人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(12b)チャールズ・ミンガス(b)

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多彩で質の高いアルバムを多く制作したことではミンガスはモンクをしのぎ、マイルスに匹敵する。画像4は日本のファンが30年かけて調査・収集した自費出版のミンガス・ディスコグラフィー(アルバム目録)。謎だった初期シングルはようやく最近CD化された。それが「チャールズ・'バロン'ミンガス~ウェスト・コースト1945-49」(画像1)になる。

ミンガスにはビッグ・バンドは生涯の夢だったが、それは楽歴最後の10年間でようやく達成される。「アット・カーネギー・ホール」1973(画像2)もその一例でジャムセッション的一面も備える。
20人近いミュージシャンをまとめあげるのにはリーダーとしての手腕もコストもかかる。皮肉にもそれまでミンガスの名を高めたのは、ライヴで客が入らないので多作なレコード制作で傑作・名作を送り出してきたからで、低予算レコーディングの上にレギュラー・バンドを維持できず、ミンガスの音楽に惹かれた少数精鋭のミュージシャンたちがアルバム制作ごとに集まったからだった。生涯ミンガスはビッグ・バンドを維持できなかったが、晩年にビッグ・バンドの代表作「クンビア&ジャズ・フュージョン」1977(画像3)を送り出した。これが最後の栄光で、翌年にはもうベースは弾けなくなっていた。