人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補6)はざまのはっぴいえんど

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細野晴臣(vo,b,p,org)・大滝詠一(vo,g)・鈴木茂(g,vo)・松本隆(ds,lyrics)。ジャックスが無自覚に多彩な音楽要素を融合させ独自の音楽を作り出したバンドだったのとは対称的に(早川はメンバーに一切の音楽的影響を禁じた)、このバンドは細野の遠大な計画から生れた。
細野はGS末期のニュー・ロック・バンド、エイプリル・フールの元同僚、松本を計画に招き入れる。松本は細野以上にGS以降のニュー・ロックにも、またアングラ・フォークにも不満だった。では?

細野・松本が求めたのは全く新しい方法だった。フォークルやジャックスのように自然発生的な個性ではなく、バンド自体をひとつのアイディアに昇華した強固で柔軟な知性。まだヴォーカリストとして自信がなかった大滝、成長期だった鈴木はかえってこのバンドの可能性を拡げる。
きっかけは細野が松本に勧めた日本語作詞であり、松本はジャックスを参考に一貫性のある散文脈の歌詞を書いた。語尾は「です」「ます」で統一。この耳障りな字余り歌詞を遠藤賢司の唱法にヒントを得た発声で大滝が歌い、鈴木のギターが切り込む。掲載アルバムは、
○「はっぴいえんど」1970.8(画像1)
○「風街ろまん」1971.11(画像2)
○「HAPPY END」1973.2(画像3)
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第三作は事実上の再結成盤で(同年に解散ライヴ盤も発表)、細野・大滝・鈴木のソロ作(作詞は松本だが)を集めたもの。既に各々がソロ活動やセッション活動を始めていた。

彼らを「はざまのバンド」と見るのは、元ジャックスの早川がディレクター(今日ではプロデューサー)を勤めたURCレコードから連続発売された7枚の関連性にもよる。(1)遠藤賢司のデビュー作・(2)岡林信康の第二作・(3)はっぴいのデビュー作・(4)五つの赤い風船のライヴ盤・(5)西岡たかし(風船)の別ユニット「溶け出したガラス箱」・(6)藤原秀子(風船)のソロ作品・(7)岡林の2枚組ライヴ盤。70年4月~71年2月に発売のこの7作のうち遠藤・岡林(ライヴも)にはっぴいが全面参加、岡林の第二作では早川作品を5曲カヴァー。また風船関連のうちライヴは早川参加、木田高介(元ジャックス)は3作とも参加している。彼らは特殊な位置にいた。決して主流ではなかった。だが商業主義の70年代はここから始まった。