人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

今後の更新予定のお知らせ

 遅ればせながらあけましておめでとうございます。

 ヤフーブログの閉鎖に伴ってこちらのブログに移ってきてからほぼ毎日更新してきましたが、毎日の更新はさすがにきびしく、やむなく今後は時々更新のペースに落とすことにしました。

 平行して続けているアメーバブログの方はまだしも更新頻度が高いので、よければ、

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 末筆ですが、皆さまにおかれましても、ますますのご活躍ご健筆、ご健勝お祈り申しあげます。

与謝野鉄幹「煙草」明治43年(1910年)

与謝野鉄幹明治6年(1873年)2月26日生~
昭和10年(1935年)3月26日没(享年62歳)
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煙草


啄木が男の赤ん坊を亡くした、
お産があつて二十一日目に亡くした。
僕が車に乗つて駆けつけた時は、
あの夫婦が間借してゐる喜之床の前から、
もう葬列が動かうとしてゐた。
啄木の細君は目を泣き膨して店先に立つてゐた。

自分はすぐ葬列に加つた。
葬列と云つても五台の車が並んで歩く限(きり)だ、
秋の寒い糠雨が降つてゐる空は
淋しい葬列を露はに見せまいとして灰色のテントを張つてゐる。
前の車の飴色の幌から涙がほろりほろり落ちる。
あの中に啄木が赤い更紗の風呂敷に包んだ赤ん坊の小さい柩を抱いてゐるんだ。

啄木はロマンチツクな若い詩人だ、
初めて生まれた男の児をどんなに喜んだらう、
初めて死なせた児をどんなに悲しんでるだらう、
自分などは児供(こども)の多いのに困つてる、
一人や二人亡くしたつて平気でゐるかもしれない。
併し啄木はあの幌の中で泣いてゐる、屹度(きつと)泣いてゐる。

どこかの街を通つた時、
前の車から渦を巻いて青い煙がほつと出た、
ああ殊勝な事をする、啄木は車の上で香を焚いてゐるんだ、
僕は思はず身が緊(しま)つた。

今度は又ほおつと出た煙が僕の車を掠めた、
所が香でなくてあまいオリエントの匂ひがぷうんとした。
僕は其れを一寸(ちつと)も驚かなかつた、
僕も早速衣嚢(かくし)から廉煙草(やすたばこ)のカメリアを一本抜いて火を点けた、
先刻から大分喫(の)みたかつた所なので……
また勿論啄木と一所に新しい清浄な線香を一本焚く積りで……

折から又何処かの街を曲がると、
「おい、車体をさうくつつけて歩いちや可(い)かん」と交番の巡査がどなつた。
僕の車夫は「はい、はい」と素直に答へて走つた。
そんな事で僕と啄木の悲しい、敬虔な、いい気持の夢が破れるもんぢやない、
二人の車からは交代にほおつと、ほおつと煙がたなびいて出た。

(明治43年=1910年作、詩歌集『鴉と雨』収録)


 この詩篇「煙草」が収録された詩歌集『鴉と雨』(新詩社刊)は大正4年(1915年)8月刊で、石川啄木(明治19年1886年2月20日生~明治45年=1912年4月13日没)の没後の詩集収録になりましたが、啄木の長男・真一の誕生は明治43年10月4日、急死(当時新生児の急死は珍しくありませんでした)は同月27日(詩には「二十一日目」とありますが正しくは二十四日目で、大ざっぱに三週間と数えた鉄幹の勘違いでしょう)ですので、初出誌不詳ながら鉄幹が主宰し、啄木も同人だった新詩社発行の詩歌誌「明星」(明治33年=1900年4月創刊~明治41年=1908年10月廃刊)の後身「スバル」(明治42年=1909年1年創刊~大正2年休刊)に、真一の葬儀から間もなく創作され発表されたものと思われます。詩集収録が遅れましたが、これは前詩歌集『樫之葉』が明治43年7月刊と啄木の長男・真一の出生・急死の直前に当たり、しかも明治44年(1911年)10月~大正2年1月まで鉄幹は渡欧してヨーロッパ諸国を漫遊し(明治45年には半年間、晶子夫人も渡欧・合流し、晶子夫人は出産のために早く帰国しました)、帰国後はヨーロッパ紀行文集の書き下ろしに集中し、また大正4年4月には京都府衆議院議員選挙に立候補して落選するなど公私ともに多忙だったため、詩歌集の刊行が5年間空いたためでした。また啄木の急逝前後は鉄幹の外遊中でしたので、鉄幹は啄木逝去や葬儀にも立ち会えませんでした。

 啄木はまだ盛岡中学の学生だった明治33年には創刊間もない「明星」を愛読して新詩社詩友(準同人)になり(まだこの年啄木は14歳です)、明治35年(1902年、16歳)には学校を退学して上京、11月には与謝野鉄幹・晶子夫妻を訪問しています。翌明治35年(1903年、17歳)には帰郷して父の勤めていた寺院の手伝いをしながら「明星」に短歌が採用されるようになり、11月には新詩社同人に推挙され、12月には初めて啄木の雅号で「明星」に5篇の新体詩を発表、翌明治36年(1904年、18歳)には新進詩人として「明星」「帝國文學」「時代思潮」「太陽」「白百合」など主要な文芸詩に毎月のように新作詩を発表し、翌明治38年(1905年、19歳)5月には第一詩集『あこがれ』を発表して森鴎外を始めとする文壇全般からの絶賛を受け、6月には前年からの婚約者・堀合節子と結婚します。啄木生前のキャリアが順風だったのはこの頃までで、以降啄木は父の破産とともに一家離散と集合をくり返し、啄木自身の浪費癖・我の強さもあって職を転々とし、生計のために詩と小説を多作するも掲載されるのは地方紙ばかりで注目されず、やがて一家全員が不衛生と不摂生な住環境から結核に罹患してしまいます。『あこがれ』以降ようやく2冊目の単行本にして第一歌集『一握の砂』が刊行されようやく一流歌人として認められたのは長男・真一急死後の明治43年12月でしたが、すでに啄木は結核が進行し慢性腹膜炎まで患い、しばしば瀕死と回復をくり返し始めた頃でした。またこの頃には啄木は反体制的な民衆詩人となっていたので、交友は続いていても鉄幹・晶子の芸術至上主義的な「明星」~「スバル」からは離れた作風を確立していました。

 鉄幹の前詩歌集(鉄幹は明治29年=1896年の第一詩歌集『東西南北』以来短歌と新体詩を合わせた詩歌集か、純粋な歌集しか刊行しませんでした)『樫之葉』の詩はまだ文語詩でしたから、『鴉と雨』は鉄幹の口語自由詩が初めて収められた詩歌集になりましたが、以降鉄幹は没後刊行の拾遺詩集『采花集』を除いて生前には歌人・歌論家・エッセイの創作に徹することになります。「煙草」はまだ口語自由詩が定着していなかった、未熟な口語自由詩の試作しか出ていなかった明治43年の作品としては斬新な詠みぶりで、ほとんど行分けのエッセイのような口語散文ですが、鉄幹らしい大らかさが横溢した好作になっています。この詩の「車」は最終連で車夫が出てくるように人力車で、人力車5台だけの葬列ですから寂しい内輪だけのものです。勘所は「啄木はロマンチツクな若い詩人だ、/初めて生まれた男の児をどんなに喜んだらう、/初めて死なせた児をどんなに悲しんでるだらう、」で始まる第三連ですが、「自分などは児供(こども)の多いのに困つてる、/一人や二人亡くしたつて平気でゐるかもしれない。/併し啄木はあの幌の中で泣いてゐる、屹度(きつと)泣いてゐる。」というのは啄木より13歳年上の鉄幹は当事37歳で、28歳で再婚した5歳年下の晶子夫人とはこの時すでに三男・三女をもうけていました(前夫人とは一女を亡くした後離婚しています)。鉄幹と晶子夫人はいかにも明治の夫婦らしく子沢山で、鉄幹46歳・晶子41歳の大正8年までに五男・六女をもうけています。渡欧中にも後から合流した晶子夫人を妊娠させて先に帰国させているほどです。この詩の初出誌は明らかではないのですが、「自分などは児供(こども)の多いのに困つてる、/一人や二人亡くしたつて平気でゐるかもしれない。」という2行は生前の啄木には残酷ですから、もっと穏当な表現だったのを啄木没後の詩集収録時に改稿された部分かもしれません(詩歌集『鴉と雨』刊行時には鉄幹は四男・五女の父とさらに子沢山になっていました)。島崎藤村(1872-1943)、土井晩翠(1871-1952)と並ぶ明治30年代詩人の中で、この鉄幹の「煙草」ほどの平易な口語自由詩に進んだのは長命だった河井醉茗(1874-1965)くらいしかいないので、鉄幹が口語自由詩を『鴉と雨』を最初と最後に止めてしまったのは歌人としての大成を選んだとしても惜しまれ、「煙草」自体は石川啄木の長男の葬儀という題材以外は平凡な詩篇なのですが、この平明な口語自由詩は平凡で平明な日常詩だからこそ発展の可能性・将来性のあるものです。いかんせん詩集にまとめられるのが機を逸したと言うべきで、大正4年にはすでに高村光太郎萩原朔太郎室生犀星らの口語自由詩の世代の詩人が登場していました。鉄幹は明治期に刊行した詩歌集でもどこか詩の主流からは微妙にずれた位置にあり、もし明治43年から明治末年までの間に口語自由詩の創作に集中して早く詩集をまとめていたら高村や萩原、犀星らを置いて口語自由詩の本格的な創始者になれたかもしれない詩人です。その機会をみすみす逃したのも鉄幹らしい大らかさと思えるので、鉄幹もまた未だに正当な評価を得られないでいる明治詩人かもしれません。

ハンプトン・ホウズ Hampton Hawes - エブリバディ・ライクス・ハンプトン・ホウズ Everybody Likes Hampton Hawes, Vol.3; the trio (Contemporary, 1956)

エブリバディ・ライクス・ハンプトン・ホウズ (Contemporary, 1956)

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ハンプトン・ホウズ Hampton Hawes - エブリバディ・ライクス・ハンプトン・ホウズ Everybody Likes Hampton Hawes, Vol.3; the trio (Contemporary, 1956) : https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nf9g5OBguuq82tCTVPWZqqayI9Bz77f40
Recorded at Contemporary's Studio in Los Angeles, California, January 25, 1956
Released by Contemporary Records Contemporary C3523, 1956
Enginered by Roy DuNann
Produced by Lester Koenig
All compositions by Hampton Hawes except as indicated
(Side 1)
1. Somebody Loves Me (George Gershwin, Buddy DeSylva, Ballard MacDonald) - 5:32
2. The Sermon (Hampton Hawes) - 3:42
3. Embraceable You (George Gershwin, Ira Gershwin) - 4:58
4. I Remember You (Victor Schertzinger, Johnny Mercer) - 4:28
5. A Night in Tunisia (Dizzy Gillespie, Frank Paparelli) - 3:54
(Side 2)
1. Lover, Come Back to Me/Bean and the Boys (Sigmund Romberg, Oscar Hammerstein II; Coleman Hawkins) - 5:13
2. Polka Dots and Moonbeams (Jimmy Van Heusen, Johnny Burke) - 4:42
3. Billy Boy (Traditional) - 3:01
4. Body and Soul (Johnny Green, Frank Eyton, Edward Heyman, Robert Sour) - 4:17
5. Coolin' the Blues (Hampton Hawes) - 4:18

[ The Hampton Hawes Trio ]

Hampton Hawes - piano
Red Mitchell - bass
Chuck Thompson - drums

(Original Contemporary "Everybody Likes Hampton Hawes" LP Liner Cover & Side 1 Label)
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 1950年代のモダン・ジャズ・ピアニストは名手に欠きませんでしたが、中でも誰がいいかと言うとロサンゼルスに生まれ、アメリカ西海岸のジャズ・シーンで活躍したピアニスト、ハンプトン・ホーズ(1928年11月13日生まれ-1977年5月22日没)になります。父は黒人長老派教会の牧師、母は教会のピアニストという恵まれた家庭に育ったホウズはハイスクール在学中からプロとして活動し、卒業したその日にはジェイ・マクニーリー楽団に押しかけ入団、2~3か月後には最新のビ・バップ・シーンで西海岸きってのバップ・トランペット奏者ハワード・マギーのバンドメンバーとなり、マギーのバンドで西海岸ツアーに来て約1年半ロサンゼルスに滞在したチャーリー・パーカーと共演しています(1947年3月)。白人ジャズマンの比率が高かったウエストコースト・ジャズにはアレンジ偏重や軟弱さなど先入観がつきまといがちですが、正統的なビ・バップ・ピアニストのホーズはバド・パウエル派ピアニストらしいスウィング感を誇りながらワーデル・グレイデクスター・ゴードンソニー・クリスらビ・バップ直球のサックス奏者とも、ショーティー・ロジャース(『Modern Sounds』1951年10月録音)やアート・ペッパー(『Surf Ride』1952年3月録音)ら白人ジャズマンのサイドマンとしても堅実な腕前を見せ、ロサンゼルス出身の黒人バップ・ピアニストとしては早くからニューヨークに進出したソニー・クラーク、夭逝したカール・パーキンスと並び、全米的なレコード売り上げによる人気の高さではクラークやパーキンスを抜く存在でした。1952年9月にはジョー・モンドラゴン(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)とのトリオでインディー・レーベルのディスカバリーに初のリーダー録音4曲を吹きこみますが、1953年~1955年の2年間は兵役に取られ日本に駐屯して過ごします。麻薬癖からほとんど営倉に拘置されていましたが、外出許可時にはビ・バップ学習期にあった秋吉敏子渡辺貞夫ら日本の若手ジャズマンとジャムセッションして戦後の日本のモダン・ジャズ定着に大きな貢献をします。ようやく帰国して除隊した1955年にはシェリー・マンからロサンゼルスきってのインディー・レーベル、コンテンポラリーに紹介され、社主のレスター・ケーニッヒもホウズのアルバム制作を熱望していました。コンテンポラリーと契約を結んだ同日に常連出演していたクラブのオーナーからホウズと組みたいというベーシストを紹介され、そのベーシストがニューヨーク出身でレッド・ノーヴォ(ヴィブラフォン)・トリオでチャールズ・ミンガスの後任を勤めていたレッド・ミッチェルで、初対面のセッションから意気投合したホウズとミッチェルはさらに旧知のドラマー、チャック・トンプソンを迎えてハンプトン・ホウズ・トリオを結成し、2週間契約だったクラブ出演は8か月のロングラン公演となって大好評を収めます。トリオのファースト・アルバム『The Trio Vol.1』はクラブ出演の最中、1955年6月28日の夜中から朝までにロサンゼルス警察学校体育館で、プロデューサーのケーニッヒ、エンジニアのロイ・デュナン、トリオのメンバーの奥さんたちを交えて行われました。2か月後に発売されたアルバムはコンテンポラリー・レコーズきってのベストセラーとなり、ホウズの名を全米的に知らしめるヒット作になりました。1955年は12インチLPレコード普及の最初の年であり、SPレコードや10インチLPのコンピレーションではなく最初から12インチLPとして制作されたホウズのアルバムは1955年にあって最上の録音、秀逸なジャケット、素晴らしい内容でジャズのピアノ・トリオ・アルバムとして最高の完成度を誇るものでした。

 コンテンポラリーは続いて1955年12月3日・1956年1月25日録音の『The Trio Vol.2』、1956年1月26日録音の『Everybody Likes Hampton Hawes, Vol.3; the trio』を同一メンバーで制作し、1956年11月12日~13日にはドラマーがエルドリッチ・フリーマンに交替、さらにギタリストのジム・ホール(元チコ・ハミルトン・クインテット、のちジミー・ジュフリー・トリオ、ソニー・ロリンズ・カルテット、アート・ファーマー・カルテット)を加えたカルテットで全16曲をスタジオ・ライヴ形式で録音し、演奏順・未編集で『All Night Session Vol.1』『Vol.2』『Vol.3』の3枚に分けて発売しました。『The Trio』の三部作で全米的な人気ピアニストになっていたホウズは『All Night Session』三部作で名声を決定的なものにし、1957年初夏にはニューヨークで先にニューヨーク進出していた親友ソニー・クラークと同居生活しながら『Curtis Fuller And Hampton Hawes with French Horn』(プレスティッジ、5月録音)、チャールズ・ミンガス唯一のピアノ・トリオ作『Mingus Three』(ジュビリー、7月録音)に参加しますが、ジャズマン激戦区のニューヨークではクラークともどもレコーディング以外の仕事はなく、ロサンゼルスに戻ってバーニー・ケッセル(ギター)、ミッチェル、マンとのカルテットで『Four!』(コンテンポラリー、1958年1月録音)、ハロルド・ランド(テナーサックス)、スコット・ラファロ(ベース、レッド・ミッチェルの弟子)、フランク・バトラー(ドラムス)のカルテットで『For Real』(コンテンポラリー、1958年3月録音)、ソニー・ロリンズの『コンテンポラリー・リーダース』(コンテンポラリー、1958年10月録音)の参加を経てルロイ・ヴィネガー(ベース)、スタン・リーヴィー(ドラムス)とのトリオで『The Sermon』(コンテンポラリー、1958年11月録音)を制作しますが、1959年には麻薬取締法で懲役10年の実刑判決を受けてしまいます。J・F・ケネディの暗殺による恩赦で5年の刑期に短縮され1964年には釈放されましたが、1960年代にはコンテンポラリーから4作のアルバムを発表するもアメリカ国内では保釈扱いのためライヴ活動はできず、'60年代後半からはドイツ、フランスに渡って本格的なアルバム制作とライヴ活動をようやく再開します。1970年代には・ビバップ再評価の風潮に乗って再び人気を取り戻し、晩年の作風は1歳年少のビル・エヴァンスから逆影響を受けたものでした。

 ホウズはマグマのたぎるようなバド・パウエルドライアイスのようなレニー・トリスターノとは違い、天才型でも際立った個性派でも超絶技巧型でもイノヴェーターでもないジャズマンでしたが、節度と品格があり軽やかで、抜群にスウィングもすればしっとりとしたバラード演奏にも優れ、洗練されたブルース感覚とリズム感には天稟の資質の良さがあり、中庸的な作風の中で最良の演奏が聴ける、波乱に富んだ生涯が演奏を損ねることがなかった素晴らしいジャズ・ピアニストでした。ホウズのアルバムは初期から順に聴いていくのが良く、出来映えからもデビューへの意欲からも最初のフルアルバム『The Trio Vol.1』が極めつけで、ロサンゼルスのジャズ界に不況が訪れ一度ニューヨークに進出して戻ってくるまで(両都市は交互に好況と不況をくり返していたした)の『The Trio』三部作、『All Night Session』三部作はどれも良く、1958年いっぱいまでの『Four!』『For Real』『The Sermon』と徐々に下降線をたどりますが、今回はホウズのキャリアの概略とともに『The Trio』三部作の3作目『エブリバディ・ライクス・ハンプトン・ホウズ』を上げました。1956年、昭和で言うと昭和31年にしてこの洒落たジャケットはニューヨークではないロサンゼルスの西海岸ジャズならではのセンスで、再発盤以降拝見が白地ではなくマリンブルーのものもありますが、ジャズのイラストのワニジャケと言えば本作です。ロサンゼルスの戦後の西海岸ジャズは1946年のチャーリー・パーカーの滞在に始まり、1955年と1956年にピークを迎えました。その2年間に西海岸(ロサンゼルス、ハリウッド)で制作されたモダン・ジャズのアルバムは名盤とされているものだけでも優に4~5ダースはあり、ニューヨーク中心の戦後モダン・ジャズ史からは見過ごされがちな埋もれた秘宝に満ちています。エキセントリックな、またはインパクトの強いニューヨーク・ジャズと較べると本作の軽やかな良さは別世界ですが、これもまたジャズの本流をなしているのです。

与謝野鉄幹「人を戀ふる歌」明治32年(1899年)

与謝野鉄幹明治6年(1873年)2月26日生~
昭和10年(1935年)3月26日没(享年62歳)
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人を戀ふる歌

 (三十年八月京城に於て作る)

妻をめどらば才たけて
顔うるはしくなさけある
友をえらばば書を讀んで
六分の俠氣四分の熱

戀のいのちをたづぬれば
名を惜むかなをとこゆゑ
友のなさけをたづぬれば
義のあるところ火をも踏む

くめやうま酒うたひめに
をとめの知らぬ意氣地あり
簿記の筆とるわかものに
まことのをのこ君を見る

あゝわれコレッヂの奇才なく
バイロン、ハイネの熱なきも
石をいだきて野にうたふ
芭蕉のさびをよろこばず

人やわらはん業平(なりひら)が
小野の山ざと雪を分け
夢かと泣きて齒がみせし
むかしを慕ふむらごころ

見よ西北にバルガンの
それにも似たる國のさま
あやふからずや雲裂けて
天火ひとたび降らん時

妻子をわすれ家をすて
義のため耻をしのぶとや
遠くのがれて腕を摩す
ガリバルヂイや今いかん

玉をかざれる大官は
みな北道(ほくどう)の訛音(なまり)あり
慷慨よく飲む三南(さんなん)の
健兒(けんじ)は散じて影もなし

四たび玄海の浪をこえ
韓(から)のみやこに來てみれば
秋の日かなし王城や
むかしにかはる雲の色

あゝわれ如何にふところの
劍は鳴をしのぶとも
むせぶ涙を手にうけて
かなしき歌の無からんや

わが歌ごゑの高ければ
酒に狂ふと人は云へ
われに過ぎたる希望(のぞみ)をば
君ならではた誰か知る

「あやまらずやは眞ごころを
君が詩いたくあらはなる
むねんなるかな燃ゆる血の
價すくなきすゑの世や

おのづからなる天地(あめつち)を
戀ふるなさけは洩すとも
人を罵り世をいかる
はげしき歌を秘めよかし

口をひらけば嫉みあり
筆をにぎれば譏りあり
友を諌めに泣かせても
猶ゆくべきや絞首臺

おなじ憂ひの世にすめば
千里のそらも一つ家
おのが袂と云ふなかれ
やがて二人のなみだぞや」

はるばる寄せしますらをの
うれしき文(ふみ)を袖にして
けふ北漢の山のうへ
駒たてて見る日の出づる方(かた)

(「伽羅文庫」「国文學」明治32年=1899年12月、「よしあし草」明治33年2月、初出原題「友を戀ふる歌」)


 京都生まれの歌人・詩人、与謝野寛こと鉄幹(1873-1935)は1歳年長の島崎藤村(1872-1943)より文壇への登場は早く、第1詩歌集『東西南北』は藤村の『若菜集』(明治30年8月刊)より1年早い明治29年(1896年)7月に刊行されています。藤村が『若菜集』収録詩篇を一気に書き始めたのは明治29年秋からですから、大反響を呼んだ与謝野鉄幹の『東西南北』に刺激された可能性は大いにありますが、鉄幹の詩歌集は短歌と新体詩をほぼ半々に収録した、まだ明治20年代の現代詩の過渡期を反映したものでした。また鉄幹自身に歌人としても詩人としても大成したい欲があり、鉄幹は明治年間の間はその後も短歌と新体詩を併載した詩歌集を発表していくことになります。鉄幹が主宰した詩歌誌「明星」からのちに有力な専門歌人、専門詩人が輩出されると、鉄幹はほぼ短歌と散文に創作を移すことになります。鉄幹の詩歌集は第2詩歌集『天地玄黄』明治30年(1897年)1月、合同詩集『この花』明治30年3月と続き、明治32年(1899年)の「新詩社」設立を経て明治33年4月に「明星」創刊、同年秋から門下の女弟子・鳳晶子、山川登美子と密接に交際が始まり、明治34年(1901年)3月刊の第3詩歌集『鉄幹子』刊行の頃に鉄幹と女弟子の交友をハーレム関係に見立てた新聲社刊行の匿名文『文壇照魔鏡』によるスキャンダルが起こります。鉄幹は明治32年に生後1か月で亡くした子供への失意から夫人と離別しており、戸籍上は離別した夫人と入籍したままでした。鉄幹は新聲社を告訴しますが敗訴に終わります。4月には鳳晶子との恋愛を背景にした第4詩歌集『紫』が刊行されます。同年秋には前夫人との離婚が正式に成立し、鉄幹は鳳晶子、つまり与謝野晶子(1878-1942)と結婚しました。

 今回ご紹介した「人を戀ふる歌」は雑誌発表時の原題通り友人たちの近況を思って詠った詩篇ですが、一行目の強い印象から「明星」門下の一番弟子の女性、鳳晶子を詠った詩篇と誤解されて世間に広まりました。京都生まれの鉄幹は自身を国士と持って任じ、青年時代の当時には実際に日本から朝鮮半島までを活動の場とする政治活動家の友人を多く持っていました。本作は明治34年3月15日刊行の第3詩歌集『鉄幹子』に収録されましたが、発表されたのは2年前の「伽羅文庫」明治33年2月5日号と早く、まだ鳳晶子との面識のない、「明星」創刊2か月前になります。「伽羅文庫」での原題は「友を戀ふる歌」で「あやまらずやは眞ごころを」から「猶ゆくべきや絞首臺」までの三連がなく、同月25日号の「国文學」で「人を戀ふる歌」に改題され、さらに1年後の「よしあし草」明治33年2月号に再発表される際に上記の三連が追加されて詩集収録型の通りになります。明治38年の改版では多少の字句の異動がありますが、連の増減や文意の変更ほどの改稿ではなく表記上の異動にとどまるものです。鉄幹は明治29年9月に母を亡くし、明治31年8月には僧侶の父を亡くして家督を相続していますから(鉄幹は四男ですが、年長の兄たちは親族の家督相続のため養子縁組していて鉄幹が父の家督を相続したと思われます)、鉄幹は事業として「新詩社」「明星」を設立・創刊したこともあり、家督相続者として20代前半までのように国士の友人たちのように実践的な政治活動への関わりは断念せざるを得なかったのがこの詩の背景になっている、と読むのが妥当と思われます。

 この詩は詩集収録前に3度も雑誌掲載されたように『鉄幹子』収録前から文学青年に限らず広く愛唱され、明治40年代からは学生寮歌の節に乗せて最初の三連が歌曲として普及したとされます。「妻をめどらば才たけて/顔うるはしくなさけある/友をえらばば書を讀んで/六分の俠氣四分の熱」との第一連だけでも心当たりのある人は多いでしょう。実際には「妻をめどらば才たけて/顔うるはしくなさけある」はつかみの文句で、「友をえらばば書を讀んで/六分の俠氣四分の熱」からがこの詩の本題となります。「妻をめどらば」の方がひとり歩きしてしまったのは怪文書『文壇照魔鏡』以来これが鉄幹の晶子とのおのろけとして読まれるようになってしまったからで、また唱歌として冒頭三連だけが切り離された型では政治活動家の友人たちに思いを寄せた内容に踏みこまないからですが、全篇を読む機会があっても鉄幹の詩には調子の良い軽さが目立つために鉄幹自身の挫折感はほとんど伝わってこないのです。「明星」は高村光太郎石川啄木北原白秋吉井勇谷崎潤一郎佐藤春夫らのちの大才を多く輩出しましたが、いずれも鉄幹の門下にあった頃には一種のハイカラな軽薄さから出発した点で共通しており、鉄幹自身が真に優れた創作家となるのは新人たちからはるかに時代遅れになり、孤立した流派の歌人として作歌に集中するようになってからでした。しかし他方に島崎藤村土井晩翠らを置けば鉄幹が優れた門弟に恵まれたのもその軽い青春性にあり、鉄幹自身は青年のミイラのような歌人として独自の成熟を迎えることになります。ただし与謝野鉄幹の明治期の詩歌集は文学的感興というよりは、鉄幹という詩人の伝記的註釈として読んだ時にようやく面白く読めるようなもので、鉄幹の果たした文学史的な役割の大きさに反して作品として実りあるものとはいい難いのはいたしかたないでしょう。しかし歌人としての鉄幹の業績は裏表のすっぽり欠けたスケールの大きさによって古典的な風格を備え、夫人の晶子の短歌よりもはるかに面白いものです。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド The Velvet Underground - ヴェルヴェット・アンダーグラウンドIII Velvet Underground (MGM, 1969)

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド - III (MGM, 1969)

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ヴェルヴェット・アンダーグラウンド The Velvet Underground - ヴェルヴェット・アンダーグラウンドIII Velvet Underground (MGM, 1969) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PLKMmPITagSpM5pGbAmbhCggvX5spBgZOs
Recorded at T.T,G. Studios, Hollywood, November-December, 1968
Released by MGM Records SE 4617, March 1969
Engineerd by Val Valentin
Produced by The Velvet Underground
All Songs written by Lou Reed
(Side 1)
A1. Candy Says - 4:04
A2. What Goes On - 4:55
A3. Some Kinda Love - 4:03
A4. Pale Blue Eyes - 5:41
A5. Jesus - 3:24
(Side 2)
B1. Beginning to See the Light - 4:41
B2. I'm Set Free - 4:08
B3. That's the Story of My Life - 1:59
B4. The Murder Mystery - 8:55
B5. After Hours - 2:09

[ The Velvet Underground ]

Lou Reed - vocals, guitars
Starling Morrison - guitars
Doug Yule - organ, bass, vocals (A1)
Maureen Tucker - drtms, percussion, vocals (B4, B5)

(Original MGM "The Velvet Underground" LP Liner Cover & Side 1 Label)
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 本作はヴェルヴェット・アンダーグラウンドのオリジナル・スタジオ・アルバム4作のうち第1作『The Velvet Underground & Nico』(Verve, 1967.3)、第2作『White Light / White Heat』(Verve, 1968.1)に続く第3作で、前作のあとマネジメントが変わり1968年3月にはオリジナル・メンバーのジョン・ケイル(ベース、ヴィオラ、オルガン)が脱退、1968年4月からは間髪入れず21歳のダグ・ユールが加入し、マネジメントの方針からライヴ活動を活発化するとともに契約レーベルもヴァーヴからヴァーヴの親会社のMGMに移籍して発表されました。このサード・アルバムはアンディ・ウォホールがパトロンだった時期の前2作からの仕切り直しの意味で単に『The Velvet Underground』とタイトルされ、アルバム・チャート171位のファースト、199位のセカンドよりもさらに成績は悪くチャートインしませんでした。バンドはMGMからの次作のために1969年4月~5月にデモテープ録音を続けますが、半ばMGMからクビ、半ば強引なマネジメントの画策でアトランティック・レコーズ傘下のコティリオンに移籍、制作された第4作『Loaded』(Cotillion, 1970.9)の発売前前の8月にルー・リードは脱退してケイル同様ソロ・アーティストに転向します。のちに1980年代になってサード・アルバムと『Loaded』の間のデモ・テープ集『VU』(Verve, 1985.2)と『Another View』(Verve, 1985.2)が発掘発売され、『Loaded』はMGMでの未発表デモ・テープとは重複しない新曲集で、『VU』『Another View』は独立したルー・リードの初期のソロ・アルバム『Lou Reed』(RCA, 1972.4)、『Transformer』(RCA, 1972.11)、『Berlin』(RCA, 1973.7)の収録楽曲がすでにヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代にデモ録音されていたのが判明します。「今や1960年代のロック・バンド中2番目(1位はビートルズとしても)と認められるようになった」と称される(1995年のボックスセット『Peel and Slowly』解説ブックレット)ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの活動歴と全アルバムについては、セカンド・アルバム『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』をご紹介した際に概略しましたので、そちらをご参照いただければ幸いです。

 実験音楽指向のジョン・ケイルの脱退はヴェルヴェットをより商業的な活動に向かわせるためのマネジメントの画策だったようですが、事実上双頭リーダーだったルー・リードとの確執もあったようです。マネジメントはバンドに若いダグ・ユールを新メンバーに加入させ、本拠地ニューヨークのみならず毎月のようにボストン、テキサス、アメリカ西海岸にツアー巡業させています。リードはのちにゲイを公言しますが、美青年のユールをいたく気に入ったようでオリジナル・メンバーのスターリング・モリソン、モーリーン・タッカーらもユールの優遇に不満を抱いたほどでした。しかしこの時期リードの作曲力は絶好調で、本作は佳曲を満載した名盤になりました。ヴェルヴェットのスタジオ盤4作はどれを聴いても聴いている間はこれこそ最高傑作ではないかと陶酔感をもたらすものですが、本作は4作中もっとも穏やかなサウンドのアルバムで、A1「Candy Says」から静謐なアシッド・フォーク曲、A4「Pale Blue Eyes」B2「I'm Set Free」などしっとりとした名曲が並び、ダグ・ユールが歌うA5「Jesus」は前2作では麻薬密売人やジャンキー、マゾヒズムや乱交パーティーを歌っていたバンドとは思えないほど純真な信仰心を歌った曲で、かえって裏読みを誘うような仕上がりです。

 一方A2「What Goes On」やB1「Beginning to See the Light」(デューク・エリントンのスタンダード曲とは同名異曲)などのロックンロール曲、カントリー・ブルース調のA3「Some Kinda Love」やB3「That's the Story of My Life」があり、モーリーンとリードがデュエットする前衛的なB4「The Murder Mystery」もあれば、アルバム最終曲はモーリーンが歌うポップス「After Hours」と捨て曲がなく、もっともヴェルヴェットの全アルバムに捨て曲はありませんが、ロック曲やカントリー・ブルース曲、実験的な曲や脳天気なポップスまであってもアルバム全体の印象はA1「Candy Says」やA4「Pale Blue Eyes」、A5「Jesus」やB2「I'm Set Free」のかもし出す、バッド・トリップ後の虚脱感さえ感じさせる美しいバラード曲です。

 欧米諸国のリスナーが日本のアンダーグラウンド・ロックのグループ、例えば裸のラリーズを聴くと「セカンド・アルバムのヴェルヴェット直系ではないか」と思うようですが、実際に裸のラリーズ(1968年結成)はブルー・チアーやヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響下に作風を形成したことを認めています。また欧米諸国のリスナーが日本のジャックスを聴くと「ヴェルヴェットのサード・アルバムではないか」と連想するようですが、ジャックスは1968年3月にデビュー・シングル「からっぽの世界」、5月にセカンド・シングル「マリアンヌ」を発表しており、ヴェルヴェットのサード・アルバムに比較されるデビュー・アルバム『ジャックスの世界』は1968年9月のリリースでした。ラリーズヴェルヴェット・アンダーグラウンドやアモン・デュールII、ホークウィンドらアメリカ、ドイツ、イギリスのアンダーグラウンド・ロックの影響下に作風を確立したバンドでしたが、ジャックスはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの初期2作が日本に紹介される前にすでにヴェルヴェット・アンダーグラウンド的なサウンドでデビューしてもいれば、類似点がもっとも多いヴェルヴェットのサード・アルバムの作風に関して言えばジャックスの方が先駆をなしていたのです。しかもジャックスは日本のアンダーグラウンド・シーンを二分する存在とされたフォーク・クルセダースと違って、ビートルズヴェンチャーズの大ファンが結成したフォーク・ロックのバンドながら、同時代のグループ・サウンズともまったく違う、英米ロックからの影響を完全に拒否したバンドでした。フリー・ジャズとアシッド・フォークを融合した嵐のような「マリアンヌ」、またマルチプレイヤーのドラマーがフルートにまわり、ドラムレスの異様なサウンド空間でサイケデリックなリード・ギターとフルートにフリー・ジャズ的なベース、アコースティック・ギターアルペジオで淡々と虚無的心象風景をつぶやくように歌う「からっぽの世界」は異常なリズム・アレンジ、説得力のあるヴォーカルでヴェルヴェットの「Candy Says」や「Jesus」、パールズ・ビフォア・スワインの「Another Time」や「Morning」をしのぐ独創的なアシッド・ロックの突然変異的な名曲でした。ジャックスより少し遅れて活動を開始し、作風の確立の遅かった裸のラリーズはジャックスからの影響は完全に否定しているほどです。

 とまれヴェルヴェット・アンダーグラウンドのオリジナル・アルバム4作『The Velvet Underground & Nico』、『White Light / White Heat』、本作『The Velvet Underground』、そしてリード在籍時の最終作『Loaded』はロック名盤リスト500枚などではすべて上位に上げられるもので、本作のA面5曲は多くのカヴァー・ヴァージョンを生む'60年式ロックのスタンダード・ナンバーとなっています。多彩な曲の並ぶB面も佳曲揃いで非常に完成度の高く、聴き飽きのしない元祖オルタネティヴ・ロックの名盤としてロサンゼルスのラヴやドアーズ、テキサスの13thフロア・エレベーターズの諸作に並ぶものです。このアルバムを流すと、部屋の湿度が一気に数度下がったと錯覚するほどに体感温度が下がります。ヴェルヴェットの4作の中でも不穏な穏やかさという点では本作は際だっており、このぎりぎりのバランス感覚が本作をポップなフォーク・ロックとは分けています。未体験の方はぜひ本作ならではの奇妙な音楽体験をお楽しみください。音響的にも脳内に直接響いてくるような本作のサウンドは病みつきになるようなもので、商業的ポップス(も当然良いものですが)とは一線を画すようなものです。また本作からジャックス、カン、アモン・デュール、裸のラリーズを結ぶ線はロックの裏街道をなしており、それもまたオルタネティヴ・ロックの元祖とされるゆえんです。

入沢康夫「哀切たるエピローグ」昭和46年(1971年)

入沢康夫昭和6年(1931年)11月3日生~
平成30年(2018年)10月15日没(享年86歳)
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哀切なるプロローグ

 ――またしても回り来った年のはじめに――
 入沢康翁

この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
 註1 誰によって、と君は問うのか。「読者」よ、君によってだ。「詩人」よ、君によってだ。

この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
 註2 「詩」は、であって「詩人」ではないというこの侮辱。このことによって詩は二重におとしめられ、「詩人」も実はいっそう深くはずかしめられている。

この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
 註3 ジャンルとしての「詩」を言っているのではない。ジャンルというなら、いずこも同じではあるまいか。

この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。
この国では、詩は、今日完全に
 註4「それは今にはじまったことではない」と、今、君は言うのか。

 侮辱された!
 註5 これを確認したまえ、ここに立ちたまえ、「詩」よ、君が憤死の道を選ぶなら、ぼくが介錯してあげる。けれども生きて、恥をそそぐというのなら、どんな道を通るのか、「詩」よ。これは見ものだ。いずれにもせよ、ぼくは君について行き、君の行方を見とどけよう。来週からを楽しみに。

この国では、詩は、今日完全に侮辱されている。


(「朝日ジャーナル」昭和46年=1971年1月1日・8日合併号)


 本作は週刊誌「朝日ジャーナル」が昭和46年に一年間に渡って第一線の詩人の新作詩を連続掲載する際、その第一弾として詩人・入沢康夫が「入沢康翁」名義で発表した作品です。この詩はのちの入沢康夫の詩集には収録されず、思潮社の「新選・現代詩文庫」の「109・新選入沢康夫詩集」昭和53年(1978年)3月刊の詩人・高橋睦郎(1937-)による書き下ろし巻末解説「排除された『詩』から」で全篇引用再録され、論じられるまで単行本未収録詩篇のままでした。詩集未収録詩篇、しかも「入沢康翁」名義による戯作の本作に焦点を当てたのは高橋睦郎の鋭い着眼点がうかがえ、またこの巻末解説に引用再録されることで初めて本作「哀切なるプロローグ」は場所を得たとも言えます。この詩は詩論の詩として明快そのものですから、それだけに詳細に検討することもできますし、高橋睦郎氏の批評で仔細に解読されていますから、屋上屋を重ねる必要はないでしょう。島崎藤村萩原朔太郎三好達治の詩から現代詩がいかに遠くに振り切れたかを本作は示してあまりあります。しかもこの「哀切なるプロローグ」すらすでに発表から50年を迎える詩なのです。

サン・ラ1979ライヴ映像&ディスコグラフィー

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Sun Ra Arkestra - North Sea Jazz Festival 1979 : https://youtu.be/3ZwW3tw86SY
Broadcasted Live at PWA ZAAL, Congresgebouw, Den Haag, Netherlands, July 15, 1979
(Tracklist)
00:06 - Space Is The Place
13:00 - Springtime Again
19:25 - The Sky Is A Sea Of Darkness When There Is No Sun
26:16 - They'll Come Back

 サン・ラのアルバム紹介の連載を始める前にも掲載しましたが、新春最初のサン・ラ紹介はライヴ映像とディスコグラフィーをお送りします。上掲の30分ほどのライヴ映像でサン・ラ&ヒズ・アーケストラ絶頂期のゴスペル・ファンク的なムードにあふれた、グルーヴィーなステージが堪能できます。特にヴォーカル曲の代表曲「Space is The Place」を「アーケストラの歌姫」ジューン・タイソン(1936-1992)とサン・ラ自身(1914-1993、当時65歳)がリード・ヴォーカルを分けあってデュエットする姿は絶品かつ必見で、バンド全員のコーラス・アンセム「They'll Come Back」(同曲はサン・ラの葬儀でも歌われ、今なおサン・ラ没後のサン・ラ・アーケストラのステージ定番曲になっています)で終わるこの30分に、サン・ラ&ヒズ・アーケストラの魅力は凝縮されています。

 サン・ラは「土星生まれの宇宙人を自称し、奇妙な"宇宙ジャズ"を主張する奇人ジャズマン」といまだに際物視されがちな大バンドリーダー兼作編曲家・ピアニストですが、その出自はデューク・エリントン楽団やカウント・ベイシー楽団に先立ってスタイルを確立し、ルイ・アームストロングコールマン・ホーキンスを輩出した「黒人ビッグ・バンドの父」フレッチャー・ヘンダーソン(1897-1952)晩年のヘンダーソン楽団の譜面係・アレンジャー・舞台/音楽監督からプロの音楽家キャリアを始めており、20世紀の黒人ジャズの歴史を体現したジャズマンでした。'50代半ばまではシカゴ~デトロイトの黒人音楽界の裏のボスとして、あらゆるジャンルのポピュラー音楽のプロデュースをこなしていた背景もあります。サン・ラに天啓が訪れたのは自分自身のバンド「サン・ラ・アンド・ヒズ・アーケストラ(Arkestra=Ark+Orchestraの造語、「箱舟楽団」)」を立ち上げる構想を得た1952年で、それまで本名のハーマン・プール・ブラウントだったサン・ラは土星人の転生者と自称するようになり、正式に戸籍名をル・ソニー・ラ(Le Sony'r Ra)と改名し、略してサン・ラ(またはラー、古代エジプトの太陽神)を以降の生涯の芸名としました。

 アーケストラの創設~絶頂期のレギュラー・メンバーには'50年代の新進気鋭奏者ジョン・ギルモア(テナーサックス、1935-1992)、パット・パトリック(バリトンサックス、1929-1991)、マーシャル・アレン(アルトサックス、サン・ラ没後の現役アーケストラ・リーダー、1924-)、ロニー・ボイキンス(ベース、1935-1980)らが参加しましたが、リーダーのサン・ラは1914年生まれであり、'40年代のビ・バップのジャズマンたちより少し年長なだけでした(ケニー・クラークと同年生まれ、ディジー・ガレスピーセロニアス・モンクは1917年生まれ、チャーリー・パーカー1920年生まれです)。ビ・バップのミュージシャンはモダン・ビッグバンド出身だったのに対して、サン・ラは'20年代ジャズ~'30年代の古典的ジャズに基礎教養があったことが結果的には自身のバンドでのデビューを遅らせていましたが、'50年代半ばになってビ・バップ以降の若手メンバーを見いだし、1955年にマネジメントのアルトン・エイブラハムとの契約によってサン・ラ&ヒズ・アーケストラを結成し、翌年42歳にしてようやく念願のバンドリーダーとしてデビューします。アルバム第1作『Jazz By Sun Ra』'57('56年録音)はハーヴァード大学法学科出身のインテリ黒人インディペンデント音楽プロデューサー、トム・ウィルソンの自主レーベル「Transition」から発売されたもので、トランジションは10数枚のアルバムをリリース後活動停止しましたがサン・ラ、セシル・テイラードナルド・バードらをデビューさせた功績は大きく、その後ウィルソンはニューヨークの独立プロデューサーになりサン・ラやセシル・テイラーのニューヨーク進出を後押ししたのちはフォーク/ロック畑に転じ、初期のボブ・ディランやサイモン&ガーファークル、アメリカ進出後のアニマルズ、さらにフランク・ザッパヴェルヴェット・アンダーグラウンドをデビューさせた人物です。

 サン・ラ&ヒズ・アーケストラは地元シカゴで人気を固めつつニューヨーク進出と全国的認知の獲得まで5~10年以上をかけた一方、'50年代から'80年代まで自主レーベルの「サターン(Saturn)」でのアルバムの制作・流通・販売をすべてメンバーでこなしていましたから、アーケストラのアルバムは制作と発売の時期が非常に錯綜しています。ビッグバンド維持のための多作('70年代以降は少なくとも年間4枚以上、多い時には8枚あまり)とサン・ラ生前未発表に終わったスタジオ盤とともに膨大な発掘ライヴ・アルバム(大半はCD2枚組以上、多い時では6~9枚組、最多で28枚組ものヴォリュームに上ります)が残されており、そのため作品の年代順が定めがたいので、通常のジャズマンの数倍に上る多産と旺盛な活動・創造力がなおさらサン・ラとサン・ラ&ヒズ・アーケストラの全体像をつかみづらくしています。

 プロデューサーからアーティストに転身後のサン・ラは享年までの約40年に180作あまりのアルバムを制作しており、音楽的変遷は5期に分けてとらえるのが妥当でしょう。

●第1期-1956年~1961年・シカゴ時代(デビュー・アルバムからニューヨーク進出準備まで)=約15作

●第2期-1961年~1969年・ニューヨーク潜伏時代(本拠地移転後60年代いっぱいのアルバム)=約30作

●第3期-1970年~1976年・国際メジャー進出時代(ヨーロッパ進出、メジャー契約成功期)=約55作

●第4期-1977年~1979年・国際メジャー定着時代(メインストリーム・ジャズ認知浸透期)=約30作

●第5期-1980年~1993年・メインストリーム浸透~総合晩年期=約60作
(通算没後発掘・編集盤、第1期~第5期通算没後発表80作以上)

 音楽的には第1期を中型モダン・ビッグバンド~エキゾチック・ジャズ期、第2期を小編成のフリージャズ期、第3期をエレクトロニクス導入と大編成のフリージャズ~ゴスペル・スペース・ジャズ・ファンク期、第4期をソロから小編成~大編成、アコースティック・ジャズからエレクトロニクス・ジャズまで様々な編成で完成度を高めた時期と言え、'80年代~享年に至る最後期の第5期は第1期~第4期までのあらゆる作風をアップ・トゥ・デイトした、もっとも円熟しきったサン・ラのジャズが聴けます。かつて筆者は2019年に閉鎖されたヤフーブログでサン・ラの全アルバムの約9割をご紹介しましたが、数の上でも膨大なだけにサン・ラの発掘アルバムは増え続けており、索引代わりに改めてサン・ラの全アルバムのディスコグラフィーをまとめ直しました。サン・ラはここに上げたアーケストラ結成以前の未発表音源や各年代の発掘音源も毎年数枚ずつリリースされており、それらも数え上げればこのディスコグラフィーもまだ80枚あまりを加えて総数240作以上に改訂することもできますが、サン・ラ没後も継承活動しているサン・ラ・アーケストラの公式サイトでのディスコグラフィー掲載アルバムはすべて網羅し、各種文献と手持ちのアルバムからまとめたのが以下のリストです。

 前記のサターン盤の自主制作事情から、メジャーのレコード会社作品ではあり得ないほどサン・ラのアルバムには正確な録音データが残っていないものも多く、中には意図的に録音・制作時期のサバを読んで発表されたアルバムもあるため、同年録音・制作とされるアルバムにも発表年の違いばかりかレコード番号も制作順・発表順の参考にならない場合があまりに多いのもサン・ラのサターン盤の特徴です。便宜上録音・制作・完成順を推定して通し番号をふりましたが、たとえば1973年のアルバム『Deep Purple』は1973年の最新録音を含みながら収録曲の大半はアーケストラ結成当初の1953年の未発表音源だったりと、ディスコグラフィー上の位置づけに問題のある作品も多数あります。同作についてはサン・ラ側としては20年前の録音をあえて最新作として発表する意図があったと思われ、何しろ宇宙人の時間感覚で活動していた人ですから録音時期や発表時期の混乱も時には無頓着、時にはわざとリスナーを煙に巻いていた節もあり、そこは1作1作を丁寧に聴いて見分けをつけるしかありません。録音・制作後すぐ発表されたアルバムは◎、発表の遅れたアルバムは○、サン・ラ没後の発掘盤は※を付しましたが、初期ほど一旦お蔵入りになっていたアルバムが多いのもわかります(1956年~1961年のアルバムで即時発売されたのは4作しかありません)。さらに今後も発掘音源が発見され、それらを足していくとなると完全なリストにはほど遠いのですが、サン・ラの作品群は20世紀ジャズ至極の秘宝と言えるものです。ご参考、お役立ていただければ幸いです。

[ Sun Ra and his Arkestra 1956-1961 Album Discography ]
●第1期-1956年~1961年・シカゴ時代(デビュー・アルバムからニューヨーク進出準備まで)=15作
◎制作後すぐ新作として発売されたアルバム
○発表の遅れたアルバム
※サン・ラ没後の発掘盤
◎1. Jazz By Sun Ra (Sun Song) (Transition TRLP J-10, rec.1956/rel.1957)
◎2. Super-Sonic Jazz (Saturn H7OP0216, rec.1956/rel.1957)
○3. Sound of Joy (Delmark DS-414, rec.1956/rel.1968)
○4. Visits Planet Earth (Saturn LP No. 9956-11, rec.1956-58/rel.1966)
○5. The Nubians of Plutonia (Saturn LP-406, rec.1958-59/rel.1966)
◎6. Jazz in Silhouette (Saturn LP5786, rec.& rel.1959)
○7. Sound Sun Pleasure!! (El Saturn SR 512, rec.1959/rel.1970)
○8. Interstellar Low Ways (El Saturn SR 9956-2-M/N, rec.1959-60/rel.1966)
※9. Music For Tomorrow's Mood (Atavistic USM/ALP-237CD, rec.1969/rel.2002)
○10. Fate In A Pleasant Mood (Saturn Research LPSR99562B, rec.1960/rel.1965)
○11. Holiday For Soul Dance (Saturn Research ESR508, rec.1960/rel.1970)
○12. Angels and Demons at Play (Saturn 407, rec.1956-60/rel.1965)
※13. Spaceship Lullaby (Atavistic UMS ALP-243CD, rec.1955-1960, rel,2003)
○14. We Travel The Space Ways (Saturn LP409, rec.1956-61/rel.1967)
◎15. The Futuristic Sounds of Sun Ra (Savoy MG-12169, rec.1961/rel.1962)

[ Sun Ra and His Arkestra 1961-1969 Album Discography ]
●第2期-1961年~1969年・ニューヨーク潜伏時代(本拠地移転後60年代いっぱいのアルバム)=29作
◎制作後すぐ新作として発売されたアルバム
○発表の遅れたアルバム
※サン・ラ没後の発掘盤
○1. (16) Bad and Beautiful (Saturn LP-532, rec.1961/rel.1972)
○2. (17) Art Forms of Dimensions Tomorrow (Saturn LP-9956, rec.1961-1962/rel.1965)
◎3. (18) Secrets of the Sun (Saturn London404, rec.1962/rel.1965)
○4. (19) What's New? (Saturn 52735, rec.1962/rel.1975)
◎5. (20) When Sun Comes Out (Saturn LP-2066, rec.1963/rel.1963)
◎6. (21) It's Limbo Time (Dauntless DM-4309, rec.&rel.1963) as "Ron Croney, Queens of Limbo, with Orchestra and Chorus"
○7. (22) Cosmic Tones for Mental Therapy (Saturn LP-408, rec.1963/rel.1967)
○8. (23) When Angels Speak of Love (Saturn LP-1966, rec.1963/rel.1966)
◎9. (24) Other Planes of There (Saturn KH-98766, rec.1964/rel.1966)
○10. (25) Featuring Pharoah Sanders & Black Harold (Saturn IHNY-165, rec.1964/rel.1976)
※11. (26) Other Strange World (Roaratorio roar33, rec.1965, rel.2014)
◎12. (27) The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume One (ESP-Disk 1014, rec.1965/rel.1965)
◎13. (28) The Magic City (Saturn lPG-711, rec.1965/rel.1966)
◎14. (29) The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume Two (ESP-Disk 1017, rec.1965/rel.1966)
※15. (30) The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume Three (ESP-Disk ESP 4002, rec.1965/rel.2005)
◎16. (31) Impression of A Patch of Blue (MGM SE-4358, rec.1965/rel.1966) Walt Dickerson Quartet
※17. (32) The Ark And The Ankh (CD IKEF-02, rec.1966/rel.2001)
○18. (33) Nothing Is (ESP-Disk 1045, rec.1966/rel.1966)
※19. (34) College Tour Vol,I~Complete Nothing Is... (ESP-Disk ESP4060, rec.1966/rel.2010)
※20. (35) Space Aura (Art Yard AY10001, rec.1966/rel.2013)
◎21. (36) Strange Strings (Saturn LP-502, rec.1966/rel.1967)
◎22. (37) Batman and Robin - The Sensational Guitars of Dan and Dale (Tifton 78002, rec.1966/rel.1966)
◎23. (38) Monorails and Satellites, volumes 1 (Saturn SR-509, rec.1966/rel.1968)
◎24. (39) Monorails and Satellites, volumes 2 (Saturn LP-519, rec.1966/rel.1967)
○25. (40) Our Spaceways Incorporated (Saturn 14300A/B, rec.1966-1968/rel,1974) Various Sessions
◎26. (41) Continuation (Saturn ESR-520, rec.1968/rel.1969)
◎27. (42) A Black Mass (Jihad Productions 1968, rec.1968/rel.1968)
○28. (43) Picture of Infinity (Black Lion 30103, rec.1967-1968/rel,1971)
◎29. (44) Atlantis (Saturn ESR-507, rec.1967-1969/rel.1969)

[ Sun Ra & His Arkestra 1970-1976 Album Discography ]
●第3期-1970年~1976年・国際メジャー進出時代(ヨーロッパ進出、メジャー契約成功期)=53作
◎制作後すぐ新作として発売されたアルバム
○発表の遅れたアルバム
※サン・ラ没後の発掘盤
◎1. (45) My Brother the Wind (Saturn LP-521, rec.1969-1970/rel.1974)
◎2. (46) The Night of the Purple Moon (Saturn LP-522, rec.1970/rel.1970)
◎3. (47) My Brother the Wind Volume II (Otherness) (Saturn LP-523, rec.1969-1970/rel.1971)
○4. (48) Space Probe (aka A Tonal View of Times Tomorrow, Vol.1) (Saturn Sun Ra 14200A/B, rec.1963-1970/rel.1974) Various Sessions
◎5. (49) The Invisible Shield (aka Janus, A Tonal View of Times Tomorrow, Vol. 2, Satellites are Outerspace) (Saturn LP-529, rec.1962-1970/rel.1974) Various Sessions
○6. (50) Out There A Minute (Brast First BFFP-42, rec.1969-1970/rel.1989) Various Sessions
◎7. (51) Solar Myth Approach Vol.1 (BYG Around 40-529340, rec.1969-1970/rel.1974)
◎8. (52) Solar Myth Approach Vol.2 (BYG Around 41-529341, rec.1969-1970/rel.1974)
○9. (53) Nuits de la Fondation Maeght, Volume I (Shandar SR-10.001, rec.1969-1970/rel.1974)
○10. (54) Nuits de la Fondation Maeght, Volume II (Shandar SR-10.003, rec.1969-1970/rel.1974)
◎11. (55) It's After the End of the World (MPS 2120748, rec.1970/rel.1971)
※12. (56) Black Myth/Out in Space (Complete '"It's After the End of the Worlds" Sessions, Motor Music 557656-2, rec.1970/rel.1998)
※13. (57) Live In London 1970 (Transparency 0317, rec.1970/rel.1990)
※14. (58) The Creator of The Universe(The Lost Reel Collection Vol.1) (Transparency 0301, rec.1971/rel.2007)
◎15. (59) Universe In Blue (Saturn LP-200, rec.1971/rel.1972)
※16. (60) The Paris Tapes - Live at Le Theatre Du Chatlet 1971 (Art Yard KSAY 6N, rec.1971/rel.2010)
※17. (61) Helsinki 1971 The Complete Concert And Interview (Transparency 0314, rec.1971/rel.2010)
※18. (62) Intergalactic Research (The Lost Reel Collection Vol.2) (Transparency 0302, rec.1971&1972/rel.2007)
※19. (63) Calling Planet Earth (Freedom CD-741071, rec.1971/rel.1998)
◎20. (64) Nidhamu (Saturn Thoth Intergalactic KH-1272, rec.1971/rel.rel.middle 70's)
◎21. (65) Live in Egypt 1 (Dark Myth Equation Visitation) (Saturn Thoth Intergalactic 7771, rec.1971/rel.middle 70's)
◎22. (66) Horizon (Saturn 1217718, rec.1971rel.middle 70's)
※23. (67) Space Is the Place (soundtrack) (Evidence 22070-2, rec.1972/rel.1993)
※24. (68) The Shadows Took Shape (The Lost Reel Collection Vol.3) (Transparency 0303, rec.1972/rel.2007)
◎25. (69) Astro Black (Impulse! As-9255, rec.1972/rel.1973)
※26. (70) Live At Slug's Saloon (Transparency 0313, rec.1972/rel.2008)
※27. (71) The Universe Sent Me (The Lost Reel Collection Vol.5) (Transparency 0305, rec.1972&1973/rel.2008)
◎28. (72) Discipline 27-II (Saturn 538, rec. 1972/rel.1972)
※29. (73) Life Is Splendid (Alive/Total Energy NER-3026, rec.1972/rel.1999)
◎30. (74) Space is the Place (Blue Thumb BTS-41, rec.1973/rel.1973)
○31. (75) Crystal Spears (Impulse!, rec. 1973/rel.2000)
○32. (76) Cymbals (Impulse! AS-9297, Rec.1973/rel.2000)
○33. (77) Deep Purple (Saturn LP-485, rec.1953-1973/rel.1973) Various Sessions
◎34. (78) Pathways to Unknown Worlds (Impulse! ASD-9298, rec.1973/rel.1975)
○35. (79) Friendly Love (Evidence EDC 22218-2, rec.1973/rel.2000)
※36. (80) What Planet Is This? (Leo Golden Years of New Jazz GY 24/25, rec.1973/rel.2006)
※37. (81) Untitled Recordings (Transparency 0309, rec.1973/rel.2008)
※38. (82) Outer Space Employment Agency (Alive/Total Energy NER-3021, rec.1973/rel.1999)
◎39. (83) Live in Paris at the "Gibus" (Atlantic 40540, rec.1973/rel.1975)
※40. (84) The Road To Destiny (The Lost Reel Collection Vol.6) (Transparency 0306, rec.1973/rel.2010)
※41. (85) Concert for the Comet Kohoutek (ESP 3033, rec.1973/rel.1993)
※42. (86) Planets Of Life Or Death: Amiens '73 (Art Yard STRUTCDJ123, rec.1973/rel.2015)
◎43. (87) Celebration For Dial Times (Saturn unknown number, rec.&rel.1973or1974)
◎44. (88) Out Beyond the Kingdom Of (Saturn 61674, rec.1974/rel.1974)
◎45. (89) The Antique Blacks (Saturn 81774, rec.1974/rel.1974)
※46. (90) It Is Forbidden (Alive/Total Energy Total NER3029, rec.1974/rel.2001)
◎47. (91) Sub Underground (Saturn 92074, rec.1974/rel.1974)
※48. (92) Dance of The Living Image (The Lost Reel Collection Vol.4) (Transparency 0304, rec.1974/rel.2007)
※49. (93) United World In Outer Space-Live In Cleveland (Leo Golden Years of New Jazz GY 29, rec.1975/rel.2009)
◎50. (94) What's New? (Saturn LP-539, rec.1975/rel.1975)
◎51. (95) Cosmos (Cobra COB-37001, rec.1976/rel.1976)
◎52. (96) Live at Montreux (Saturn MS-87976, rec.1976/rel.1976)
※53. (97) A Quiet Place in the Universe (Leo CD LR-198, Rec.1976&1977/rel.1994)

[ Sun Ra & His Arkestra Album Discography 1977-1979 ]
●第4期-1977年~1979年・国際メジャー進出時代(メインストリーム・ジャズ認知浸透期)=28作
◎制作後すぐ新作として発売されたアルバム
○発表の遅れたアルバム
※サン・ラ没後の発掘盤
◎1. (98) Solo Piano, Volume 1 (Improvising Artists Inc., rec.1977.5.20/rel.1977)
◎2. (99) St. Louis Blues (Solo Piano vol.2) (Improvising Artists Inc., rec.1977.7.3/rel.1978)
◎3. (100) Somewhere Over the Rainbow (also "We Live to Be") (Saturn, rec.1977.7.3/rel.1978)
◎4. (101) Some Blues but not the Kind That's Blue (also "Nature Boy" & "My Favorite Things") (Saturn, rec.1977.7.18/rel.1977)
◎5. (102) The Soul Vibrations of Man (Saturn, rec.1977.11/rel.1977)
◎6. (103) Taking a Chance on Chances (Saturn, rec.1977.11/rel.1977)
◎7. (104) Unity (Horo, rec.1977.10.24&29/rel.1978)
◎8. (105) Piano Recital - Teatro La Fenice, Venezia (Leo, rec.1977.11.24/rel.2003)
◎9. (106) New Steps (Horo, rec.1978.1.2&7/rel.1978)
◎10. (107) Other Voices, Other Blues (Horo, rec.1978.1.8&13/rel.1978)
※11. (108) The Mystery of Being (klimt mjj, rec.1978.1/rel.2011)
◎12. (109) Media Dreams (Saturn, rec.1978.1/rel.1979)
◎13. (110) Disco 3000 (Saturn, rec.1978.1.23/rel.1978)
◎14. (111) Sound Mirror; Live in Philadelphia '78 (Saturn, rec.1978.1/rel.1978)
◎15. (112) Of Mythic Worlds (Philly Jazz, rec.1978/rel.1980)
※16. (113) Live at the Horseshoe Tavern, Toronto 1978 (Transparency, rec.1978.3.13,9.27,11.4/rel.2008)
◎17. (114) Walt Dickerson & Sun Ra; Visions (Steeplechase, rec.1978.7.11/rel.1979)
◎18. (115) Lanquidity (Philly Jazz, rec.1978.7.17/rel.1978)
※19. (116) Springtime in Chicago (Leo, rec.1978.9.25/rel.2006)
◎20. (117) The Other Side of the Sun (Sweet Earth, rec.1978.11.1, 1979.1.4/rel.1979)
○21. (118) Song of the Stargazers (Saturn, rec.middle'70's/rel.1979)
◎22. (119) Sleeping Beauty (also "Door of the Cosmos") (Saturn, rec.1979.6/rel.1979)
◎23. (120) Strange Celestial Road (Rounder, rec.1979.6/rel.1979)
◎24. (121) God Is More Than Love Can Ever Be (also "Blithe Spirit Dance", "Days of Happiness" & "Trio") (Saturn, rec.1979.7.25/rel.1979)
◎25. (122) Omniverse (Saturn, rec.1979.9.13/rel.1979)
◎26. (123) On Jupiter (also "Seductive Fantasy") (Saturn, rec.1979.5, 1979.10.16/rel.1979)
※27. (124) Live From Soundscape (DIW, rec.1979.11.10,11/rel.1994)
◎28. (125) I, Pharaoh (Saturn, rec.1979-probably1980.6.6/rel.1980)

[ Sun Ra and his Arkestra Album Discography 1980-1993 ]
●第5期-1980年~1993年・メインストリーム浸透~総合晩年期)=57作
◎制作後すぐ新作として発売されたアルバム
○発表の遅れたアルバム
※サン・ラ没後の発掘盤
◎1. (126) Sunrise in Different Dimensions (hat Hut 2R17, 2 LPs, rec.&rel.1980)
※2. (127) Live in Rome (Transparency 0315, 2CD, rec.1980, rel.2010)
◎3. (128) Voice of the Eternal Tomorrow (The Rose Hue Mansions of the Sun) (Saturn 91780, rec.&rel.1980)
◎4. (129) Aurora Borealis (Ra Rachmaninov) (Saturn 10480, 12480, rec.&rel.1980)
◎5. (130) Beyond the Purple Star Zone (Immortal Being) (Saturn 123180, rec.&rel.1981)
※6. (131) God's Private Eye (No label, double CD, rec.1981, rel.2000)
◎7. (132) Dance of Innocent Passion (Saturn Sun Ra 1981, rec.1980/rel.1981)
◎8. (133) Oblique Paralax (Journey Stars Beyond) (Saturn IX SR 72881, rec.&rel.1982)
※9. (134) The Complete Detroit Jazz Center Residency Dec. 26th, 1980 - January 1st. 1981 (Complete Oblique Paralax, Transparency 0307, 28CD, rec.1981, rel.2007)
※10. (135) Myron's Ballroom - Audio Series Volume One (Transparency 0236, 3CD, rec.1982, rel.2006)
◎11. (136) Nuclear War (Saturn 1984-A / 1984-C, rec.1982/rel.1984)
◎12. (137) A Fireside Chat with Lucifer (Saturn Gemini 19841; A/B 1984SG-9, rec.1983/rel.1984)
◎13. (138) Celestial Love (Saturn Gemini 19842; C/D 1984SG-9, rec.1983/rel.1984)
◎13. (139) Ra to the Recue (Saturn IX/ 1983-220, rec.1983/rel.1984)
◎14. (140) Just Friends (Saturn XI Saturn 1984A/B, rec.&rel.1983)
◎15. (141) The Sun Ra Arkestra Meets Salah Ragab in Egypt (Praxis CM 106, rec.&rel.1983)
※16. (142) Sun Rise in Egypt vols. 1, 2 and 3 (Sphynx Records, Cairo, ECD 25735, rec.1983/rel.2006)
※17. (143) Sun Ra All Stars Milan, Zurich, West Berlin, Paris (Transparency 0311, 5CDs. rec.1983/rel.2008)
◎18. (144) Love in Outer Space: Live in Utrecht (Leo LR-154, rec.1984/rel.1988)
◎19. (145) Live at Praxis 84 Vol. I (Praxis CM 108, rec.&rel.1984)
◎20. (146) Live at Praxis 84 Vol. II (Praxis CM 109, rec.1984/rel.1985)
◎21. (147) Live at Praxis 84 Vol. III (Praxis CM 110, rec.1984/rel.1986)
※22. (148) Astral Planes & New Moonbeams Live in Atlanta 1984 (Jewells of Jazz, no date, rec.1984/rel.2003) Bootleg LP
◎23. (149) Hiroshima (Stars that Shine Darkly, vol. 1) (Saturn 10-11-85, rec.1983/rel.1985)
◎25. (150) Outer Reach Intensity-Energy (Stars that Shine Darkly, vol. 2) (Saturn Gemini 9-1213-85, rec.1983/rel.1985)
◎26. (151) When Spaceships Appear (Cosmo-Party Blues) (Children of the Sun) (Saturn Sun Ra 101485 A/B, rec.1983-1985/rel.1985)
◎27. (152) Cosmo Sun Connection (Saturn/Recommended SRRRD 1, rec.1984/rel.1985)
※28. (153) Club Lingerie - Audio Series Volume Two (Transparency 0237, 2CD, rec.1985/rel.2006)
◎29. (154) Un"Sung Stories" (Slash Records LP 25481-1, rec.1985/rel.1986)
◎30. (155) John Cage Meets Sun Ra (Meltdown MPA-1, rec.1986, rel.1987)
※31. (156) Live At Red Creek, Rochester, NY (Sagittarius A-Star 03, Italy, rec.1986, rel.2010)
◎32. (157) A Night in East Berlin (Saturn cassette, no number; track 1 only, rec.&rel.1986)
◎33. (158) Reflections in Blue (Black Saint 101, 120 101, rec.1986/rel.1987)
◎34. (159) Hours After (Black Saint 120 111, rec.1986/rel.1990)
◎35. (160) Bratislava Jazz Days 1987 (Opus 9115 2080-81, rec.1987/rel.1988)
◎36. (161) Hidden Fire 1 (Saturn Sun Ra 13188III/ 12988II, rec.&rel.1988)
◎37. (162) Hidden Fire 2 (Saturn Sun Ra 13088A/ 12988B, rec.&rel.1988)
◎38. (163) Stay Awake (A&M AMA3918, rec.&rel.1988)
◎39. (164) Live at Pit-Inn (Cosmo Omnibus Imagiable Illusion) (DIW 824 1988-CD, rec.&rel.1988)
◎40. (165) Blue Delight (A&M CD 5260, rec.1988/rel.1989)
◎41. (166) Somewhere Else (Rounder 3036, rec.1988-1989/rel.1993)
※42. (167) Other Thoughts (ZUW 0001, rec.1989/rel.1993)
○43. (168) Second Star to the Right (Salute to Walt Disney) (Leo LR 230, rec.1989, rel.1995)
○44. (169) Stardust from Tomorrow (Leo LR 235/236, rec.1989/rel.1996)
◎45. (170) Purple Night (A&M 75021 5324 2, rec.1989/rel.1990)
◎46. (171) Live in London 1990 (Blast First BFFP 60, rec.&rel.1990)
◎47. (172) Beets: A Collection of Jazz Songs (Elemental/TEC 90901, rec.&rel.1990)
◎48. (173) Mayan Temples Black Saint 120 121-2, rec.1990/rel.1992)
◎49. (174) Destination Unknown (Enja 7071, rec.1990/rel.1992)
◎50. (175) Pleiades (Leo LR210/211, rec.1990/rel.1993)
※51. (176) Live at the Hackney Empire (Leo LR 214/215, 2CD, rec.1990/rel.1994)
◎52. (177) Friendly Galaxy (Leo LR 188, rec.1991/rel.1993)
○53. (178) Cosmos Visions (Brast First BFFP CD-101, rec.1991/rel.1994)
◎54. (179) At the Village Vanguard Rounder 3124, rec.1991/rel.1993)
※55. (180) Live In ULM 1992 (Leo GY 30/31, rec.1992/rel.2014)
◎56. (181) Destination Unknown (ENJA-7071, rec.&rel.1992)
◎57. (182) A Tribute to Stuff Smith (Soul Note 121216- 2, rec.&rel.1993)遺作
※58. (183) The Singles (Evidence ECD-22164-2, 2CD, rec.1954-1982/rel.1996) Various Sessions 既発表シングル集
※59. (184) The Eternal Myth Revealed Vol.1 (Transparency 0316, 14CD Boxset, rec.1921-1976/rel.2012) Various Sessions 未発表音源ボックス・セット
※60. (185) Wake Up Angels (Live At The Ann Arbor Blues & Jazz Festival 1972-73-74) (ARTYARD CD012, 2012) "Life is Splendid", "Outer Space Employment Agency", "It's Forbidden"収録

2021年新作冬アニメ(1月~3月)放映予定表・首都圏版

 2020年はもともとオリンピック予定で新作放映予定自体が少なかった上に、春アニメ(4月~6月)以降は感染病禍による製作遅延から大幅に放映予定が急遽変更される作品が相次ぎ、何とか放映にこぎつけた作品も禍中の製作進行によって品質の低下が指摘されるものが大半という惨状でした。2020年を代表するアニメには劇場版『鬼滅の刃』がありましたが、感染病禍以前から製作されていた同作の記録的大ヒットを明とすれば、2020年の惨状を記念するとんでもない「暗」を代表するのは放映中からカルト化する盛り上がりを見せた怪作『ジビエート』だったでしょう。

 今季も2021年冬(1月~3月)の深夜テレビアニメ放映予定を一覧表にしました。掲載は新作のみ、首都圏地上波と無料BS放映の日程だけ載せましたが、全国各地域でも地方局・キー局で放映されると思いますので目安にご覧ください。固定ファンを持つ人気作品の続編・第二期放映も多いので、それなりに手堅い印象を受ける反面、新味に乏しい観もありますが、2020年の春~夏~秋アニメよりは充実したラインナップかもしれません。ご利用いただければ幸いです。また、放映曜日・時間帯の変更、再放映作品については放映が始まったら随時訂正・追加していきますので、現時点で間違いがありましたらご容赦ください。これがほとんど今年最後の記事(まだ明日がありますが)になるとは年甲斐もなく少々恥かしいですが、ヒマ人一人暮らしの筆者はこのリストの新作は全部観る、面白ければ行幸で、つまらない作品でもくまなく観る予定でございます。それでは、みなさまにおかれましても、よいお年をお迎えになられますように。

●日曜日
◎魔道祖師(日本語吹替版)
TOKYO MX:01/10(日) 21:30~
BS11:01/10(日) 22:30~
弱キャラ友崎くん
TOKYO MX:01/10(日) 22:00~
BS11:01/09(土) 22:00~
◎スケートリーディング☆スターズ
TOKYO MX:01/10(日) 22:30~
BS11:01/12(火) 24:00~
◎怪物事変
TOKYO MX:01/10(日) 23:00~
BS11:01/12(火) 24:30~
◎IDOLY PRIDE
TOKYO MX:01/10(日) 23:30~
BS日テレ:01/10(日) 23:30~
無職転生-異世界行ったら本気だす-
TOKYO MX:01/10(日) 24:00~
BS11:01/10(日) 24:00~
◎EX-ARMエクスアーム
TOKYO MX:01/10(日) 25:05~
>BSフジ:01/12(火) 24:00~
のんのんびより のんすとっぷ(第3期)
テレビ東京:01/10(日) 25:35~
BSテレ東:01/11(月) 24:30~
進撃の巨人 The Final Season
NHK総合:12/06(日) 24:10~
◎じみへんっ!!~地味子を変えちゃう純異性交遊~
TOKYO MX:01/03(日) 25:00~

●月曜日
◎ゲキドル ACTIDOL SCHOOL 新春スペシャル(第1話&劇中劇「アリスインデッドリースクール」特別版)
TOKYO MX:01/04(月) 21:00~
7SEEDS 第2期※Netflix配信済
TOKYO MX:01/04(月) 22:30~
◎たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語
TOKYO MX:01/04(月) 23:00~
BS11:01/04(月) 23:00~
ウマ娘 プリティーダービー Season2
TOKYO MX:01/04(月) 24:00~
BS11:01/04(月) 24:00~
◎裏世界ピクニック
TOKYO MX:01/04(月) 24:30~
BS11:01/04(月) 24:30~
アズールレーン びそくぜんしんっ!
TOKYO MX:01/11(月) 25:00~
BS11:01/11(月) 25:00~
◎真・中華一番! 第二期
TOKYO MX:01/11(月) 25:10~
BS日テレ:01/13(水) 24:00~
◎WAVE!!~サーフィンやっぺ!!~(※劇場公開済)
テレビ東京:01/11(月) 26:00~

●火曜日
転生したらスライムだった件 第2期 第1部
TOKYO MX:01/12(火) 23:00~
BS11:01/12(火) 23:30~
文豪ストレイドッグス わん!
TOKYO MX:01/12(火) 24:30~
BS11:01/13(水) 24:00~
◎ワールドウィッチーズ発進しますっ!
TOKYO MX:01/12(火) 24:45~
BS11:01/13(水) 24:15~
ワンダーエッグ・プライオリティ
日本テレビ:01/12(火) 25:35~
BS日テレ:01/13日(水) 25:00~

●水曜日
七つの大罪 憤怒の審判※初回事前特番
テレビ東京系:01/06(水) 17:55~
BSテレ東:01/06(水) 24:30~
銀魂 THE SEMI-FINAL(新作アニメ特別編)全2話
>dTV:01/15(木) 19:00~
ログ・ホライズン -円卓崩壊-(第3期)
NHK Eテレ:01/13(水) 19:25~
魔術士オーフェンはぐれ旅 キムラック編 (第2期)
TOKYO MX:01/20(水) 22:00~
>BSフジ:01/21(木) 24:30~
Re:ゼロから始める異世界生活 第2期後半クール
TOKYO MX:01/06(水) 23:30~
BS11:01/06(水) 25:00~
◎アイ★チュウ
TOKYO MX:01/06(水) 23:00~
BS11:01/10(日) 23:30~
◎装甲娘戦機
TOKYO MX:01/06(水) 24:00~
BS11:01/06(水) 25:30~
◎オルタンシア・サーガ
TOKYO MX:01/06(水) 24:30~
BS11:01/06(水) 24:30~
BEASTARS(ビースターズ) 第2期
>フジテレビ:01/06(水) 24:55~
>BSフジ:01/--(-) ~

●木曜日
SHOW BY ROCK!!STARS!!
TOKYO MX:01/07(木) 22:00~
Dr.STONE(ドクターストーン) 第2期
TOKYO MX:01/14(木) 22:30~
BS11:01/14(木) 24:00~
>BSフジ:01/07(木) 25:05~
ゆるキャン△ SEASON2
TOKYO MX:01/07(木) 23:30~
BS11:01/07(木) 23:30~
天地創造デザイン部
TOKYO MX:01/07(木) 24:00~
>BSフジ:01/08(木) 24:30~
ひぐらしのなく頃に 業(新作) 14話以降
TOKYO MX:01/07(木) 24:30~
BS11:01/07(木) 24:30~
◎2.43 清陰高校男子バレー部
>フジテレビ:01/07(木) 24:55~
◎回復術士のやり直し
TOKYO MX:01/13(水) 25:05~
BS11:01/13(水) 25:00~
約束のネバーランド 第2期
>フジテレビ:01/07(木) 25:25~
>BSフジ:01/13(水) 24:30~
◎五等分の花嫁∬ (第2期)
>TBS:01/07(木) 25:28~
BS11:01/08(金) 23:30~

●金曜日
蜘蛛ですが、なにか?
TOKYO MX:01/08(金) 22:30~
BS11:01/08(金) 23:00~
◎バック・アロウ
TOKYO MX:01/08(金) 24:00~
BS11:01/08(金) 24:00~
WIXOSS DIVA(A)LIVE
TOKYO MX:01/08(金) 24:30~
BS11:01/08(金) 24:30~
◎おとなの防具屋さん 第2期
TOKYO MX:01/08(金) 25:00~
◎プレイタの傷[PROJECT SCARD]
>TBS:01/08(金) 25:55~
BS-TBS:01/08(金) 26:30~
◎俺だけ入れる隠しダンジョン
>TBS:01/08(金) 26:25~
BS-TBS:01/08(金) 27:00~

●土曜日
はたらく細胞 第2期
TOKYO MX:01/09(土) 23:30~
BS11:01/09(土) 23:30~
はたらく細胞 BLACK
TOKYO MX:01/09(土) 24:00~
BS11:01/09(土) 24:00~
ホリミヤ
TOKYO MX:01/09(土) 24:30~
BS11:01/09(土) 24:30~
◎Levius レビウス
TOKYO MX:01/09(土) 25:00~
BS11:01/09(土) 25:00~
◎怪病医ラムネ
TOKYO MX:01/09(土) 25:30~
BS11:01/09(土) 25:30~
ワールドトリガー 2ndシーズン
テレビ朝日系:01/09(土) 25:30~
◎SK∞ エスケーエイト
テレビ朝日系:01/09(土) 26:00~

●放映日未定
◎闇芝居 第8期
テレビ東京:01/--(-) ~

バートン・グリーン・カルテット Burton Greene Quartet (ESP, 1966)

バートン・グリーン・カルテット (ESP, 1966)

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バートン・グリーン・カルテット Burton Greene Quartet (ESP, 1966) : https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nf3mRd6mtnXPUIEM5wnJOTqybHVdAgYX8
Recorded in January 1966.
Released by ESP Disk ESP 1024, 1966
All written by Burton Greene
(Side A)
A1. Cluster Quartet - 12:08
A2. Ballade II - 10:34
(Side B)
B1. Bloom In The Commune - 8:04
B2. Taking It Out Of The Ground - 13:02

[ Burton Greene Quartet ]

Burton Greene - piano
Marion Brown - alto saxophone
Frank Smith - tenor saxophone (B2 only)
Henry Grimes - bass
Dave Grant - percussion (A1, B1, B2)
Tom Price - percussion (A2 only)

(Original ESP "Burton Greene Quartet" LP Liner Cover & Side A Label)
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 年末年始でもこのブログはかまわず平常運転でいきます。本作の主役、バートン・グリーンは1937年イリノイ州シカゴ生まれで、ご覧のジャケット写真の通り19世紀のデカダン詩人のような容貌が目を惹く白人ジャズマンとしてフリー・ジャズ界から活動を始めた珍しいピアニストでした。白人ジャズ・ピアニストでフリー・ジャズに移り、やはりESPディスクからフリー・ジャズ作品を発表した先輩格にはポール・ブレイがいましたが、ブレイはハード・バップ時代にチャールズ・ミンガスマックス・ローチの共同レーベルのDebutからデビューし、ビル・エヴァンスとピアノ・デュオ作品で共演し、ソニー・ロリンズのサイドマンも勤め、オーネット・コールマンをバンドメンバーに迎えた実績があり、いわば出自のしっかりしたジャズマンでした。グリーンはと言えば最初からフリー・ジャズのピアニストとしてデビューしたので、このアルバムや当時のライヴでもマリオン・ブラウンやヘンリー・グライムズ、ゲストに迎えたファロア・サンダースら黒人メンバーのプレイはいいのにグリーンのピアノは駄目、とジャーナリズムの不評をこうむることになりました。結局グリーンはフリー・ジャズに見切りをつけて新発明のムーグ・シンセサイザーに活路を見出し、メジャーのコロンビアにシンセサイザー音楽のアーティストとして迎えられ、シンセサイザー・アルバム『Presenting Burton Greene』で再デビューし、'70年代はグリーン自身の創設した自主レーベルで順調に新作を発表する実験音楽家になります。

 グリーンが不運だったのは、当時フリー・ジャズ支持者のインテリのジャズ批評家やリスナーの大半は白人黒人問わずフリー・ジャズを急進的かつ尖鋭的な黒人ジャズ運動と考えていたことで、一部の白人ジャズマン(主に黒人ジャズマンのサイドマン出身者)を除いては認められるのが難しかった事情があります。フリー・ジャズというと滅茶苦茶や出鱈目という安易なイメージがありますが、実際のフリー・ジャズのほとんどは調性もあれば和声も旋律(音階)もある音楽なので、西洋楽器を使っている以上当然そうなり、フリー系のジャズマンは演奏に肉声やノイズ的ニュアンス、または逆に極端な抽象性・幾何学性を与えることで新しい響きを出そうとしました。本作のオープニング曲A1「Cluster Quartet」などはABA'B'=26小節(先のABが14小節、後のA'Bが12小節)のシンプルでオーソドックスな変型ブルース曲で、楽曲自体に新しいアイディアはまったくありませんし、グリーンだけでなく駆け出し時代のマリオン・ブラウンもまだまだ稚拙な演奏で、凄腕ベーシストのグライムズでもっているような演奏です。しかしこれは稚拙だからこそチャーミングな演奏で、この曲ならではの輝きがあります。アルバム全編がA1の水準を保てなかった弱味が本作の愛嬌で、5分過ぎないとピアノが出てこないバラードのA2、幾何学的テーマの喧騒ナンバーB1、B2も悪くないのですが、肝心のグリーンの演奏はピアノのクラスター奏法(拳や手の平で打鍵する)、内部奏法(ピアノの弦を直接爪で弾く)、打撃奏法(ピアノ本体を叩いたり蹴飛ばしたりする)など前衛音楽的手法を駆使すればするほど、やや年長のセシル・テイラーポール・ブレイ、アンドリュー・ヒルらに較べてセンスがぞんざいでサウンドが雑というか、素人くさい演奏になってしまうのです。ライヴではマリオン・ブラウンら黒人メンバーが生彩を放っていたのにグリーンはまるで冴えなかった、ただの前衛気取りにすぎないと評されていたのも何となく納得のいくもので、アイディア倒れの白人ジャズと言っては身も蓋もありませんが、ESPディスク自体もけっこう山師的な側面も強い新興フリー・ジャズ・レーベルでしたからグリーンのようなピアニストがデビューする余地があったということです。グリーンはのちジャズ界に復帰して、本作よりぐっと落ち着いたピアニストになりましたが、ESP作品らしいうさんくささと処女作ならではの若気のいたりの良さがあるこのデビュー作はジャケットのムードも伴って今でもひっそりと長く細く愛聴されていて、巻頭曲A1と全編に漂う何となくぎくしゃくした「これじゃない」雰囲気だけでも忘れがたいアルバムになっているのはジャズ史の片隅の美談でしょう。こういうあまり出来の芳しくないアルバムほど訴えかけてくるようないじらしさがあり、馬鹿な子ほど可愛いという人情の機微に触れるものがあります。凡人や悪人だって人間には違いないように二流のフリー・ジャズだってジャズには違いないではないかとしみじみ感じいらせてくれる滋味のあるアルバムで、グリーンにはこれが本気の全力だったと思われるだけに、ますます身につまされる力作には違いありません。

与謝野鉄幹「誠之助の死」、佐藤春夫「愚者の死」明治44年(1911年)

与謝野鉄幹明治6年(1873年)2月26日生~
昭和10年(1935年)3月26日没(享年62歳)
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誠之助の死

大石誠之助は死にました。
いゝ気味な、
機械に挟まれて死にました。
人の名前に誠之助は沢山ある、
然し、然し、

わたしの友達の誠之助は唯一人。
わたしはもうその誠之助に逢はれない、
なんの、構ふもんか、
機械に挟まれて死ぬやうな、
馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。

それでも誠之助は死にました、
おお、死にました。

日本人で無かつた誠之助、
立派な気ちがひの誠之助、
有ることか、無いことか、
神様を最初に無視した誠之助、
大逆無道の誠之助。

ほんにまあ、皆さん、いい気味な、
その誠之助は死にました。

誠之助と誠之助の一味が死んだので、
忠良な日本人は之(これ)から気楽に寝られます。
おめでたう。

(「三田文學」明治44年=1911年4月)


 与謝野鉄幹(1873-1935)の第七詩歌集『鴉と雨』(大正4年=1915年8月刊)より。この詩篇明治43年(1910年)5月から6月にかけて「天皇暗殺」「国家転覆」を企てたとして検挙された、幸徳秋水らを中心とする社会主義運動家26名のグループにあって、翌明治44年1月18日に行われた判決で2名を除く24名が死刑を宣告され、早くも同月24日、25日には半数の被告が死刑執行された中に加わっていた和歌山県紀伊新宮町の医師、大石誠之助(1867-1911)の死を追悼して創作・発表されたものです。この「大逆事件」と呼ばれる事件は完全な捏造検挙・判決・処刑であることが当初から知識人階級には知れ渡っており、大逆事件被告の検挙に続いて明治43年には国家の「安寧秩序紊乱」を名目に思想・言論統制が強化され、一般的な文芸誌から「ホトトギス」「新思潮」に至る純粋な文学誌までが発禁処分を受けるとともに明治30年代~40年代の社会主義文献・社会主義文学も禁書になりました。陸軍軍医総監(将軍に相当します)だった森鴎外すらこの官憲の強権には反発し、「フアスチエス」「沈黙の塔」「食堂」(「三田文學」明治43年9月、11月、12月)などの屈折した権力批判的作品を連続発表しているほどです。また慶応大学教授にあってこの年創刊の「三田文學」を主宰した永井荷風大逆事件をきっかけに明治以降の国家体制に決定的な不信感を抱いて作風を転換させており、この年デビューした新人・谷崎潤一郎の耽美的作風も体制批判的な背景を持ったものでした。

 与謝野鉄幹明治39年(1906年)11月に主宰する新詩社・「明星」(のち「スバル」)同人の茅野蕭々、吉井勇北原白秋らとともに紀伊に遊び、新宮町でアメリカ留学の経験もあり、短歌研究家でもあった同町きっての文化人の医師、大石誠之助に町内を案内され、それ以降大石の教養と人格に尊敬の念を抱いていました。大逆事件の時には新詩社同人の弁護士、平出修が特別弁護人に就きましたが、平出は事件が完全な捏造冤罪事件であることを仔細に調査し、当時朝日新聞社校正係だった石川啄木(1886-1912)は新詩社友人の平出から幸徳秋水を始めとする被告たちの陳述書を閲覧する機会を得て大逆事件の捏造経過を追究したノート「日本無政府主義者陰謀事件経過及び付帯現象」をまとめていますが、啄木は明治45年4月には26歳で病死し、このノートは太平洋戦争敗戦後の啄木全集で公表されるまで陽の目を見ませんでした。その代わり大逆事件を隠れたテーマとした未完詩集『呼子と口笛』が啄木没後翌年の『啄木遺稿』に収録されて、啄木の大逆事件への関心は早く知られることになります。

 鉄幹はそうした大逆事件の裏側を周辺の文人たちの証言からも早くから周知しており、また大石誠之助の人物像からも事件の捏造冤罪を確信していましたが、専門家の弁護士・平出修の弁論すら法廷は無視して揉み消し死刑判決を決定、一週間後には異例の早急な死刑執行を知ったのです。ジャーナリズムに影響力を持つ知識人・徳富芦花ですら天皇への減刑嘆願書を新聞発表したのに死刑は強行されたので、知識人・文化人全般への衝撃と落胆は甚大なものでした。特に新詩社・「明星」「スバル」~「三田文學」関係の文学者は弁護士・平出修を通じてあからさまに事件の過程を知ったので、幸徳秋水・大石誠之助らが処刑された直後の明治44年には3月の「スバル」に木下杢太郎「和泉屋染物店」や佐藤春夫「愚者の死」、4月の「三田文學」に「誠之助の死」を含む与謝野鉄幹の「春日雑詠」、7月の「創作」には石川啄木の『呼子と口笛』に収録される詩篇6篇などが一斉に発表されます。

 啄木も16歳の明治35年(1902年)、与謝野鉄幹の新詩社・「明星」によって新進詩人・歌人としてデビューした人でしたが、和歌山県出身の詩人・小説家、佐藤春夫(1892-1964)も明治41年(1908年)、16歳で「明星」への投稿短歌が選者の啄木に選ばれ、翌明治42年1月には「明星」廃刊に伴う新詩社の「スバル」創刊号に短歌の発表が認められています。佐藤は明治43年に郷里の新宮中学校を卒業して新詩社に出入りし、慶応大学に学んで永井荷風に師事するようになりました。佐藤の実家は代々新宮町で医業を営んでおり、佐藤春夫の父・豊太郎は同じ町の開業医同士で大石誠之助と親交がありました。佐藤春夫明治44年3月の「スバル」に発表したのが、のちの昭和27年(1952年)の『定本佐藤春夫全詩集』のうちの「初期習作拾遺篇」に初めて収められた「愚者の死」です。

愚者の死

 佐藤春夫

千九百十一年一月二十三日
大石誠之助は殺されたり。

げに厳粛なる多数者の規約を
裏切る者は殺さるべきかな。

死を賭して遊戯を思ひ、
民族の歴史を知らず、
日本人ならざる者
愚なる者は殺されたり。

『偽より出でし真実(まこと)なり』と
絞首台上の一語その愚を極む。

われの郷里は紀州新宮。
渠(かれ)の郷里もわれの町。

聞く、渠が郷里にして、わが郷里なる
紀州新宮の町は恐怯(きょうきょう)せりと。
うべさかしかる商人(あきんど)の町は歎かん。

――町民は慎めよ。
教師らは国の歴史を更にまた説けよ。

(「スバル」明治44年3月)

 佐藤春夫は別件の事件で収監中だったため大逆事件検挙から免れた大杉栄と親交を持ち、また大正12年(1923年)には高橋新吉の第一詩集『ダダイスト新吉の詩』の刊行に書店を取り持ち、序文を寄せた人ですが、昭和12年(1937年)には「日本浪漫派」の同人となり戦時下には『戦線詩集』(昭和14年)、『日本頌歌』(昭和17年)、『大東亜戦争』(昭和18年)、『奉公詩集』(昭和19年)などの戦争翼賛詩集のほか多数の翼賛文集を発表しています。昭和23年には前年の土井晩翠に続いて蒲原有明とともに芸術院会員になっており、すでに70代になっていた晩翠、有明よりも佐藤春夫は20歳あまり年少で芸術院会員に推挙・入会したことになります。「日本浪漫派」の同人の多くは当時戦争翼賛の文業が戦犯扱いになって公職追放になっており、それを思うと佐藤が多数の戦時中の翼賛詩・翼賛文集刊行にもかかわらず芸術院会員に任命されたのは知識階級とジャーナリズムによる免罪符的な意味の強いものでした。佐藤は文壇全体に「門人三千人」と呼ばれるほどの影響力を持っており、『定本佐藤春夫全詩集』も斎藤茂吉の『ともしび』、高村光太郎の『典型』(茂吉、高村とも戦時下の戦争翼賛詩歌集の第一人者でした)に続いて読売文学賞を受賞しています。与謝野鉄幹昭和10年に亡くなったため大東亜戦争翼賛詩歌集はありませんが長命を得れば翼賛詩歌の時代に直面したに違いなく、、佐藤春夫の例を見ると「誠之助の死」「愚者の死」ともに思想的な骨格は意外ともろく、国家総動員規模の戦時体制に直面するといかがだったかと懸念されます。石川啄木の親友で啄木の最晩年まで公私ともに啄木の面倒を見た国文学者・金田一京助によると最晩年の病床、啄木は国粋主義者に転向していたという証言もあり、国家権力と民衆への絶望の後は極端な国粋主義に振れる例は三島由紀夫を上げるまでもありません。「誠之助の死」「愚者の死」はそれ自体は反骨精神に富んだ立派な詩ですが、動機は友人、同郷の大先輩への迫害という個人的な契機に基づいており、これをいかにして貫き、さらに尖鋭的な思想詩(または反思想詩)に到達できるかは、家族主義の延長にとどまる明治刀自的な与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」同様心もとない印象もぬぐえません。