人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(15)レニー・トリスターノ(p)

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Lennie Tristano(1919-1978,piano)。トリスターノがモダン・ジャズの巨人25選に入選した理由は「生涯反商業主義を貫き、トリスターノ・スクール(楽派)というジャンルを打ち立てた」というもので、解説抜きでこれを理解せよというのは無理だろう。
まずこの人は30年ほどの楽歴で生前発表はミニ・アルバム3枚(日本編集の画像1「ザ・コンプリート・レニー・トリスターノ」1946、キャピタル「イントゥイション」1949、プレスティッジ「サブコンシャス・リー」1949)、フル・アルバムが3枚(画像2「鬼才トリスターノ」1955、画像3「ニュー・トリスターノ」1962、あと1枚は日本制作で52年~66年の未発表録音集「メエルストロムの渦」1976)しかない。没後遺族がレーベルを立ち上げて10枚ほどの未発表ライヴ・自宅スタジオ録音(トリスターノは盲人で、自宅で音楽教室を開いて生計を立てていた)が追加された。確かに反商業主義だが、多産もまた巨匠の証ならこれはあまりに寡作すぎる(筆者はあと2枚でコンプ)。

トリスターノは1945年のレコード・デビュー(地元シカゴのローカル・バンド)で注目を集め翌年ニュー・ヨークに進出、46年の録音で一躍バド・パゥエルに匹敵する天才白人ピアニストとして批評家に絶讚された。46年でこの前衛性・完成度はモンク、パゥエルの上を行く。パーカーも共演を望み、CD1枚分の録音がある。
まったくビ・バップとは異なる手法でビ・バップを再構築したトリスターノの音楽はクール派と呼ばれ、少数精鋭の白人ジャズマンを惹き付けた。それが49年録音の時期で、シカゴ時代にすでに芽生えていたバンド・アレンジがここで完成した。だが52年頃には弟子たちもこの音楽に制約を感じ始め、本人もクラブ出演に消極的になる。パーカーの死をきっかけに多重録音のソロ・ピアノ曲と愛弟子リー・コニッツ(アルト・サックス)とのライヴを半々に収めた55年のアルバムを発表。急速に過去の人となりつつあった。

62年のソロ・ピアノ作はトリスターノ音楽の究極で、65~66年のヨーロッパ・ツアーが最後のライヴ活動になった。今なお広く聴かれているとは言えない。今後もそうだろう。65年のライヴが国内版DVDで出ている(「レニー・トリスターノ・ソロ~コペンハーゲン・コンサート」)。