人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

軽薄尻軽馬鹿女が世界を廻す

責任転嫁のために前置きすれば、これは筆者の私見ではない。英ロック・バンド、クイーンの「ファット・ボトムド・ガールズ」という曲の一節による(アルバム「ジャズ」1978)。
もちろん軽薄尻軽馬鹿男というのも確かに存在する。が、こちらは金の切れ目が縁の切れ目というか、尻軽の成立条件にも一夫多妻制の様式が残っている(女性の財産相続権はたかだか戦後のものであり、女性の相続権は嫁ぎ先である夫に属し、かつまた女性は姦通罪で婚外交渉を禁止されていた事実からも女性=財産という交換価値だったことを留意されたい)。

女は美貌、男は金という見も蓋もない世界観は「紳士は金髪がお好き」1953をピークとした富める時代のハリウッド映画のおはこだった。男の条件は割合ややこしくて、ただの金持ちでは器量に乏しい。あえて金には無頓着、というのも同じ価値観をめぐるヴァリエーションにすぎない。望んで貧乏な男、貧乏に充足している男は決して肯定されない。描かれたとしても必ず罰が下る。一方女性の美貌についてはさまざまな付加価値を求められるようになった分、モンローはヘプバーンより偽善性が少なく、さらにヘプバーンは現代女優より偽善性が少ない。30~40年代に栄えたスクリューボール・コメディは画期的な女性優位主義映画だったが、30年代は不況、40年代は戦争と、男の世界はパッとしなかったのだ。これはアメリカ文学では低迷期のヘミングウェイに顕著に表れている。

だが同世代の同じ軽薄尻軽馬鹿男でも、ヘンリー・ミラーのようなヒモ体質の男には、乱世に異国を放浪する乞食生活は違和感のないことだった。それを言えばヘミングウェイだってヒモ体質で、それが同世代でもフィッツジェラルドのような新興中産階級作家ともフォークナーの血族・土着性とも彼らを分ける。だがヘミングウェイは男性優位主義が強く、ミラーよりも分裂を抱え込んでいた。男性優位主義のヒモ!?

タイトルだけ決めて書き始めたので本論であるジェンダー(性の社会性)になかなか入らない。これは「記事を書くモチベーションが上がらない、書くことがないから」というかたの小見出しを見て、「書くこと」はあるんじゃない、見つけ出すものなんだよ、と思って無理を承知で書き始めたらたちまち無理が生じた見本になってしまった。気が向けば明日続きを書くかもしれない。