人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

氷見敦子詩集、その他のエッセイ

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○コメントと断片より

(1)美しいコメントありがとうございます。この『小石川植物園へ』は85年9月に同人誌に発表されたもので、遺稿詩集「氷見敦子詩集」の終りから5番目の作品です。詩人は10月6日に急逝しますが、末期癌の本人告知は9月ですから「氷見敦子詩集」は絶筆以外は末期癌だと知らされない晩年1年間の作品集です。引用した3連は子どもを持たない女性の詩として類をみない痛切な表現です。母親になった友人たちの名前を(説明なしで)次々と上げていく無技巧の技巧など諦念などといった言葉では尽くせません。立中潤と氷見敦子を並べたのはこの比類のない純粋さ、ぎりぎりの生命感だとお判りいただけたでしょうか。

(2)蒲原有明の自伝小説「夢は呼び交わす」は日本の詩人の自伝では最高の作品で、全盛期以後は極端に寡作になった詩人にとって70代(77歳没)の全力をもって完成した遺作です。エッセイと散文詩と回想・自作解説が交錯する構成なので「自伝になっていない」と批判されるような作品ですが、有明が書いているのは「詩」なのです。青年時代の性的乱脈は非常に晦渋な書き方をしており(明治末期には日本にもフリーセックスの思想があり、詩人=小説家の岩野泡鳴はその提唱者で、有明の親友でした)、70代になっても精神的苦痛だったのが判ります。有明の詩と生涯について知るとこの自伝をよりよく味わえます。

(3)氷見敦子は5年間に5冊の詩集、という異例に多い(ヴォリュームでは中原中也「羊の歌」「或りし日の歌」を合わせた程度)詩集発表ですが、詩集ごとにはっきりと文体は力強くなり、テーマは明確になっていきます。「氷見敦子詩集」は末期癌による死の予感以外に考えられませんが、これほど急速ではないにせよ氷見の到達点は晩年の作品群の実存的認識だったでしょう。命取りになる病がなければまだ先の展開もあったひとです。没後27年ですが、存命であればまだ57歳の円熟した年配です。平易な文体で空間や時間を自在に操る手腕にも注目してください。

(4)その後アンパンマンのお面は無事に持ち主の手に還ったようです。ここは鉄道会社の社宅団地なので、入居条件があるのか小学校就学未満の子どものいる家族ばかりです。みんな21世紀生まれなんだな、おれも10年前は4歳と1歳の女児の父親だったんだな、となんとなく思います。