人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補4)Flower Travellin' Band

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これが日本ニューロックの精華、フラワー・トラベリン・バンドの全アルバムになる。上から、
○「ANYWAY」1970.10(画像1)
○「SATORI」1971.4(画像2)
○「MADE IN JAPAN」1972.2(画像3)
○「MAKE UP」1973.2(画像4)
○「WE ARE HERE」2008.9(画像5)
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で、再結成アルバムはとても評価は低かったが(曲がつまらない、リズム・アレンジが単調、アイディア不足等)、高まる再評価にオリジナル・メンバーが揃い国内ツアー、アメリカ・カナダツアーを敢行したのは快挙だった。なにしろ解散から35年なのだ。

○「ANYWAY」1970.10-実質的に全4曲のカヴァー集で、歌のうまさが光る『朝日のあたる家』、多重録音ギターが鮮やかな『ルイジアナ・ブルース』に当時日本未発売のブラック・サバスキング・クリムゾンの曲を原曲よりさらに過激に演奏。
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○「SATORI」1971.4-前作から一変して本作からは全てオリジナル曲。これも『SATORI Part.1』から『Part.5』まで大曲が並ぶ。前年の大阪万国博で知り合った中堅バンド、ライトハウスにカナダ進出を勧められたフラワーはこのアルバムを完成させ米アトランティックと契約、71年4月にはカナダ生活が始まり同じ月にアメリカ、カナダ、日本で同時発売され、カナダのチャートでは8位まで上がりシングルもトップ10入りするが、EL&Pら大物バンドの前座で食いつなぐのがせいぜい。そこでライトハウスのメンバーのプロデュースによりトロントで録音されたのが、
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○「MADE IN JAPAN」1972.2-でやや地味だが丁寧なアルバム。全作詞を後にゴダイゴの作詞家になる奈良橋陽子さんが手掛ける。このアルバムを形見にフラワーは帰国。経済的に困窮し、これ以上カナダで続けるのは無理だった。
帰国後のフラワーは解散のを睨んで最後の仕事を迎え、72年9月16日の横須賀文化会館の解散コンサート(ジャケットは無償スタッフのファンたち)を2枚組LP分録音。ところがテープの半分をスタッフが誤って消去、急遽スタジオ・ライヴと抱き併せる。
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○「MAKE UP」1973.2-フラワーのファンは大体サトリ派かメイクアップ派に分かれる。確かにこの作品は白鳥の歌に相応しい。