人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補5)海の底のジャックス

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完結編で述べた通り真にGS=日本の60年代ロックに取って代わったのはアングラ・フォークの台頭で、それを予告したのは先駆者・高石友也よりもフォーク・クルセダーズとジャックスという対照的なグループだった。
デビュー・アルバムのレヴュー(ミュージック・ライフ)では「フォークルが日本のビートルズなら、ジャックスはストーンズだ」と称賛され、また学生バンド・コンテストで準優勝した時は審査員中熱烈にジャックスを支持し、自分の所属ジャズ・レーベル(タクト)から2枚のシングルを発売させたのが渡辺貞夫なのはよく知られる。掲載アルバムは、
○「ジャックスの世界」1968.9(画像1)
○「ジャックスの奇蹟」1969.10(画像2)
早川義夫「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」1969.11(画像3)
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メンバーは68年8月まで早川義夫(vo,g)・水橋春夫(g,vo)・谷野ひとし(b)・木田高介(ds,fl,p,org,vib,vo)、69年8月解散まで早川(vo,g,p)・木田(fl,ts,p,org,vib,vo)・谷野(b)・角田ヒロ(ds,vo)。木田は元渡辺貞夫グループの角田を除けば唯一専門音楽教育を受け(東京芸大)、後に編曲家としてチューリップ、かぐや姫などを手がけた。80年初のソロ・アルバム発売直前に自動車事故で急逝。水橋もレコード会社ディレクターになり横浜銀蝿をヒットさせる。角田は自己のバンドで活動。早川は72年春から書店経営。掲載作は当時唯一のソロ・アルバムだった。94年秋から音楽活動再開。

ジャックスの楽曲と演奏はフリー・ジャズサイケデリック・ロックとアングラ・フォークを(おそらく木田以外)無自覚に融合させたもので、早川が音楽業界を辞した際にまとめられたエッセイ集「ラブ・ゼネレーション」1972でも交流があったミュージシャン以外は寺内タケシビートルズボブ・ディランしか出てこない。リーダー早川のこの頑固な鎖国性(メンバーにも禁じた)がジャックスの音楽を生んだ。

デビュー・アルバム「ジャックスの世界」は68年4月28日にA面、5月25日にB面が曲順通りに録音された。この時メンバーは20歳二人、19歳二人で、合計80歳にも満たない四人が日本のロックの深層意識というべき「海の底」(『からっぽの世界』)を探りあてた。