人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

乾直惠詩集「肋骨と蝶」1932(5)

乾は強いていえば百田宗治門下で、詩集「肋骨と蝶」も百田装丁、版元の椎の木社は百田の小出版社であり、限定250部・定価65銭・本文54頁のささやかな一冊だった。百田は大正期の民衆派詩人だったが昭和の新人たちにも理解が深く、主宰誌「椎の木」は多くの詩人を輩出した。年次順では三好達治「測量船」1930、阪本越郎「雲の衣裳」1931、丸山薫「帆・ランプ・鴎」1932、高祖保「希臘十字」1933などが乾の「蝶」と競合していた。ともに40歳の新人、田中冬二・西脇順三郎も百田の肝いりがあった。百田自身の詩作はともかく、現代詩の名伯楽だったことは間違いない。今回の『雲』『初秋』『葉書』はいずれも鮮やかな技巧の冴える佳作だろう。

8.『雲』

銀の小匙と朝風と、小鮎のような仄かな私の希望! --鮎は朝霞の鍵穴から、そっと覗いてノックする。
私は釣をするだろう。私は糸を垂れるだろう。私は空に錘を下ろすだろう。

蜜柑を流れる水の色!
水の鏡のイエス樣!

私の夏帽子は輝いている。私のハンカチーフは純白だ。私はちっとも悲しくない。私の睫毛は濡れてない。
だがしかし、銀の小匙と玻璃皿と、和蘭苺が呼ぶだろう。行きずりの、遠い私を呼ぶだろう。
やがて私は戻るだろう。甘いミルクと苺酸と、やがて私は戻るだろう。やがて私の悲しみが、私の味覚に戻るだろう。

9.『初秋』

白扇の汚れに目立つ、夏の疲労素。
やがて、細胞の一つ一つにも。

秋の栄養が、循環するだろう。
肉親の慈愛のように。

オレンジ色の、洋燈の瞳孔。
涙腺に集る、夢の昆虫、

蛾は微けく羽搏いて、
白い頁に、挟まれる。

10.『葉書』

皮膚がこんなに透明になって、薔薇色の爪がいつか蜜柑色に変ってきたのは、甘酸っぱい水薬に親しんでいるからでしょうか?

私は花ばかりを愛するようになりました。

丘からは河が海のように展け、オゾーンにとんだ気流の中で、野生の草花が揺れています。
私はそれで小さな花束を造って戻るのです。

帰りの坂道で、私はいつも蜒(なが)い長い葬列に行き逅(あ)います。

夜、私は眠ってから、碧玉の波間へ散り込む、流星の花吹雪に、いつまでも佇みつづけています。

(隔日掲載)