人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(22b)ビル・エヴァンス(p)

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スコット・ラファロ没後のエヴァンスの状態は暗膽たるもので、浪費癖から家賃まで使い込みアパートを追い出される、見るに見かねた所属レーベル(リヴァーサイド)のオーナーが臨時にレコーディングさせてギャラを与える、また家賃滞納で追い出される、また予定にはないレコーディングで助ける、の繰り返しだった。この時代のジャズマンの浪費はどんな用途によるものか察して頂きたい(マイルスのバンドをクビになったのも同じ理由)。
またエヴァンスの家系には精神疾患の因子があった。兄が躁鬱病で自殺している。最初の夫人も自殺し、再婚した夫人は子供を連れて別居した。エヴァンスの美しい音楽は精神的荒廃の危機に晒されながら生まれたものだった。

ラファロの後任のベーシストが新人エディ・ゴメスに決定したのは1966年だが、それまでの暗黒時代もアルバムだけ聴くなら不調は伺われない。フレディ・ハバード(トランペット)とジム・ホール(ギター)参加の「インタープレイ」1962、ジム・ホールとのデュオ「アンダーカレント」1962、そしてグラミー賞受賞のソロ・ピアノ・アルバム「自己との対話」1963などピアノ・トリオ以外にも名作が発表される。ラファロ没後の生活困窮救済レコーディングも出来は素晴らしく、没後正式発売された。
1963年からは大手レーベル、ヴァーヴの看板アーティストとなり、私生活も落ち着きを取り戻す。フルートのジェレミー・スタイグと組んだ「ホワッツ・ニュー」1969(画像1)は2009年まで日本でしかCD化されていなかった名盤。管楽器との共演は個性的ピアニストほど苦手とする傾向があるが、エヴァンスはその点でも本当に上手い。

「ザ・ビル・エヴァンス・アルバム」1971(画像2)はさらに業界最大手コロンビア移籍、全曲オリジナルの最高傑作のひとつ。だが翌年オーケストラ作品を制作して契約解除になる。バンド1枚、オーケストラ1枚というコロンビアの契約は同年のチャールズ・ミンガスオーネット・コールマンにも該当する。
エヴァンスはピアノ・トリオこそが自分の本領だと考えていたが、商業的な見地から70年代後半はホーンを迎えたアルバムが多かった。最後のピアノ・トリオの傑作というべきアルバムは「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」1977(画像3)という定評がある。最初の夫人、兄を失った後の作品になる。