人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

乾直惠詩集「肋骨と蝶」1932(11)

この詩集は丸山薫(1899-1974)、三好達治(1900-1964)、そして伊藤整(1905-1969)に捧げられた詩篇を収める。この三人の友人だった梶井基次郎(1901-1932)の没後の名声、同年輩ながら早熟の天才だった川端康成(1899-1972)の中に乾直惠(1901-1958)を置くと、出世しなかった人は誰でしょうクイズのようだが、多くの読者には恵まれなかったとはいえ乾は彼らと同じ文学的潮流にあって誰の模倣でもない独自の作風を確立した。詩集巻末を飾る『鞠』『午後』『日記』は川端や梶井の詩的小品に近く、作風は淡いが完成度は高い。これらに先立って短い『花序』を配置する構成が心憎い。

23.『午後』

鉱物や植物は全く歩行という機能を与えられていないが、時としては礫すら、動物や人間の僅かな作用、ほんの僅かな爪先の微力にも、自からの環境と運命を転移せしめる喜びを持つであろう。たとえ、こうした偶然と僥倖を授からないであろう巨大な岩石にしても、或は断崖の脚下をめぐる流水の姿を、鳥瞰する、悦びと共に握手するであろう。或はまた、四時の色彩を染めぬいた空雲の行方を目送る、峻嶺の満足に浸るであろう。そこには、絶えず可憐な植物が大気の新鮮の中に沐浴して、花を開き、種子を散布し、変化と成長と季節の美に飽和され、恋愛されるであろう。……坂を下りながら、ふと蹴とばした小石が、こんなにも私を孤独にしようとは思いもよらなかった。(私の肉体は、毎日、軍隊生活のように、私に食事と、散歩と、服薬を強いるのだが……)散弾で羽がいを傷められた小鳥のように、私はただ枯草の上を、よろよろ歩いて行かねばならない。
私はいつか坂を下りきって歩いていた。踵は小川にそって上がって行った。川の一方は小高い丘の雑木林。丘の下には小さなテニスコートが、鮮やかな白線を残したまま陽を浴びている。
私はかなり歩いて、川のつきた溪のところへ出た。そこに私は白ぬりの都会風な橋を見出した。私は渡る意志に支配されることなしに、橋の中途に立ちどまった。水晶を集めた水が、薄荷水のように私の頭部を洗って行った。川底の墨灰色の砂礫の上では、小魚がひらひらナイフを研いだ。私はなぜか、船底に固着した牡蠣殼と、私の肺臓を連想していた。
私はかなり疲労を覚えて、呼吸をはずませていた。

(次回連載完結)