人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(1)チャーリー・パーカー(as)

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Charlie Parker(1920-1955,alto sax)。音楽自体の革新性のみならず、この人とディジー・ガレスピー(トランペット)のコンビがいなければ20世紀後半以降の音楽家のイメージはまったく別のものになっただろう。ジャズ以外の黒人音楽にとどまらず、60年代以降の白人ロック・バンドすらパーカーのイメージを継承する。ディジーの役割も大きいが、やはりパーカーなのだ。ディジーは包容力に富んだ人だったが、パーカーはアルト・サックス1本抱えた一匹狼だった。もちろんバンドを組んでいたが、基本的にはそうだ。自由・無頼・孤独。

このふたりが作り、現代のジャズに至るまで基本となっている流派は「ビ・バップ」と呼ばれる。これは1940年前後からニュー・ヨークで若手ジャズマンがジャムセッションから作り上げた少人数のバンド・アンサンブル(ジャズは50年代まで20人近いビッグ・バンドが主流)で、ディジーセロニアス・モンク(ピアノ)、ケニー・クラーク(ドラムス)と共にその中心人物だった。一方パーカーはカンサス生れのバンドマンだったが、巡業先でこのふたりが出会って一気にビ・バップが完成した。バンドの基本編成(トランペット、サックス、ピアノ、ベース、ドラムス)、曲の構成、さらにアドリブの手法までまったく従来のジャズとは違うものが出来上がり、しかもそれは爆発的な躍動感と音楽的完成度を備えていた。

現代のポップスやロックにもビ・バップのアイディアは流れ込んでいるので、一聴するとパーカーの革新性には気づかないかもしれない。だが丸谷才一ジェイムズ・ジョイスを「すべての文学が流れ込み、すべての文学を生んだ漏斗」と評したのがパーカーにも言える。生前すでにバッハ以来の音楽的革新という定説ができていた。パーカーは自分がチャーリー・パーカーであることが信じられなかったに違いない。

パーカーの音楽は大体3期に分けられる。
絶頂期-「チャーリー・パーカー・オン・ダイアル」1946・画像1。
円熟期-「バード・アット・セント・ニックス」1950・画像2(ライヴ)。
晩年期-「ナウズ・ザ・タイム」1953・画像3(写真は裏焼き)。
パーカーの晩年は仕事に恵まれず、忘れられ、友人のマンションで心臓発作で死んだ。34歳、ヘロインと過労で体はボロボロだった。検死医の所見では推定55歳と書かれた。