人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(15)フランツ・カフカ小品集

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これもカフカならではの傑作のひとつ。
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『わかれ道』

私は猫とも子羊ともつかない妙な動物を飼っている。親父の遺産だ。だが私が飼うようになってからこうなったので、それまでは猫と言うよりもむしろ子羊だった。今では拮抗している。猫らしいのは頭と蹴爪、羊らしいのは大きさと体型だ。両方の特徴を兼ねるのは野性的に輝く眼、柔らかく全身を覆う毛並み、跳ねるかと思うと忍び足になる身のこなしだ。窓辺で日向ぼっこすれば丸くなり喉を鳴らしているが、原っぱでは駆け回って捕まるどころではない。猫に出会うと逃げ出すが、子羊なら襲おうとする。月夜の晩は軒を歩くのが好きだ。ニャオとも鳴かないし鼠を見ると怖気をふるうが、鶏小屋の横で何時間も隙を伺っていることもあり、といって鶏をせしめたこともない。
子供たちが珍しがるのは言うまでもない。日曜の午前は来客に会うことになっている。こいつを膝に抱いていると近所中の子供たちに取り囲まれる。たちまち質問攻めで答えようもないことばかりだ。たとえば、-こんな動物どうしてできたの?どうしてこの家にだけいるの?前にもこんなのがいたの?これが死んだらどうなるの?子供は生れないの?何ていう名前なの?
私は答えようもない。説明せずに、膝に抱いている動物をよく見せてやるだけだ。時には子供たちは猫を抱いてくることもある。子羊を二匹牽いてきたこともあった。だが何の反応もなく、子供たちはがっかりだった。動物たちは別に慌てもせずに動物らしい目付きで顔を見合せていた。
ときおり見せる様子は、心の中に二種類の不安があるようだ。猫と子羊では全く種類が違うらしい。だからこそ敏感なのかもしれない。時には私が座っているソファーに跳び乗って、前肢を私の肩にかけ、鼻を私の耳に押しつけることもある。まるで何か言おうとしているようだ。そして本当に跪いて私の顔を見つめる。私も調子を合せて、何かわかったふりをしてうなずいて見せる。すると床に跳び降りて私の回りを跳び跳ねる。
この動物の救いは肉屋の包丁なのかもしれない。しかしこれでも大事な遺産だ。そんなことは許されない。ならば寿命が尽きるのを待つのだが、分別くさい人間のような眼で私の顔を見つめられると、私も分別のある処置を取らねばいけないのかと思ったりもする。
(遺稿集「ある戦いの描写」1936)