人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(27)フランツ・カフカ小品集

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こうした疎外感はカフカが初めて文学に定着したんだな、としみじみする。純度が高いのだ。
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『山へ行く』

「私には解らない」と私は声なき声で叫んだ。「本当に解らないんだ。誰も来ないなら、それは誰も来ないということだ。私は誰にも悪いことをしたことはないし、誰も私に悪いことをした者もない。しかし誰も私を助けようとしない。まったく誰も。いやそんなつもりではなかった。ただ誰も私を助けてくれないのがつらい-さもなければ無人であることは好ましいことなのだが。無人の団体とちょっとピクニックへ行きたいものだ。もちろん山へ。他にどこに行くことがあるだろう。この無人の団体はひしめきあって行く、腕と腕を組み合わせ、皆が踵を接して!誰もが燕尾服着用なのは言うまでもない。こうして我々は揚々と行く。風は我々の手足の間を吹き抜け、顎は山中で実に楽々となる。我々が歌い出さないとしたら、それこそ奇蹟というものだ」
(小品集「観察」1916)
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『突然の散歩』

ある宵、今日はもう家にいようと決心し、部屋着に着替えて夕食後テーブルに灯をともして座り、いつも就寝前の習慣の仕事や遊びを始める時、外は荒れ模様で家にいるのが当然のように思える時、もうだいぶ長い間机に向ってじっとしていたのだから今さら出ていくと言ったら皆が驚き呆れるに違いない時、もう階段は暗く玄関のドアも閉まっている時、それでもやっぱり不快でたまらなくなり上着を着替えたちまち外出のいでたちとなり、ちょっと出かけなくちゃと言い、言葉短く別れを告げて、ドアの閉まる音の早さ如何で後に残す不愉快さが増えも減りもするように思い、街路に出るとほっと自らを取り戻し、思いがけず与えられた自由に報いるように軽やかに手足を動かして、このたったひとつの決心によって自分自身にすべての決断力が集中したように感じ、要求される以上にとっさの変化をなしとげ、それに堪える力が自分にあると普段以上に意識し、そしてそんな風に長い街路を歩いていく時-その時、人はその晩はまったく家族の圏外にあり、家族らは影のような存在に化し、そのかわり自分自身は確固として、黒い輪郭を持ち、大腿の後ろを打ち叩きながら、本当の自分の姿に高められる。
こんな夜更け、どうしているかとひとりの友を訪ねたりすると、この感じは一層強められるのだ。
(同)