大正文学
室生犀星・明治22年(1889年)8月1日生~ 昭和37年(1962年)3月26日没(享年72歳) 兇賊TICRIS氏 TICRISはふくめんを為す。 TICRISは思ひなやみ、 盗むことを念ず。 盗むことを念ずるとき光を感じ 心神を感ず。 ぴすとるを磨き、 天をいだき、 妹には熱き接吻を与…
千家元麿(明治21年=1888年生~昭和23年=1948年没) わが児は歩む 千家元麿吾(わ)が児は歩む 大地の上に下ろされて 翅(はね)を切られた鳥のやうに 危く走り逃げて行く 道の向ふには 地球を包んだ空が蒼々として、 底知らず蒼々として日はその上に大波を蹴ち…
(大正10年、東京高等師範学校卒業頃の八木重吉、満23歳) (手稿小詩集「ことば(大正14年6月7日)」より「あかんぼもよびな」直筆稿) 「明日」 八木重吉まづ明日も目を醒まそう 誰れがさきにめをさましても ほかの者を皆起すのだ 眼がハッキリとさめて気持ちも…
第1詩集『半分開いた窓』(私家版) 大正15年(1926年)11月3日・太平洋詩人協会刊 [ 小野十三郎(1903-1996)、大正15年=1926年、第1詩集『半分開いた窓』刊行の頃、23歳。] 「嵐の歌」 小野十三郎銛をうたれた鯨のやうに 真黒な雲が空を荒れ狂ふ グリリと出歯包…
[ 小野十三郎(1903-1996)、大正15年=1926年、第1詩集『半分開いた窓』刊行の頃、23歳。] 第1詩集『半分開いた窓』(私家版) 大正15年(1926年)11月3日・太平洋詩人協会刊 「ロマンチシズムに」 小野十三郎僕は頭脳の中で 非常に無性格な一つの風景を想起する …
[ 小野十三郎(1903-1996)、大正15年=1926年、第1詩集『半分開いた窓』刊行の頃、23歳。] 第1詩集『半分開いた窓』(私家版) 大正15年(1926年)11月3日・太平洋詩人協会刊 「野鴨」 小野十三郎僕はあの蘆間から 水上の野鴨を覗ふ眼が好きだ きやつの眼が大好き…
(大手拓次明治20年=1887年生~昭和9年=1934年没>) (大手拓次の自筆原稿とイラスト) 「手を嗅ぐ少年」 大手拓次わたしはちひさい時に よく自分の手のにほひをかいだ。 くんくんとまるで犬の子のやうに自分の手をかいだ。 まいにちまいにちちかはつたにほひ…
[ 小野十三郎(1903-1996)、大正15年=1926年、第1詩集『半分開いた窓』刊行の頃、23歳。] 第1詩集『半分開いた窓』(私家版) 大正15年(1926年)11月3日・太平洋詩人協会刊 「林」 秋になつて 郊外の林の中へ入つて行つた 林の中でみたものが魚の骨 林の中から…
『ダダイスト新吉の詩』中央美術社・大正12年(1923年)2月25日 [ 高橋新吉(1901-1987)・21歳、第1詩集『ダダイスト新吉の詩』刊行の頃 ] 「断言はダダイスト」 高橋新吉DADAは一切を断言し否定する。 無限とか無とか、それはタバコとかコシマキとか単語とかと…
松井須磨子・明治19年(1886年)3月8日生~大正8年(1919年)1月5日没、享年32歳 正確には「歌謡詩」というよりも「舞台劇挿入歌」と呼ぶべきでしょうが、北原白秋(1885-1942)は歌謡詩の分野でも抜群の才人でした。白秋は20代にして当代の詩王と呼ばれた長崎生ま…
(25歳頃の萩原朔太郎と末妹・愛子) 萩原朔太郎(1886-1942)は広い愛読者を持つ詩人ですが、決定版全集とされる草稿から異稿まで網羅した大冊で全16巻におよぶ筑摩書房版の『萩原朔太郎全集』より、青年時代には萩原の秘書だった晩年の三好達治(1900-1964)がや…
(山村暮鳥明治17年=1884年生~大正13年=1924年没>) 『聖三稜玻璃』初版=四方貼函入り型押し三方山羊革表紙特製本/にんぎょ詩社・大正4年(1915年)12月10日発行 (着色型押し三方山羊革表特紙本) 1915 I-II くれがた くれがたのおそろしさ くりやのすみの玉葱…
(山村暮鳥明治17年=1884年生~大正13年=1924年没>) 山村暮鳥(明治17年=1884年1月10日生~大正13年=1924年12月8日没)の第2詩集『聖三稜玻璃』全編はほぼ均等な4部に分かれ、本文中の該当ページに「1915 III-V」「1914 V-」「1914 VII-XII」「1915 I-II」…
(山村暮鳥明治17年=1884年生~大正13年=1924年没>) 山村暮鳥(明治17年=1884年1月10日生~大正13年=1924年12月8日没)の第1詩集『三人の處女』は大正2年(1913年)5月に島崎藤村(1872-1943)の序文を巻頭に掲げて刊行されましたが、成立までには明治45年(1912年)3…
(佐藤春夫明治25年=1892年生~昭和39年=1964年歿>) 『詩文集・我が一九二二年』 大正12年(1923年)2月18日・新潮社刊・装画=岸田劉生 我が一九二二年 佐藤春夫 目次 秋刀魚の歌 秋衣の歌 憂たてさ 浴泉消息 或る人に 冬の日の幻想 同心草拾遺 つみ草 別離 龍…
高村光太郎詩集『道程』・大正3年10月(1914年)抒情詩社刊 (明治44年、自宅アトリエにて、29歳の高村光太郎) 根付の国 高村 光太郎 頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫つた根付(ねつけ)の様な顔をして、 魂をぬかれた様にぽかんとして 自分…