人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(31e)ウェイン・ショーター(ts)

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マイルス・バンド(もうその頃にはカルテットやクインテットなどの伝統的な呼称はジャズでも古臭く、アルバム制作メンバーとライヴ・メンバーは別々でも当然とされた)を脱退して後、ショーターは元キャノンボール・アダレイ・グループでジャズに電気キーボード(オルガン、電子ピアノ、シンセサイザー)を導入した第一人者、ジョー・ザヴィヌルのリーダー作に参加。当時もっとも注目されていたベーシスト、ミロスラフ・ヴィトウズと3人でエレクトリック・ジャズ・バンド、ウェザー・リポートを立ち上げる。
ザヴィヌルはマイルスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」「ビッチズ・ブリュー」でもキー・マンだった人で、ウェザー・リポートはその発展型として注目されると共に、従来のジャズからまったく自由なコンセプトの新鮮さでも支持を集めた。アルバム売り上げもコンサート動員も最初から人気ロック・バンド並みだった。あっという間にマイルスの人気を抜いてしまった。それはハンコックのヘッドハンターズやチック・コリアのリターン・トゥ・フォエヴァー、ジョン・マクラフリンマハヴィシュヌ・オーケストラもそうで、マイルスの音楽から特定の要素を抽出して洗練させた分、本家よりわかりやすく、心地よかったのだ。

ウェザーは71年のデビュー作から74年の第5作までで節目をつけ、ショーター久々のブラジル風アルバム「ネイティヴ・ダンサー」74(画像1)を挟み、ベーシストがアルフォンソ・ジョンソンに交代した2作を経てついに70年代ジャズの大スター、ジャコ・パストリアス(ベース)が加入。大傑作「ヘヴィ・ウェザー」76(画像2)を発表する。このアルバムの完成度は凄まじい。完璧な1枚だろう。

1977年にハービー・ハンコックのキャリアを表彰するフェスティヴァルが行われ、マイルス・クインテット時代の再現としてショーター、ハンコック、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)の4人にマイルスの代役でフレディ・ハバードを加えた「V.S.O.P.クインテット」(ヴェリー・スペシャル・ワンタイム・パフォーマンスの略)はライヴもアルバムも大評判を呼び、来日も2回を数える。2度目の来日公演からの「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」79(画像3)を絶頂に、アルバムも4作ある。ウェザーはジャコ脱退後は地味になりつつも86年の第15作まで活動した。