人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(22a)ビル・エヴァンス(p)

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Bill Evans(1929-1980,piano)。この人の影響力はバド・パウェル以来のもので、パウェル派バップ・ピアノが全盛の中でレニー・トリスターノパウェル止揚し、ホレス・シルヴァーを加えたスタイルでデビューし(「ニュー・ジャズ・コンセプションズ」1956)、全然売れず、評価もなかった。ただし実力は認められ58年にマイルスのバンドに初の白人メンバーとして加入。同年の第2作「エヴリバディ・ディグス・ビル・エヴァンス」までにサイドマン参加作35作を数える。素行不良でマイルス・バンドは半年でクビになるも、59年の傑作「カインド・オブ・ブルー」の録音に呼び戻される。これはジョン・コルトレーンエヴァンスの参加がなければ成立しないアルバムで、これを作り上げたからこそコルトレーンエヴァンスも一流ジャズマンとして独立できた画期的名盤だった。

そして59年12月、エヴァンスは自分のバンドによる再デビュー作「ポートレイト・イン・ジャズ」(画像1)でピアノ/ベース/ドラムスによるピアノ・トリオの革新的な名作を録音する。ベースはスコット・ラファロ、ドラムスはポール・モチアン。以来ジャズ・ピアノはパウェル派かエヴァンス派に大別できるほどで、有線放送でもエヴァンス派ピアノ専門チャンネルがあるくらいに普及している。

だがこのスタイルは当時理解されず次作「エクスプロレイション」(画像2)は61年の録音になった。ジャズ・リスナーにはピアノ/ベース/ドラムスのインプロヴィゼーションが同時進行するエヴァンス・トリオは前衛的に聴こえ、そうでない人にはイージー・リスニングに聴こえる、という厄介なジャズなのだ。
61年6月25日、老舗クラブでアルバム2枚分の録音をしてジャズ史上の名盤になるが(「サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」「ワルツ・フォー・デビー」画像3)、10日後、アルバム発売を待たずベースのラファロが街路樹に自動車を衝突させて事故死してしまう(26歳)。エヴァンスのトリオとオーネット・コールマンのバンドを掛け持ちするくらい音楽的な幅と自己主張の強い演奏で、トリオのキー・パーソンだっただけにエヴァンスの痛手は大きかった。皮肉にもラファロの死によってビル・エヴァンスの評価は決定的になる。