曲家のエルモ・ホープ、そして演奏には参加していないがヴィブラフォン奏者ウォルト・ディッカーソンらによって企画されたこの1963年のセッションは、薬物中毒への誤解や、ライカーズ島のような場所で薬物中毒から奴隷のような境遇を強いられたミュージシャンたちの絶望的な鬱憤を吹き飛ばす記録となった。ナット・ヘンホフのライナーノーツで力説されているほどには本作は文化的、また社会的に認識を改めさせることには成功したとは言えない。しかし本作は音楽によるドキュメンタリーとしては圧倒的な成功を収めている。本作のホープは今では伝説的存在となっているミュージシャンたち、フィリー・ジョー・ジョーンズジョン・ギルモア、ロニー・ボイキンス、ローレンス・ジャクソン、フレディ・ダグラスに囲まれている。ホープとフレイは全9曲のうち、吹き抜けるようなハード・バップ曲「Ode for Joe」ではフィリー・ジョーがアレンジを飛び越えてバンドをドライヴさせることを可能にし、ゴージャスでロマンティックな「Monique」を含む6曲を作曲している。またワルツからブルースに転じる「Kevin」があり、「Trippin'」は驚くべきリズム・チェンジによって素早く転調をすり抜けていく工夫に富んだブルースになっている。セッションのハイライトは、誰もが楽しめる「A Night in Tunisia」と、マルセル・ダニエルズのヴォーカルをフィーチャーしアルバム全編を締めくくる「Groovin' High」だろう。大ヴェテランのヴォーカリスト、アール・コールマンはデューク・エリントンの曲「It Shouldn't Happen to a Dream」に参加しており、これら2曲のヴォーカル曲でも音楽的共感と即興的な相互関係のレヴェルが刺激的に迫ってくる。本作はほとんど知られていないアルバムだが、ホープとギルモアの最高の演奏が所々で聴け、フィリー・ジョーにとっても稀少かつ非常に生彩を放った演奏が聴けるため、見落とされるには惜しまれる作品だろう。

註(1)*allmusic.comの評には事実誤認が見られる時もあり、些細な取り違えは修正して訳していますが、本作のレビューはもっと抜本的な勘違いがあるので修正せず訳しました。まず本作は世界初CD化こそ2003年のスペインの復刻レーベル、フレッシュ・サウンド社ですが、LPでは日本盤とアルゼンチン盤が1977年に再発売されており、アメリカ本国でも1980年に『Hope From Rikers Island』と改題されてAudio Fidelity社を買収したレコード会社の傘下のレーベルから再発売されています。また日本盤LPでは日本センチュリーから1990年にアナログ盤限定再発されていました。レビューの記述はフレッシュ・サウンド盤CDにも復刻されたオリジナル盤のナット・ヘンホフのライナーノーツやジャケット・クレジットに基づいていますが、ヘンホフによると本作の企画はオーディオ・フィディリティー社主シドニー・フレイがウォルト・ディッカーソンと立案したそうで、ディッカーソンはプレスティッジ社との契約が満了しオーディオ・フィディリティー社に『バイブ・イン・モーション(Vibes In Motion)』を吹きこんだばかりでした。フレイの企画はジャズマンの麻薬禍が社会問題になっているからそれを題材にできないか、というものであり、おそらく映画化もされたオフ・ブロードウェイのヒット舞台劇『The Connection』の話題に便乗する発案だったと思われます。ディッカーソンは麻薬問題で度々入獄したホープをリーダーとするセッションを調整し、ニューヨークの麻薬犯更正施設のあるライカーズ島でホープと顔見知りだったジャズマンたちでホープとメンバー調整を固めました。アルバム・タイトルも「巣鴨刑務所からこんにちは」といったニュアンスです。オーディオ・フィディリティー社は1954年にフレイが設立、いち早くステレオ録音を導入した、ジャズというよりはオーディオ・マニア向けのレーベルでした(1965年に売却)。本作のホープのオリジナル曲6曲がホープとフレイの合作名義になっているのは著作権登録上の都合で、実際はホープ単独の作曲であり、裏ジャケットにはホープとフレイが作曲者に併記されていますが、レコード・レーベルにはホープ単独名義で記載されています。フレイはあくまでA&Rを兼務した実業家であり、企画立案者で社主としての立場です。ホープのオリジナル6曲中A2「Ecstasy」は原題「Vaun X」、B1「Trippin'」は原題「So Nice」で初演はハロルド・ランドを含むメンバーでホープが1957年10月に初めてロサンゼルスで録音したパシフィック社へのオムニバス・アルバム用録音3曲中の2曲の再演であり、またピアノ・トリオでのB3「Kevin」は1961年の『Here's Hope !』でもトリオで再演したばかりですが、ホープのジャズ・デビューとなった1953年6月のブルー・ノートでのルー・ドナルドソンクリフォード・ブラウンクインテットで初録音した「De-Dah」の改題です。本作のためのホープの書き下ろし新曲はA1「One for Joe」、A3「Three Silver Quarters」、B4「Monique」の3曲で、ホープのオリジナル曲としては最高水準を行く名曲揃いになり、しかもこれらはテーマ、ソロ・スペースともほとんどホープの独壇場となっており、これまで不得手だった管楽器入りの曲も含めリヴァーサイド・レコーズでの『Homecoming !』以上にホープがひさびさに活き活きとした演奏を聴かせてくれる、トリオでの2曲も含め管楽器入りのアルバムとしてはホープ11作目にしてもっとも強烈にリーダーシップを発揮した名盤になっています。

註(2)*言わずもがなの旧友フィリー・ジョーはもちろんテナーサックスにジョン・ギルモア、ベースにロニー・ボイキンスと2名もサン・ラ・アーケストラのメンバーがおり、またB2「It Shouldn't Happen to a Dream」でヴォーカルを取るのはジェイ・マクシャン、アール・ハインズなどのオーケストラでヴォーカルを勤め、チャーリー・パーカーの1947年2月の「Cool Blues」セッションでパーカー指名により2曲でヴォーカルを取った伝説的歌手アール・コールマンです。ディジー・ガレスピーのバップ・クラシックのB5「Groovin' High」でヴォーカルを取るマルセル・ダニエルズは他にジーン・アモンズ楽団くらいにしか録音がなく、またトランペットのローレンス・ジャクソン、アルトサックス(本作ではほとんどソプラノサックスを吹いていますが)のフレディ・ダグラスは本作の他にレコーディングがありませんが、サン・ラ・アーケストラの中核メンバー+濃厚なビ・バップ臭が非常にデフォルメーションの効いたアレンジで演奏されているのも本作の風格を高めています。本作のデータは信憑性が稀薄で、音質重視のオーディオ・フィディリティー社がライカーズ島に赴いて1963年8月19日の1日のみで録音したとは信じ難く、ピアノ・トリオによるB3、B4、またピアノ・トリオに一部3管アンサンブルが重なるだけのA3はB2、B5のヴォーカル曲ともども別日程でオーヴァーダビングされ、そのためにミュージシャンであるディッカーソンがサウンド・プロデュースを手がけたのではないかと推定されます。

註(3)*本作のホープの演奏は意識的にフリー・ジャズに近い奏法に踏みこんでおり、その萌芽はロサンゼルス移住中最後になった1961年8月録音のハロルド・ランドクインテット『The Fox』にもありました。ただし同作では明らかに意図的にピアノレス・カルテットに近いミックスがなされて、ホープのピアノがほとんど聴こえないほどの音量でミックスされ、またリズム・セクションの一体感にも問題がありました。本作のホープはフィリー・ジョーを大きくフィーチャーするとともにごく初期のブルー・ノート作品、またマイナー・インディーでの『Here's Hope !』『High Hope !』にようやく管入りセクステットでも存在感を示すほどの力演を見せ、大半の曲では力強いテーマに続いて管入り編成で初めてホープが先行ソロを取る、というかつてない自信に満ちています。これもオーヴァーダビングの条件があるレコーディングだったからか、サウンド・プロデュースを手がけたディッカーソンの提案かわかりませんが、本作では結果的にホープが先行ソロを取ること、しかもかつてないほどフリーに接近した、まるでポール・ブレイを黒くしたようなプレイが新たな境地を感じさせ、A1のようなラテン・リズムによるフリー~モード・ジャズ(ホープのモード奏法は徹底していませんが)は当時のブルー・ノートの新主流派作品、それもケニー・ドーハムハンク・モブレージャッキー・マクリーンらビ・バップ~ハード・バップを経てきたジャズマンらのアルバムとの親近性が見られます。本作はブルー・ノートやリヴァーサイド、ベツレヘム、またプレスティッジからのリリースならばまだしも注目されるに値する、ホープの起死回生になるかもしれないアルバムでした。しかしオーディオ・フィディリティー社という注目されないインディー社でなければ、本作のような企画は実現しなかったことに皮肉があります。しかも次作のホープのレコーディングは3年後の1966年、それも翌1967年にホープが逝去し、1977年まで発売されない遺作となるのです。

高橋睦郎詩集『薔薇の木・にせの恋人たち』昭和39年(1964年)より

高橋睦郎詩集『薔薇の木・にせの恋人たち』

昭和39年(1964年)・現代詩工房刊
f:id:hawkrose:20200709132529j:plain
 後年は古今東西の古典に通じた学匠詩人の風貌を帯び、清岡卓行、那珂太郎、飯島耕一大岡信入沢康夫らの逝去を継いで今では芸術院会員の現役長老詩人となりましたが、高橋睦郎(昭和12年=1937年・北九州生まれ)は母子家庭に育ち、苦学と就職難を重ね、1歳下の歌人・春日井健(歌集『未青年』昭和35年=1960年)と並んで初めて日本で本格的なゲイの詩集を上梓し、三島由紀夫に認められた詩人でした。1960年代いっぱいまでの第1詩集『ミノ・あたしの雄牛』(昭和34年=1959年)、第3詩集『眠りと犯しと落下と』(昭和40年=1965年)、第4詩集『汚れたる者はさらに汚れたることをなせ』(昭和41年=1966)の詩集はどれもがのちのイギリスのゲイ映画監督テレンス・デイヴィスの作品を思わせる静謐で悲痛な叫びに満ちていますが、今回は特に「バラであり/ユリである/にせの恋人たちに」と献辞がある第2詩集『薔薇の木・にせの恋人たち』(昭和39年=1964年・現代詩工房刊)から3篇をご紹介します。

「死んだ少年」

ぼくは 愛も知らず
恐ろしい幼年時代の頂きから 突然
井戸の暗みに落ちこんだ少年だ
くらい水の手が ぼくのひよわなのどをしめ
つめたさの無数の錐が 押し入ってきては
ぼくの 魚のように濡れた心臓をあやめる
ぼくは すべての内臓で 花のようにふくれ
地下水の表面を 水平にうごいていく
ぼくの股の青くさいつのからは やがて
たよりない芽が生え 重苦しい土を
かぼそい手で 這いのぼっていくだろう
青ざめた顔のような一本の樹が
痛い光の下にそよぐ日が来るだろう
ぼくは 影の部分と同じほど
ぼくの中に 光の部分がほしいのだ

「少年たち」

坂みちにかたまって
少年たちの飢餓は
神像のようにかがやいていた

目の下にかたまったかれらのみじめな町
かれらと同じ高さにひろがって
叫びたくなるような凍傷の空に

遠くに行ったかれらの母が
魔物のような大きさで
目を伏せていた

「一九五五年冬」

寒い朝の公衆便所に
もやのようにたちこめている温とさ

ぼくは うろついていた
よごれて 孤独で 空腹だった

プラタナスは裸だった
人通りは乏しかった

ごみ車のあとから
犬がついていった

ぼくの右手は ズボンのポケットの
かくし穴からすべりこんで

ぼくは飢えたこころで想像していた
公衆便所の中で 炎のように愛しあう人

光が いたい刃物のようにさして来て
行くてのでいねいをかがやかした

(詩集「薔薇の木・にせの恋人たち」昭和39年=1964より)

カン Can - サウンドトラックス Soundtracks (Liberty, 1970)

カン - サウンドトラックス (Liberty, 1970)

f:id:hawkrose:20200709131801j:plain
カン Can - サウンドトラックス Soundtracks (Liberty, 1970) Full Album : https://youtu.be/YnWpR_FEr0E
Recorded at Inner Space Studio, Schloss Norvenich, Germany, Genre, November 1969 to August 1970
Released bv Liberty Records LBS 834371
All Spontaneous Compositions by Can.

(Side 1)

A1. Deadlock - 3:27
A2. Tango Whiskeyman - 4:01
A3. Deadlock (Instrumental) - 1:40
A4. Don't Turn The Light On, Leave Me Alone - 3:42
A5. Soul Desert - 3:48

(Side 2)

B1. Mother Sky - 14:31
B2. She Brings The Rain - 4:04

[ Can ]

Holger Czukay - bass, double bass
Irmin Schmidt - keyboards, synthesizers
Jaki Liebezeit - drums, percussion, flute
Michael Karoli - guitar, violin
Malcolm Mooney - vocals on A5 and B2
Damo Suzuki - vocals on A1, A2, A4 and B1

(Original Liberty "Soundtracks" LP Liner Cover & Side 1 Label)

f:id:hawkrose:20200709131815j:plain
f:id:hawkrose:20200709131835j:plain
 今ではこのアルバムは名実ともに『モンスター・ムーヴィー』に続くカンの第2作とされていますが、アナログ盤LP時代には裏ジャケットに以下のように印刷されていました。
"Can Soundtracks" is the second album of The Can but not album no. two.
"Can Soundtracks" means a selection of title songs and soundtracks from the last five movies for which The Can wrote the music.

 つまりこれは5本の映画に提供した文字通りのサウンドトラック集なので、セカンド・アルバムではあるけれど正式な通算2作目は次回作になる、と念を押しています。実際、カンには収録曲が録音された1969年11月~1970年8月の間にリード・ヴォーカルの交替があり、ホームシックで帰国してしまったアメリカ人黒人留学生画家のマルコム・ムーニー(A5, B2)から当時20歳の日本人ヒッピー・ダモ鈴木(A1, A2, A4, B1)の参加曲が混在しています。このアルバム自体は完成度の高い前作と2枚組大作の次作より評価が低くなりますが、それはあくまで比較の上での話で、初めてカンを聴く人にはメンバー監修で選曲・編集ともに良くできているベスト盤『Cannibalism』2LP, 1978もお薦めできますが、オリジナル・アルバムなら1枚でムーニーとダモが聴ける本作がいいのではないかとも思えます。映画主題歌集という性格からまとまりの良い、キャッチーな曲ばかりがそろっています。曲の良さでは他のカンの傑作アルバムに十分拮抗するばかりか、ヴォーカル入りの名曲ぞろいで実験的なインストルメンタル即興曲は外してある(A3のみインストルメンタルですが、A1のヴォーカル抜きの短縮ヴァージョンです)のがなおさらカンの他の大作アルバムとは違って聴きやすい、コンパクトな仕上がりです。村上春樹原作『ノルウェーの森』の映画サウンドトラックはレディオヘッドのギタリストが手がけましたが、1970年の日本というイメージからこのアルバムのダモ鈴木ヴォーカル曲をリミックスして映画全編(サントラ盤にも)に使っています。全盛期カンのアルバムはパンク~'80年代、'90年代にもまったく古びませんでしたが、本作はまさに絶頂期のカンだけに今聴いても斬新で新しい音楽です。本作『Soundtracks』が1970年のアルバムということ自体信じがたい気がするほどです。西ドイツのロックは伊仏より確実に早く、しかも英米ロックとは異なる方向性で成果を上げていましたが、『Soundtracks』の次作『Tago Mago』2LP, 1971で英米仏でも認知されたカンは活動中はもちろん、現在では'60年代末~'70年代最大のドイツのロック・バンドとされており、傾向別に見るならばタンジェリン・ドリームクラフトワークスコーピオンズら国際的な大物バンドもいますが、広範で本質的な革新性と根源性では今なおヴェルヴェット・アンダーグラウンドのように、ザ・ドアーズのように影響力を持ち続けていると認知されています。

 カンのアルバム・リストは次の通りになります。英語版ウィキペディアの引用しているメディア評価も加えた。
[ CAN Original Album Discography ]
1. Monster Movie (United Artists/Sound Factory, 1969) - Allmusic★★★★1/2, Pitchfork Media 8.7/10, Stylus Magazine (A)
2. Soundtracks (Liberty/United Artists, 1970) - Allmusic★★★, Pitchfork Media 7.6/10, Stylus Magazine (B)
3. Tago Mago (United Artists, 1971) - Metacritic 99/100, Allmusic★★★★★, Pitchfork Media 10/10(40th Anniversary Edition), Stylus Magazine (B), Uncut (favorable)
4. Ege Bamyasi (United Artists, 1972) - Allmusic★★★★★, Pitchfork Media 9.8/10, Stylus Magazine (A)
5. Future Days (United Artists, 1973) - Allmusic★★★★★, Pitchfork Media 8.8/10
6. Soon Over Babaluma (United Artists, 1974) - Allmusic★★★★, Pitchfork Media 8.9/10, Robert Christgau (B-)
7. Limited Edition (United Artists, 1974) Collection of 1968-1974 rarities that was expanded to become Unlimited Edition
8. Landed (Horzu/Virgin, 1975) - Allmusic★★, Pitchfork Media 6.1/10
9. Unlimited Edition (Virgin, UK/Harvest, Ger., 1976) 2LP collection of 1968-1975 rarities - Allmusic★★★, Pitchfork Media 7.9/10
10. Flow Motion (Harvest/Virgin, 1976) - Allmusic★★★
11. Saw Delight (Harvest/Virgin, 1977) - Allmusic★★1/2
12. Cannibalism (United Artists, 1978) Compilation from 1969-1974 album material - Allmusic★★★★1/2
13. Out of Reach (Harvest, 1978) - Allmusic★★, Pitchfork Media 3.7/10
14. Can (Harvest, 1979) - Allmusic★★1/2
15. Delay 1968 (Spoon, 1981) Unreleased material from 1968-1969 - Allmusic★★★
16. Rite Time (Mute, 1989) - Allmusic★★★
17. The Peel Sessions (Strange Fruit, 1995) Collection of 1973-1975 recordings from BBC Radio's John Peel Show - Allmusic★★★★1/2
18. Can Live (Spoon, 1999) Collection of live recordings 1972-1977 - Allmusic★★★★1/2
19. The Lost Tapes (Mute, 2012) 3CD box set compilation of unreleased studio and live recordings from 1968-1977 (No.77 in UK, June 2012) - Metacritic 85/100, Allmusic★★★★, Pitchfork Media 7.1/10

 簡単に解説すると、カンは6『Soon Over Babaluma』までのアルバムはバンド専用のスタジオでマスターテープまで自主制作して大手ユナイテッド・アーティスツ(リバティ)からの発売をリースするという、完全にバンド自身が制作を管理していたバンドでした。創立メンバーのホルガー・シューカイ(ベース)は実験音楽、ヤキ・リーベツァイト(ドラムス)はフリー・ジャズ、イルミン・シュミット(キーボード)は現代音楽出身で、バンド結成の1968年には3人とも30歳でした。ギタリストにホルガーの音楽教室の生徒だった20歳のギター青年ミヒャエル・カローリが抜擢され、さらに西ドイツ留学中のアメリカ黒人青年画家マルコム・ムーニーをヴォーカルに迎えてデビュー作にして大傑作『Monster Movie』を制作します。ムーニーはまったく音楽経験のないノン・ミュージシャンでした。このデビュー作のアウトテイクの一部が9『Unlimited Edition』や19『Lost Tapes』で聴け、15『Delay 1968』はまるごとムーニー在籍時のアウトテイク集になっています。ですがムーニーはアルバム完成時にはホームシックに陥って帰国を決めており、バンドは路上でパフォーマンスをしていた20歳の日本人ヒッピー、鈴木健二ことダモ鈴木(ダモは「蛇毛」の当て字から本人自身が芸名にしました)をヴォーカリストに勧誘します。ダモ鈴木も音楽経験などまったくなく、ロック・バンドだというのでグランド・ファンク・レイルロードみたいなハード・ロック・バンドかと思って加入したといいます。

 ダモ鈴木在籍時のカンは傑作を連発し、『Unlimited Edition』や『Lost Tapes』『Peel Sessions』『Can Live』『Tago Mago 40th Anniversary Edition』にもアウトテイクやライヴが収められています。イギリスやフランスへのツアーも成功させ、特にイギリスのポスト・パンク第一世代のミュージシャンにこの時期のカンは大きな影響力をおよぼしました。ですが『Future Days』を最後にダモがエホバの証人の布教活動と結婚・移住の都合で脱退し、次作『Soon Over Babaluma』は残った4人で制作しましたが、これがドイツ時代、そして全盛期の最後のアルバムになりました。バンドは拠点をイギリスに移し、ムーニー、ダモ在籍時のアウトテイク集『Unlimited Edition』を除き、ヴァージンからの『Landed』『Flow Motion』『Saw Delight』、ハーヴェストからの『Out to Reach』『Can』を発表して解散しました。『Flow Motion』から元(後期)トラフィックの黒人メンバー、ロスコー・ジー(ベース)とリーバップ(パーカッション)を迎えてホルガーはサウンド・エフェクトに専念し、レゲエを交えたテクノ・エスノ路線に進みましたが、強烈な個性のヴォーカルと呪術的でフリーキーなサウンドが持ち味だったムーニー~ダモ期のカンと較べると普通のフュージョン系ロック化してしまい、バンド存続時こそ商業的には健闘しましたが、現在ではこれら後期のアルバムはリストに記載したメディア評価の通りバンドの凋落期と見なされています。ラスト・アルバム『Can』はバンドの解散記念に作られた最後の力作でした。1989年の『Rite Time』はソロで活動していたメンバーが一度限りの再結成で制作したエレクトリック・ポップ作ですが、なんとヴォーカルはムーニーが復帰し、カンの作ったエレクトリック・ポップ・アルバムとして納得のいく出来になりました。

 バンド側は映画主題曲の寄せ集めと謙遜し、評価も平均点より上程度の『Soundtracks』ですが、言われなければばらばらのセッションから集めてきたとは思えないくらいアルバムの流れも良く、めりはりがついています。何より曲が良く粒ぞろいです。A1「Deadlock」~A2「Tango Whiskyman」~A3「Deadlock (Titelmusik)」は映画『Deadlock』(1970, Roland Klick監督作品)からですが、A1はダモ鈴木のこぶしの効いた歌唱力と哀愁のメロディーが際立つ強烈な演歌ロックです。ちなみにカンでは、歌詞と歌メロはヴォーカリストに任されています。多重録音のギターもこれでもかと泣きまくります。A2のタンゴ・ロックなど前衛とポップスの奇跡的融合でしょう。ヤキのドラムスはA1も冴えていますが、普通の8ビート・ドラマーにはまず叩けないこの手の曲を軽々とこなしています。A3はA1のインストですが、終結部でA2のテーマが出てきてA1~A3までで小組曲をなしています。LP(CDもですが)はA3から曲間なしにA4「Don't Turn the Light on, Leave Me Alone」(映画『Cream』主題歌)が始まります。A4はA3の4度下の関係調なので、曲間を詰めた効果が出ています。ダモ鈴木加入初録音がこの曲だそうで、歌詞といいヴォーカルといいばっちりサウンドにはまっています。よく聴けばこの曲のリズムはサンバで、ギターがオクターヴ奏法でリズム・リフを刻んでいるジャズ・サンバでもあるのですが(ヤキがフルートをダビングしています)、こんなサンバは他に三上寛の怪曲「最後の最後の最後のサンバ」しかないでしょう。ドラムスが明らかに異常なので友人知人のドラマー数人に聴いてもらったら、普通のドラムセットのドラムスだけでなく、皮を限界までに緩めて張ったバスドラムを水平に置いて、2人くらいでマレットを両手に持って叩いているんじゃないか、という意見でした。ダモ鈴木の脱力サンバに続くA5「Soul Desert」は映画『Madchen mit Gewalt』(1970, Roger Fritz監督作品)はマルコム・ムーニー在籍時のヘヴィなワン・コードのファンク・ナンバーで、ダモとの持ち味の違いがよくわかります。A1~4までをダモで進めて、A面ラストは黒い喉で迫るマルコムで締める構成が決まっています。

 B1「Mother Sky」は本作最大の聴きもので、カンのアルバムでは恒例のB面(ほとんど)全部を占める大作です。このアルバムの映画で唯一の日本公開作品、イェルジー・スコリモフスキ監督作品『早春(Deep End)』1971のディスコ・シーンで使われているのがDVDで確認できます。映画より先にアルバムが出たことになります。曲はローリング・ストーンズ「黒くぬれ!(Paint It, Black !)」タイプですがオクターヴを上下するベース、ドラムスはハンマービート、キーボードの一本指奏法などカンの得意技満載で、鋭いギターと陰鬱なダモのヴォーカル、巧みに楽器の位相を変化させたミキシングと構成で、単純な曲を14分スリリングに聴かせます。カンは同時代のいわゆるプログレッシヴ・ロックのように組曲形式やアドリブ・ソロなど、クラシックやジャズを下地にロックを発展させようという発想ではなく、ロックをより粗削りに、プリミティヴな単位に解体・再構築していました。パンク以降むしろ評価が上昇したのはそうしたガレージ・ロック的側面からであり、音楽要素を楽理的な複雑化ではなくサウンドそのものの組み替えから刷新しようとした姿勢にありました。そのアプローチがポスト・パンク以降に絶大な影響を与えたゆえんになっています。B2「She Brings the Rain」はB面、そしてアルバムの最終曲で、再びマルコムが日本未公開映画の主題歌を歌います。オクターヴ奏法のギター・リックが入り、ミヒャエルがヴァイオリンをダビングしています。短調のシャッフル系のフェイク・ジャズ・ナンバーで、燃え上がるようなB1の後のチルアウト曲に見事に収まっています。重い、または疾走する8ビートからタンゴ、サンバ、ファンク、シャッフルまで多彩なリズム・アレンジを消化した個々の曲の出来といい全体の巧妙な構成といい、もし無名バンドの作品だったら幻の名盤としてカルト・アイテム必至のアルバムになったでしょう。カンの全盛期作品でも本作は映画音楽集の域を超えた傑作となっています。初期6作と『Unlimited Edition』『Delay 1968』の8作はすべて本作の水準をクリアしているアルバムです。運悪く『Landed』以降のアルバムから聴いてしまった方も遅くはありません。カローリは2001年の「カン・プロジェクト」での来日公演を体調不良でキャンセル直後に亡くなり、ホルガーもヤキも2017年に相ついで亡くなったので現存の創設メンバーはイルミン一人、マルコムもダモも健在ですがカンの再結成は今後あり得ないと思われますが、全盛期カンの諸作への評価は上がりこそすれ下がることはないでしょう。

那珂太郎詩集『音楽』昭和40年(1965年)より

那珂太郎詩集『音楽』

昭和40年(1965年)7月・思潮社
f:id:hawkrose:20200708120748j:plain
 飯島耕一詩集『他人の空』以降ご紹介している戦後詩の第二世代以降の詩人は主に詩誌「ユリイカ」に拠った詩人で、他にも安東次男、大岡信川崎洋らがおり、吉岡実岩田宏らも「ユリイカ」に拠った詩人でしたが、那珂太郎(1922-2014・福岡県生れ)はなかでも最長老のひとりで、晩年には芸術院会員を勤めました。長い詩歴ながら寡作で、福田正次郎名義の処女詩集『ETUDES』(昭和25年=1950年5月・書肆ユリイカ刊)に次ぐ第2詩集が以下に紹介する詩を収録した中期の代表詩集『音楽』(昭和40年=1966年7月・思潮社刊)になります。もっともこの詩人の第3詩集『はかた』(昭和50年=1975年)、第4詩集『空我山房日乗』(昭和60年=1985年)、第5詩集『幽明過客抄』(平成2年=1990年)、第6詩集『鎮魂歌』(平成7年=1995年)はいずれも異なる趣向を持って1冊ずつが個別に統一したコンセプトを持つので、『音楽』からの代表作が那珂太郎の代表作とは必ずしも言えませんが、同詩集は非常に大きな反響を呼んで影響力も大きかったものです。

「〈毛〉のモチイフによる或る展覧会のためのエスキス」

那珂太郎

a.

からむからだふれあふひふとひふはだにはえる毛

なめる舌すふくちびる噛む歯つまる唾のみこむのど のどにのびる毛
くらいくだびつしり おびただしい毛毛毛毛毛毛毛毛

b.

けだものの毛くだものの毛ももの毛ももの毛
けものの毛
けばだつ毛
けばけばしい毛
けむたい毛
けだるい毛倦怠の毛
けつたいな毛奇つ怪な毛軽快な毛
けいはくな経験の毛敬虔な刑而上の毛警視庁の警守長の
毛けむりの毛むりな毛むだな毛
けちんぼの毛
げびた毛? カビた毛
おこりつぽいをとこの毛?
ほこりつぽいをとこの毛
ほとけの毛?
のほとりの毛

c.

ガ毛ギ毛グ毛ゲ毛ゴ毛
餓鬼 劇 後家 崖 ギヤング 銀紙 ギンガム
の毛

d.

ゆりゆりゆるゆれゆれる藻
ぬらぬりぬるぬれぬれる藻
もえるもだえるとだえるとぎれるちぎれるちぢれるよぢるみだれる
みだらなみづの藻のもだえの毛のそよぎ

e.

目目しい目
耳つ血い耳
鼻鼻しい鼻
性性洞洞
すてきなステツキ
すてきなステツ毛

(詩集『音楽』より)


 戦前ならばこれは「皿皿皿皿皿皿」(高橋新吉)、「丁丁丁丁丁丁」(宮沢賢治)、「りりりりりり」(草野心平)同様ダダイズムアナーキズムの詩に見なされたでしょう。那珂太郎は萩原朔太郎研究の権威でもあり、「竹」の詩を含む『月に吠える』を萩原の最高傑作としていました。確かにここには『青猫』や「氷島」ではなく『月に吠える』からの発展が認められます。ただし極端に知的なフォルマリズムとして行われているのが戦前のダダ~アナーキズム詩との違いでもあります。

エルモ・ホープ&バーサ・ホープ Elmo Hope with Bertha Hope - ホープ・フル Hope-Full (Riverside, 1962)

エルモ・ホープ&バーサ・ホープ - ホープ・フル (Riverside, 1962)

f:id:hawkrose:20200708120325j:plain
エルモ・ホープ&バーサ・ホープ Elmo Hope with Bertha Hope - ホープ・フル Hope-Full (Riverside, 1962)
Recorded at Bell Sound Studios, New York, November 9 & 14, 1961
Released by Riverside Records RLP 9408, 1962
Produced by Orrin Keepnews
All compositions by Elmo Hope except as indicated

(Side 1)

A1. Underneath : https://youtu.be/IjY07ArKaxw - 4:35
A2. Yesterdays (Otto Harbach, Jerome Kern) - 5:18
A3. When Johnny Comes Marching Home (Traditional) - 4:58
A4. Most Beautiful : https://youtu.be/HP63628J9as - 5:03

(Side 2)

B1. Blues Left and Right - 6:05
B2. Liza (All the Clouds'll Roll Away) (George Gershwin, Ira Gershwin, Gus Kahn) - 3:32
B3. My Heart Stood Still (Lorenz Hart, Richard Rodgers) - 5:23
B4. Moonbeams - 4:50

[ Personnel ]

Elmo Hope - piano solos
Bertha Hope - piano duos (tracks A2, B1 & B3)

(Original Riverside "Hope-Full" LP Liner Cover & Side 1 Label)

f:id:hawkrose:20200708120340j:plain
f:id:hawkrose:20200708120356j:plain

Hope-Full

Elmo Hope

AllMusic Ratings★★★★
AllMusic User Ratings★★★★1/2
AllMusic Review by Scott Yanow
 ビ・バップ革命の初期には、数人の若手ピアニストによる無伴奏ソロ・ピアノ録音がなされた。1961年にいたってもバップ・ミュージシャンによる無伴奏ソロ録音はまだ珍しいものと見なされていたが、過小評価された作曲家・ピアニストのエルモ・ホープによるリヴァーサイド・レコーズでの本作(現在CD化がなされている)は非常に上出来な仕上がりになった。ホープの本作では、全8曲のうち3曲で夫人のバーサをセカンド・ピアニストに迎えてデュエットしており、特に「Blues Left and Right」はスウィング感に富んだデュオ演奏となっている。無伴奏ソロ・ピアノ演奏では「When Johnny Comes Marching Home」でエルモ・ホープの最上の演奏が聴け、またスタンダード曲「Liza」はカクテル・ピアノ風でありながら十分な魅力にあふれている。

註(1)*ビ・バップ・ピアニストによる初期のソロ・ピアノ録音にはレニー・トリスターノの1945年の自宅録音作品、バド・パウエル1951年2月録音の『The Genius of Bud Powell
セロニアス・モンク1954年6月のパリ録音アルバム『Solo On Vogue』などが上げられます。

註(2)*本作では全8曲中4曲がスタンダード曲、4曲がホープのオリジナル曲ですが、うちA1「Underneath」、B1「Blues Left and Right」はブルースとブルースの比重が大きく、ともに演奏は快調で無伴奏ソロ・ピアノでのホープのブルース・プレイの実力は堪能できるものの、オリジナル新曲の面では物足りないアルバムになったきらいがあります。本作はリヴァーサイド社長オリン・キープニーズ直々のプロデュースであり選曲・アルバム構成にもキープニーズの意向が反映していると考えると、前作『ホームカミング!』と本作の2作きりでリヴァーサイドとの契約は解消されたこともあり、キープニーズはあまりホープの作曲力、ピアニストとしてのアピール力に不足を感じていたのではないかとも邪推されます。また本作は'60年代にさしかかったからか、ホープ本来のやや軽い味からかモンクやパウエルのソロ・ピアノよりもビル・エヴァンスのソロ・ピアノ作品に近い味わいがあり、エヴァンスのソロ・ピアノ作がお好きなリスナーには親しめる内容のアルバムに仕上がっているとも言える隠れたソロ・ピアノ・アルバムの佳作として意外にお薦めできるアルバムかもしれません。

入沢康夫詩集『倖せそれとも不倖せ』昭和30年(1955年)より

入沢康夫詩集『倖せそれとも不倖せ』

昭和30年(1955年)6月・書肆ユリイカ
f:id:hawkrose:20200707212757j:plain
 日本の敗戦後の現代詩は昭和20年代までは戦前・戦中に自己形成した世代がデビューした時期であり、純粋な戦後世代の登場は昭和30年(1955年)以降になります。その第一人者が谷川俊太郎(1931-)であり、また表題からも人を食った詩集『倖せそれとも不倖せ』でデビューした島根県松江市出身の詩人・入沢康夫(1931-2018)でした。あえて作風の異なる3篇を選びましたが、共通するのは現代詩によって詩のパロディを行っていることで(たとえば「失題詩篇」は横瀬夜雨の「お才」に代表される民謡調詩、また「鴉」や「夜」は抒情詩のパロディです)、そのあっけらかんとした悪意に詩意識の屈折がうかがえます。その新しさは詩人や詩の読者にはすぐに認められましたが、谷川俊太郎のように一般的な読者層に迎えられたとは言えないでしょう。しかし150年にもおよぶ明治以来の現代詩のアンソロジーを、このブログでご紹介しているように拾い集めてみる場合、入沢康夫はポスト・モダンの現代詩の先駆者として絶対落とせない詩人です。

「失題詩篇

心中しようと 二人で来れば
 ジャジャンカ ワイワイ
山はにっこり相好くずし
硫黄のけむりをまた吹き上げる
 ジャジャンカ ワイワイ

鳥も啼かない 焼石山を
心中しようと辿っていけば
弱い日ざしが 雲からおちる
 ジャジャンカ ワイワイ
雲からおちる

心中しようと 二人で来れば
山はにっこり相好くずし
 ジャジャンカ ワイワイ
硫黄のけむりをまた吹き上げる

鳥も啼かない 焼石山を
 ジャジャンカ ワイワイ
心中しようと二人で来れば
弱い日ざしが背すじに重く
心中しないじゃ 山が許さぬ
山が許さぬ
 ジャジャンカ ワイワイ
 ジャジャンカ ジャジャンカ
 ジャジャンカ ワイワイ

「鴉」

広場にとんでいって
日がな尖塔の上に蹲っておれば
そこぬけに青い空の下で
市がさびれていくのが たのしいのだ
街がくずれていくのが うれしいのだ
やがては 異端の血が流れついて
再びまちが立てられようとも
日がな尖塔の上に蹲っておれば
(ああ そのような 幾百万年)
押さえ切れないほど うれしいのだ

「夜」

彼女の住所は四十番の一だった
所で僕は四十番の二へ出かけていったのだ
四十番の二には 片輪の猿がすんでいた
チューヴから押し出された絵具 そのままに
まっ黒に光る七つの河にそって
僕は歩いた 星が降って
星が降って 足許で はじけた
所で僕がかかえていたのは
新聞紙でつつんだ干物のにしんだった
干物のにしんだった にしんだった

(詩集『倖せそれとも不倖せ』昭和30年=1955年6月・書肆ユリイカ刊より)

カン The Can - モンスター・ムーヴィー Monster Movie (Music Factory/United Artists, 1969)

カン - モンスター・ムーヴィー (Music Factory/United Artists, 1969)

f:id:hawkrose:20200707212315j:plain
f:id:hawkrose:20200707212329j:plain
カン The Can - モンスター・ムーヴィー Monster Movie (Music Factory/United Artists, 1969) Full Album
Recorded at Inner Space Studio, Schloss Norvenich, Germany, July 1969
Released by Music Factory GmbH-SRS 001, August 1969 / United Artists UAS 29094, May 1970
All songs written and composed by Can

(Side 1)

A1. Father Cannot Yell : https://youtu.be/7gjIzeWxgmc - 7:06
A2. Mary, Mary So Contrary : https://youtu.be/E8MlhzDHuWI - 6:21
A3. Outside My Door : https://youtu.be/nTDogzwD5rY - 4:11

(Side 2)

B1. Yoo Doo Right : https://youtu.be/gPXkIWYYVfQ - 20:27

[ The Can ]

Irmin Schmidt - keyboards
Jaki Liebezeit - drums
Holger Czukay - bass
Michael Karoli - guitar
Malcolm Mooney - vocals

(Original Music Factory & United Artists "Monster Movie" LP Liner Cover & Side 1 Label)

f:id:hawkrose:20200707212345j:plain
f:id:hawkrose:20200707212400j:plain
f:id:hawkrose:20200707212413j:plain
f:id:hawkrose:20200707212430j:plain
 この『モンスター・ムーヴィー』はカンのデビュー作(このアルバムのみ「ザ・カン」名義)で、アメリカ人の黒人ヴォーカリスト、マルコム・ムーニーが全曲でヴォーカルをとったアルバムとしてはバンド存続中唯一の作品であり、かつ最初の傑作でした。ドイツのロック史上、同年のアモン・デュールIIのデビュー作『神の鞭(Phallus Dei)』と並ぶ記念碑的作品と目されるアルバムです。カンは1968年には『Prepared to Meet Thy Pnoom』と題したアルバムを完成させましたが、レコード会社に売りこんだものの採用されませんでした。それがバンド解散後の1981年に発表された『Delay 1968』に当たります。後にリリースされたアウトテイク集『Unlimited Edition』1976、『The Lost Tapes』2012のムーニー参加テイクは必ずしも録音順に発表されたのではなく、例えば『Prepared to Meet Thy Pnoom』には収録を見送られ、『モンスター・ムーヴィー』の巻頭を飾ることになった「Father Cannot Yell」は1968年8月、ムーニー初参加録音時のセカンド・テイクでした。この曲と「Outside My Door」はファースト・テイクや別テイクも残されており、海賊盤YouTubeでも聴けますが、採用されたテイクがイントロから圧倒的に気合いが入った、引き締まった演奏になっているのがわかります。

 カンは1968年に西ドイツのケルンで結成されましたが、初期メンバーはホルガー・シューカイ、イルミン・シュミット、ヤキ・リーベツァイト、ミヒャエル・カローリのドイツ人4人にアメリカ人メンバーのデイヴィッド・ジョンソンがフルートで加わり(ジョンソンはホルガーとともにエンジニアを兼務、ムーニー参加後もしばらくはエンジニアとして残っていました)、ヴォーカルはほんの少し楽器担当メンバーがとる程度でした。その頃の音源は1984年にフランスのTago Magoレーベルがカセットテープでリリースした『Prehistoric Future June 1968』で聴けます。そのアルバムは改めてご紹介しますが、内容は1969年7月に完成された『モンスター・ムーヴィー』とも、それに先立って68年中に完成されていた『Prepared to Meet Thy Pnoom』(『Delay 1968』)ともまったく異なる方向性の実験的ロックで、まだ同時期のドイツの実験的ロックのバンドと一線を画すほどの作風ではなく、『モンスター・ムーヴィー』は強烈な個性を持つ専任リード・ヴォーカルのマルコム加入で一気にカンが世界レヴェルで突出したバンドに飛躍したのが確認できるものでした。バンドは本作の完成後翌月の1969年8月に自主レーベルのMusic Factoryから500枚を限定リリース、これが2週間で完売したことでメジャーのユナイテッド・アーティスツから注目され、翌1970年5月にはUA、またはUA傘下のリバティ・レーベルから英米、ヨーロッパ諸国盤が新装ジャケットで一斉発売されることになりました。ですがムーニーは1969年いっぱいで脱退してアメリカに帰国しており、カンは後任ヴォーカリストダモ鈴木と1970年9月発売の『Soundtracks』(ムーニー在籍末期の2曲を含む)、1971年2月発売の2枚組大作『Tago Mago』の制作を進めていたので、イギリスを含むヨーロッパ・ツアーで平均2時間4曲の脅威的ライヴ・パフォーマンスでリスナーを震撼させるのは『Tago Mago』発表以降になりました。

 創立メンバーのホルガーは実験音楽、ヤキはフリー・ジャズ、イルミンは現代音楽ですでにカンの結成前にはキャリアをなしており、カン結成時にはすでに30歳で、プロのミュージシャンでした。イルミンが映画音楽を多く手がける時の仲間がホルガーとヤキで、イルミンは1966年のアメリカ旅行から現代音楽畑のジョンソンと知りあい、ロックに関心を持っていました。1968年5月のパリの「5月革命」に触発された彼らは、アカデミックな音楽ではなくロックバンドをやろう、とホルガーが教鞭をとる音楽学校の生徒で19歳のギター青年ミヒャエルを勧誘しました。ケルンを根城にしたバンドは友人のつてで14世紀の古城ネルフェニヒ城にインナー・スペース・スタジオと名づけたカン専用の自家製スタジオを建設し、機材はホルガーが2トラックのオープンリール・レコーダーを用意しました。カンの商業的成功は多くのバンドと違ってデビュー作から原盤権をバンド自身が確保し、確実に利益を上げていたことにもよります。これもすでにプロ・ミュージシャンだったメンバーの経験からバンド経営にしっかりした財政管理がなされていたからで、アモン・デュールを始めとするヒッピー出身バンドとは一線を画していました。

 カンの録音は、楽曲をあらかじめ作曲せず、録音したままのセッション・テープから使用できる部分をピックアップして編集・再録音・オーヴァーダビングによって曲にまとめ上げる、という手法によるものでした。カンのリーダーはイルミンでしたが、演奏ではヤキ、そしてテープ編集による総合サウンド・プロデュースはホルガーが担当していました。テープ素材の編集による音楽制作はシュトックハウゼン創始者だった実験音楽の手法でホルガーが習熟しており、シュトックハウゼンが現代音楽の分野で応用していた手法をロックに応用したのがカンでしたが、英米ロックでもすでにビートルズビーチ・ボーイズが1966年~1967年にかけてテープ編集による楽曲制作に着手していました。カンと同時期のドイツのロックでもこの手法は必ずしもカンならではとは言えませんでしたが(アモン・デュールの『サイケデリックアンダーグラウンド(Psychedelic Underground)』やデュールIIの『神の鞭』も同様の手法で制作されています)、カンの場合は作曲された曲ではないとはにわかには信じられないほど楽曲の完成度が高いものでした。ベースやドラムスなど自由度の高いパートのみならずヴォーカル・パートも歌詞・メロディ含めて即興を録音し、使用できるパートを選んで編集しています。ビートルズの1967年の『サージェント・ペパーズ(Sergeant Peppers Lonely Hearts Club Band)』は4トラック録音の極致と評されましたが、1968年には8トラック、1969年~1970年には16トラック録音の機材まで発達していたはずで、1980年代以降はは32トラックや64トラック録音は当たり前のようになっています。カンの場合はアナログ機材の2トラックだけでこれだけの録音を仕上げたのも驚異的ですが、しかもこれほど完成度の高い出来にして即興セッション・テープが素材というのは想像を絶するものでした。

 イルミンの構想はジェームス・ブラウンヴェルヴェット・アンダーグラウンドの両方の要素を持ったサウンドで、声質だけでも黒っぽいマルコムは初代ヴォーカリストにうってつけでした。カン(この時点ではザ・カン)というネーミングもマルコムによるもので、1968年いっぱいでジョンソンが脱退するとバンドはマルコムの個性を中心に急速に密度を高めました。Side2全面、20分におよぶ「You Doo Right」は6時間をかけたセッション・テープから編集されたものでした。バンドは本作『モンスター・ムーヴィー』を最大の代表作と見做しており、バンドがヴァージン~ハーヴェストに移籍後に発表されたUA/リバティ時代の6作のアルバムからのLP2枚組ベスト盤『Cannibalism』1978にもA面冒頭に「Father Cannot Yell」、B面最後に「Outside My Door」、D面全面は「You Doo Right」と、「Mary, Mary So Contrary」を除く全曲を『モンスター・ムーヴィー』の配置と同じ位置に選曲・収録しています。『モンスター・ムーヴィー』の増補版が『Cannibalism』であるかのようなコンピレーションになっています。これはダモ鈴木在籍時の最終作『Future Days』1973がA面3曲・B面1曲と『モンスター・ムーヴィー』と対になるアルバムで内容も匹敵するため、あえて『Cannibalism』では『Future Days』からの選曲を外したことにもよります。

 サイド1の「Father~」と「Outside~」はヴェルヴェット・アンダーグラウンドから発展した音楽性が強いものですが、「Mary, Mary So Contrary」(タイトルは子どもの遊び歌のもじり)の抒情性も『Cannibalism』から落とされるに忍びないくらいで、マルコムの声質のせいかジミ・ヘンドリックスがたまにやっていた切ないバラードに似ています。ギターのヴァイオリン奏法とヴァイオリン両方をダビングしているミヒャエルのプレイも光っています。この曲の初期ヴァージョン「Thief」は『Delay 1968』収録で、レディオヘッドにもカヴァーされています。

 サイド2全面を占める大作「You Doo Right」はミディアム・テンポで、ABC24小節形式でサブドミナントから始まる変則ブルースですが、この曲調とリズム・パターンでは小節構成を数えないとブルースだと気づかないような楽曲です。和声的にはサブドミナントサブドミナント→トニックの3コードのみ、転調や移調、ブリッジその他一切楽理的には複雑な要素はまったくないのに、それで緊張感を保った20分を聴かせる恐るべき大曲になっています。オクターブを上下するだけのベース、トライバルなドラムス、一本指で高音域しか弾かないオルガン演奏はサイド1の3曲にも使われている手法ですが、「You Doo Right」はミニマリズムの極致と言ってもいいほど構成要素を極限まで切り詰めています。これは発想を複雑化の方向進めるのが主流だった当時の進歩的ロックでは驚くべき着想で、カンの音楽が発表以来古びた時代が一度もない大きな要因になりました。マルコム・ムーニーは本作きりで脱退します。ですが後任のダモ鈴木時代もカンの黄金時代は続くことになるのです。

清岡卓行「石膏」(詩集『氷った焔』昭和34年=1959年より)

清岡卓行詩集『氷った焔』

昭和34年(1959年)2月・書肆ユリイカ
f:id:hawkrose:20200706214344j:plain
 今回ご紹介するのは戦後の恋愛詩のなかで最高の一篇と賞される作品です。戦後俳句の森澄雄の代表句、

除夜の妻白鳥のごと湯浴びせり
 (句集『雪礫』昭和24年=1949年)

 のように奥さんを詠ったものですが、森澄雄の俳句同様に夫人を徹底して神聖化しており、文句あるなら前に出ろというくらいの迫力があります。清岡卓行(1922-2006)は大連生まれの詩人で、萩原朔太郎金子光晴に傾倒し、ランボーシュルレアリスムの研究家でもあった人でした。詩人としてのデビューの前に学友・原口統三の遺稿集『二十歳のエチュード』を編纂し、書肆ユリイカのベストセラーにした伝説的存在であり、戦後にデビューした詩人ではもっとも早くシュルレアリスムを咀嚼し、継承した人でもあります。戦後詩の第一世代と言うべき「荒地」が英文学系の詩人グループだったのに対して、第二世代と目せる「ユリイカ」を中心とした詩人グループはフランス文学系だったのも清岡卓行が主導的詩人だったことによります。清岡卓行は小説家としても知られ、晩年の大作『マロニエの花が言った』(平成11年=1999年刊)は大戦間のパリにおける日本の芸術家群像を描いて自身の芸術観の総決算とし、大きな反響を呼び数々の文学賞を受賞しました。ご紹介する第1詩集『氷った焔』からのこの詩は、抒情的な恋愛詩というより、むしろはっきり性行為を詠って恋愛詩になっているので、そうした詩法も戦後の現代詩ならではの手法として初めて開拓されたものでした。

「石膏」

清岡卓行

氷りつくように白い裸像が
ぼくの夢に吊されていた

その形を刻んだ鑿の跡が
ぼくの夢の風に吹かれていた

悲しみにあふれたぼくの眼に
その顔は見おぼえがあった

ああ
きみに肉体があるとはふしぎだ

色盲の紅いきみのくちびるに
ひびきははじめてためらい

白痴の澄んだきみのひとみに
かげははじめてただよい

涯しらぬ遠い時刻に
きみの生涯を告げる鐘が鳴る

石膏のこごえたきみのひかがみ
そこにざわめく死の群のあがき

きみは恥じるだろうか
ひそかに立ちのぼるおごりの冷感を

ぼくは惜しむだろうか
きみの姿勢に時がうごきはじめるのを

迫ろうとする 台風の眼のなかの接吻
あるいは 結晶するぼくたちの 絶望の
鋭く とうめいな視線のなかで

石膏の皮膚をやぶる血の洪水
針の尖で鏡を突き刺す さわやかなその腐臭

石膏の均整をおかす焔の循環
獣の舌で星を舐め取る きよらかなその暗涙

ざわめく死の群の輪舞のなかで
きみと宇宙をぼくに一致せしめる
最初の そして 涯しらぬ夜

(詩集『氷った焔』昭和34年=1959年・書肆ユリイカ刊より)

エルモ・ホープ・セクステット&トリオ Elmo Hope Sextet and Trio - ホームカミング!Homecoming ! (Riverside, 1961)

エルモ・ホープ - ホームカミング!(Riverside, 1961)

f:id:hawkrose:20200706213845j:plain
エルモ・ホープセクステット&トリオ Elmo Hope Sextet and Trio - ホームカミング!Homecoming ! (Riverside, 1961) Full Album + Bonus tracks : https://youtu.be/wybeNU98q4w
Recorded at Bell Sound Studios, New York, June 22 (Sextet) and June 29 (Trio), 1961
Released by Riverside Records RLP 381, 1961
Produced by Bill Grauer
All compositions by Elmo Hope except as indicated

(Side 1)

A1. Moe, Jr. - 5:56
2. Moe, Jr. (alternate take, CD Bonus track) - 4:41
A2. La Berthe - 3:14
A3. Eyes So Beautiful as Yours - 6:33
A4. Homecoming - 5:15

(Side 2)

B1. One Mo' Blues - 6:48
B2. A Kiss for My Love - 5:33
8. A Kiss for My Love (alternate take, CD Bonus track) - 5:39
B3. Imagination (Johnny Burke, Jimmy Van Heusen) - 6:43

[ Elmo Hope Trio and Sextet]

Elmo Hope - piano
Blue Mitchell - trumpet (tracks A1, 2, A4, B2 & 8)
Frank Foster, Jimmy Heath - tenor saxophone (tracks A1, 2, A4, B2 & 8)
Percy Heath - bass
Philly Joe Jones - drums

(Original Riverside "Homecoming !" LP Liner Cover & Side 1 Label)

f:id:hawkrose:20200706213907j:plain
f:id:hawkrose:20200706213925j:plain
Homecoming !
Elmo Hope
AllMusic Ratings★★★★
AllMusic User Ratings★★★★1/2
AllMusic Review by Brandon Burke
 本作『ホームカミング!』は常にトラブルがつきまとったエルモ・ホープのキャリアの中でも特筆すべきアルバムとなった。長期におよんだロサンゼルス移住から帰郷したホープは本作でトップクラスのプレイヤーからの歓迎を受け、リフレッシュされた姿を聴かせてくれる。セクステットにはテナーサックス奏者のフランク・フォスターとジミー・ヒースがトランペット奏者ブルー・ミッチェルとともにフロント・ラインを勤め、トリオ編成の全曲を含めてベーシストにはパーシー・ヒース、ドラムスにはフィリー・ジョー・ジョーンズが参加している。オリジナルLPの全7曲のうち4曲はセクステットによって演奏され、ファンタジー・レコーズのオリジナル・ジャズ・クラシックス盤CDではセクステットのうち2曲のオルタネイト・テイクが聴くことができる。本作ではタッド・ダメロン風のバップ曲がアルバム全編を熱く織りなしている。フランク・フォスターのテナーサックス演奏はアルバムの勢いあるオープニング曲「Moe, Jr.」で特にフィーチャーされている。収録曲中3曲のバラードは、ホープの他のアルバムで聴ける同種の曲よりも新鮮で、ホープの不遇を補って余りある。参加メンバー全員がここでは素晴らしい演奏を披露し、グレイトなハード・バップアルバムとして本作を推薦できる仕上がりに仕立てている。

註(1)*ビーコン、セレブレティ両レーベルに先にレコーディングしたトリオ作品『ヒアズ・ホープ!(Here's Hope !)』『ハイ・ホープ!(High Hope !)』はともに1962年発売と遅れ、またR&Bレーベルからの作品だったためまったく注目されなかったので、ロサンゼルスから帰郷したエルモ・ホープの帰郷第1作は通常本作『ホームカミング!』と見なされています。ブルー・ノートからデビューし、プレスティッジに移籍し、さらにリヴァーサイドと契約するまでホープは先輩セロニアス・モンクと同じ道をたどりましたが、リヴァーサイドでついに一流ミュージシャンとしての地位を固めたモンクに対してホープはリヴァーサイドの作品でも当時ほとんど注目されずに終わることになります。

註(2)*マスター・テイクに選ばれたA1「Moe, Jr.」はテイク4で、没テイクとなったボーナス・トラックの同曲はややテンポが遅いテイク2ですが、テナーサックス奏者2人のうちテイク4で先発ソロを取るのがフランク・フォスター、テイク2で先発ソロを取るのがジミー・ヒースと判別すると2人のテナーサックス奏者の音色とフレージングの聴き分けができます。お試しください。

飯島耕一詩集『他人の空』昭和28年(1953年)刊より

飯島耕一詩集『他人の空』

昭和28年(1953年)12月15日・書肆ユリイカ
f:id:hawkrose:20200706180935j:plain
 鮎川信夫に代表される詩誌「荒地」の詩人たちを戦後詩の第1世代とすれば、戦後詩の第2世代というべき作風を見事に結晶させたのは飯島耕一(1930-2013)の第1詩集『他人の空』で、早熟だったこの詩人は同世代の誰よりも早く、習作期は中原中也を模倣し大学のフランス文学科ではアルチュール・ランボー、ギョーム・アポリネールからシュルレアリスムに傾倒していったそうですが、直接の中原中也からの影響を脱しながら、良い意味で中原中也から受け継いだ優れた直観力によって少年的な感性を残したまま、敗戦後の青年世代の内面的虚脱感を形象化してみせました。飯島耕一の詩は戦前の詩とはまったく違った抒情の世界を拓いてみせたものでした。この詩集の刊行直後から飯島耕一結核病棟に入院し、幸い快気して第2詩集以降現代詩の第一戦で活動を続けます。生涯数次に渡って作風の変遷もあった詩人ですが、今回は第1詩集『他人の空』から表題作を含む短詩5篇をご紹介しましょう。

「他人の空」

鳥たちが帰って来た。
地の黒い割れ目をついばんた。
見慣れない屋根の上を
上ったり下ったりしていた。
それは途方に暮れているように見えた。

空は石を食ったように頭をかかえている。
物思いにふけっている。
もう流れ出すこともなかったので、血は空に
他人のようにめぐっている。

「空」

空が僕らの上にあった年。
目がさめるととつぜん真夏がやって来た年。
汗ばんだ雨傘をサーカスのように
ふりまわした年。
砂くちばしのように
空が垂れ下がったり拡がったりしはじめた年。

「切り抜かれた空」

彼女は僕の見たことのない空を
蔵い込んでいる。
記憶の中の
幾枚かの切り抜かれた空。

時々階段を上って来て
大事そうに
一枚一枚を手渡してくれる。
空には一つの沼があって
そこには
いろいろなものが棲んでいると云う。

そこに一度きりしか通過したことのない
小さな木造の駅があって、
草履袋をもった
小学生が
しゃがんでいたりする。

ついで彼女は
失くしてしまった空の方に
もっと澄んだのがあったとも云った。

「探す」

おまえの探している場所に
僕はいないだろう。
僕の探している場所に
おまえはいないだろう。

この広い空間で
まちがいなく出会うためには、
一つしか途はない。
その途についてすでにおまえは考えはじめている。

「途」

やがて僕らも一つの音をききわける。
器物のふれあうかすかな音のなかに。
風の歩み去る音、
水を漕ぎわける櫂が作る音のなかに、
僕らの内なる音のなかに。

そのなかに一つの途を探す。
そこに一人の女の顔を探す。
途は数知れずある。
けれども僕らの選んだ途が一つであるように。

(昭和28年=1953年12月15日・書肆ユリイカ刊)