人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

乾直惠詩集「肋骨と蝶」1932(8)

今回は短い佳篇が並ぶ。いずれも異なった手法で同一テーマのヴァリエーションを試みて成功しており、同時代の若手詩人たちから賞賛され、尊敬を集めたのがわかる。才能の大きさ・広さでは同世代の第一人者だった三好達治丸山薫らには及ばないが(この二人に献呈された作品を収めるのに注意)、マイナー詩人にはマイナー詩人の良さがあるのだ。『春』は詩集では珍しくオーソドックスなメルヘン調の作品。『芽・光』と『丘』はそれぞれ実験的モダニズム詩で一見前者は難解、後者は単純に見えるが、ともに巧みな死の暗喩に深い実感があり、異なる方向性をとりながら成功した作品になっている。

15.『春』

山雀が帰って来た。
赤い絹糸を脚にゆわえたままで。

如露の雨で羽搏いて、
空の運河に虹の橋をかけて、

お父さんの背にとまって朝の挨拶をし、
掌の上で行儀よく粟を啄んだ。

落葉が散って、お父さんが深い眠りに陷ちて、
落葉が散り果てて、お父さんの柩がその下へ埋められて、

小禽は空へ放たれた。
軒の空の鳥籠で、幾日も粟を突つく音がした。

山雀が帰って来た、芽ぐんだ庭の樹の梢へ。
色褪せた肉親の影を引きずって………

16.『芽・光』

彼女はハンモックの中で触角をふり、敏感な触角は光の波を切る。
*
彼女は歯のない小さな口に、美しい貝ボタンを閉じて眠る。
*
彼女の唇は、水晶の乳首をくわえている。光がそこから割れて、
空に七色の弓を張る。
*
彼女は精巧な発光器をもっている。
*
雨ごとに彼女は鋭利なナイフをますます鋭く研ぐ。
--Stainless Knife,Made in Germany.
*
雲の重さが、黄色い水薬にしたしませる。彼女は頭の上で、蝿のように揉手をする。
*
ひからびた老人の指さきに緑色の爪がのびる。

17.『丘』

撞き終えた鐘の音の、最後の響が、鐘を離れる。
私は空に弓を引く。
矢は響を………

友人がまた放つ。
矢は矢を………

姉がまた射つ。
矢は矢を、矢は矢を………

ああ、妹が、弟が、従兄弟が、母が、父が。
だが、私の矢はかえらない。遠い空間で翼を生やす。
そして、
鳥は鳥を、鳥は鳥を、鳥は鳥を、鳥は鳥を………

(隔日掲載)