人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(完)アングラ・フォークの台頭

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まずフォーク・クルセダーズが注目され、フォークがそれまでのカレッジ・フォークからよりラディカルに変質を遂げていることを知らしめた。それは商業化したGSよりもロックの本質に基づいていた。先駆者として高石友也が登場した。もはや高校生以上の年代はGSを時代遅れと見倣した。
ただし高石はフォーク・シンガーではあったがソングライターではなかった。そこで高石は後輩フォーク・シンガーのオリジナルや海外フォークの日本語版、民謡を取り上げ、フォーク出身の売れないロック・バンドをバックに起用した。アルバム3作で高石の活動が一旦休止したのは、ソングライターたちが各自デヴューし、バック・バンドも解散したからだった。そのバンドがジャックスで、ソングライターは岡林信康、西岡たかし(「五つの赤い風船」)になる。掲載アルバムは、
○「ジャックスの世界」1968.9(画像1・東芝)
○「わたしを断罪せよ 岡林信康アルバム第1集」1969.8(画像2・URC)
五つの赤い風船おとぎばなし」1969.8(画像3・URC)
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で、それぞれアルバム第一作。さらに、各自の活動も行いつつ岡林信康のバック・バンドを勤めたはっぴいえんど細野晴臣松本隆、70年代初頭のNo.1ロック・キーボード奏者で自己のグループではっぴいえんどの後任で岡林のバックを勤めた柳田ヒロが在籍したのが、
○「エイプリル・フール」1969.10(画像4・コロンビア)
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で、これが唯一のアルバム(他に映画「エロス+虐殺」にピンク・フロイド風のインスト曲を1曲提供)。

フォークルとジャックスは突然変異だった。まったく規格外のアンダーグラウンド・ロックをいきなり確立してしまった。フォークルは加藤和彦、ジャックスは早川義夫。だが両者ともメンバー全員が凄かった。フォークルは機知と才能があったが、ジャックスはまったく生身だった。洋楽の影響からも断絶していた。
ジャックスはあまりに売れず第二作「ジャックスの奇蹟」69.10の発売を待たず8月に解散してしまうが、早川は発足したばかりのインディー・レーベルのディレクター(プロデューサー)に就任。岡林、風船、休みの国、遠藤賢司はっぴいえんどURCレーベルのアーティストはほとんど早川=ジャックスによって方向性を定めたと言える。頭脳警察ですらルーツにジャックスを上げるのだ。