続々(自粛または巨人優勝の夜に)

本気で好きなものを茶にされたら不愉快。その理屈で言えば、ぼくなどまるで芸術をありがたがっていない。「芸術」には確か七種あって、発生順に舞踏、音楽、美術、演劇、文学、建築、映画らしい。これは映画がほぼ今日の映画に近い発展を見せたサイレント後期に、映画の芸術性を提唱するために唱えられた分類だが(「第七芸術の誕生」と言われた)、絵画と彫刻が一緒で舞踏と演劇が別々なのは数合わせという感じがする。音楽も美術も純粋芸術になったのは近代以降にすぎない。そして芸術はヴィールスになった。
もし実用性の観点から言えば、オリンピックなどは体技のスペシャリストの国を上げての養成と代理戦争として考案された、古代人の大発明だろう。芸術どころではない。
これをメディアで最大に利用したのがナチ政権下のベルリン・オリンピック(1936年)の記録映画「民族の祭典」「美の祭典」(共に1938年、監督=レニ・リーフェンシュタール)でプロパガンダ色は一切なく、選手たちはバレエ・ダンサーのように描かれた。これがドイツ・ファシズムの宣伝映画だったら-例えば、中立国の立場から北朝鮮の宣伝行事を記録した映画「金日成のパレード」のように-全体主義国家の危険性を暗示するものになっただろう。だが、この映画のプロデューサー、元画学生でワグナーの心酔者ヒトラーは純粋芸術を愛したから、純粋芸術ほどイデオロギーを越える感染力があると知っていた(その点ではソヴィエト映画の大プロデューサー、かのスターリン以上だった)。
美人女優からナチ党大会の記録映画「意志の勝利」1934の映画監督に抜擢され、前記二部作を手がけたレニ・リーフェンシュタール(1902-2003・画像)は敗戦後、どんな戦犯告発も逃れて写真家として101歳の長寿を全うした。生涯戦争協力の自覚はなかったという。(続く)