人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

入院顛末記〈3〉

ぼくはとりわけ丈夫でもないが、大病や怪我にあったこともない。だからH市F病院が45歳を過ぎての初入院になった。昏迷状態が続いていたのか、隔離室の天井の蛍光灯が虹色に渦巻いて見え、治療のための照明なのだろうか、と思ったのを覚えている。

3日目に隔離室を出されて男性患者ばかり70人近く入院している4-Bフロアに移された。この病院全体では300人以上の患者がいたようだ。ぼくは和室12畳の6人部屋になった。横浜拘置所では12畳に10人だったから刑務所よりは待遇がいい。拘置所では入浴日は週2回だったがここでは週3回、希望者はシャワーなら毎日。タオル制限もない-拘置所では規定の手拭い1枚の所持しか許されないが(布を自由に持たせると危険なのだ)、ここではボディタオル、バスタオル、ハンドタオル、と所有も使用もおとがめがない。
そんな具合で、ぼくは未決囚監と精神病院を漠然と比較することから環境に順応していった。

その年の秋はクリニックへの通院から満1年を過ぎたところで、離婚からは1年半。別れた妻の誕生日に、まだ彼女が帰っていないだろう時間に電話した。長女が出た。「今日は何の日かわかるかい?」「ママの誕生日…」そうだよ、お祝いを言ってあげてね(長女とはこれが精一杯だった)。アヤちゃんはいるかい?長女が次女を呼ぶ声が聞こえ、やがて息づかいから次女が電話口に出たのがわかった。次女は会話が不得手で、自分からは話さない。
お姉ちゃんとは仲良くしてるかい?なのちゃんやゆいちゃんとは仲良し?パパからほしいプレゼントはないかな?「ママにお人形買ってもらったから、今はいい」パパのことを思い出すことはある?「写真を見ると思い出す」そうか。じゃあママによろしくね。お姉ちゃんとアヤちゃんはパパとママの宝物だよ。

5分に満たない通話の後で、30分間涙が止まらなかった。-その秋、加藤和彦が自殺し、そういえば次女との電話の後、数年来苦しんできたパニック発作がなくなったことに気づいた。
日記はつけていたが、ぼくは初めて自発的に仕事以外の短編小説を書いた。12月には早々とクリスマス・プレゼントとお年玉を娘たちに郵送し、年賀状も出して、医療関係へのクリスマス・プレゼントも用意し、翌月分の家賃も納めた。
そしてぼくは突然3日間の昏睡状態に陥り、入院したのだった。