人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

鈴木清順「東京流れ者」日活'66

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

日活1966年・カラー/ワイド83分。原作=川内康範。主演=渡哲也、二谷英明松原智恵子。監督の鈴木清順は1923年生れ、敗戦後除隊し日活に入社。「港の乾杯 勝利をわが手に」1956を監督デビュー作に、問題作「殺しの烙印」1967で日活を解雇されるまで足掛け12年で36本の監督作を残す。1980年に「ツィゴイネルワイゼン」で華々しい復活を果たし、日活時代の作品も再評価され、日本の現役映画監督中随一の巨匠として若松孝二と共に国際的名声を博す。

と簡単に書いたが、ちょうど今日(18日)は若松孝二死去の報が流れた。一週間前に新宿でタクシーに跳ねられ、昨日死去したという。代表作の一つ「胎児が密猟する時」のシナリオがブレッソン「バルタザールどこへいく」と共に掲載された1966年某月の「映画評論」誌は若松作品初めてのシナリオ掲載号(以後常連)であり、また鈴木清順特集が初めて組まれた記念すべき一冊だった。若手批評家から清順映画への本格的評価が固まりつつあり、それは20代の独立プロ監督・若松孝二への期待や孤立したフランスの巨匠ブレッソンへの尊敬と通じるものだった。この年清順は「河内カルメン」「東京流れ者」「けんかえれじい」と3本の傑作を送り出し、翌年「殺しの烙印」が経営陣の怒りを買って解雇されたばかりか、日活は一切の清順作品をレンタル禁止する。多くの映画関係者が立ち上がり集団で民事訴訟を起こしてフィルム封鎖は解放されたが、不当解雇は認められなかった。以後10年あまり清順は映画の撮れない映画監督の不遇をかこちつづける。

と、作品以外の話題があまりに多い監督なのだが、本来日活の娯楽映画の監督として小林旭赤木圭一郎を撮っていた人で、宍戸錠とはもっとも相性が良かった。「けんかえれじい」は高橋英樹の痛快青春活劇だし「東京流れ者」はデビュー2年目の渡哲也を主題歌と共に売り出そうという歌謡映画だった。それがことごとく「どこか変」で、観客を置いてきぼりにしたような映画になるのがこの人の映画の癖だった。「東京流れ者」などは清順映画ビギナーにも分かりやすい代表作と言われるが、唐突に変わるライティング、凝りすぎの美術など意図的にリアリズムから離れた効果を狙っており、単純なプロットながらストーリーも明快に流れてはいかない。これを楽しめるかどうか?