人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

続ある女友達への手紙

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(「伯母からの年賀状」連作8・「いつもの診察室」~野生の棕櫚」からの続き)

「躁はもう大丈夫です。保存食はひと月分買い、家賃と生鮮食品分だけお金を残し、公共料金は清算済み。古本とCDは前金注文。情けない話ですが、躁の時は性欲もひどいんですよ。だから変な気を起こさないためにも、本やCD買った方がいいんです」

「四年前は確か別れた妻に誕生日おめでとうを伝言してもらい、長女は拒否したから次女にいろいろ近況を訊きました。あれ?長女が中学に入学してフルート始めた話も聞いているな。四年前、それから二年前です。長女には避けられるけれど、次女はなんの屈託もない。心が洗われるようでした。
ただし今回はぼくは会話したくなかった。もし留守電でないのなら別れた妻、または長女の方が端から用件しか聞かないだけましだった。いちばん少女の次女にこんな伝言を預けたくなかったのです。別れた妻はいつものように伝言を聞いても(次女は伝えたでしょう)ぼくに電話をかけて来はしなかった。
そういうことなのです。ぼくは死んでいるのと同じです」

「ありがとうございます。いずれ娘たちも物事を自分で決められるようになるでしょう。主の御手がお導きくださる、と思っています。『会えない』というのも『会える』と同じく導きによるものですから、ぼくは娘たち(と別れた妻)のために祈るだけです」

「医師には恵まれたと、ぼくも思います。ただ、打ち解けた関係になるには二年かかりました。医師にも医師の側の警戒心というのがありますね、特に精神科は。ぼくと主治医の場合は同年輩の男同士で子供も同年くらい、職業もお互いやや特殊、という親近性はあったからかえって警戒しあっていたのです。腹を割って話す間柄になったのは、主治医の診断と治療方針が的確でなかったことでぼくが危篤寸前まで行って入院した一件で、退院後初めての受診で第一声「申し訳ない。見抜けなかった」(それまでぼくは私生活の激変から来た強いストレス障害鬱病として診断・治療を受けていたが、二年目に入って激しい躁の病相が始まり、リバウンドで重い鬱に入った。つまり双極1型と呼ばれる典型的な躁鬱病で、しかも障害1級相当の重篤なものだった)、と改めてお互いに出直したからです。躁鬱と解って、ぼくは『荒れ地の化け物』から『ハイエナ』に出世したような気分でした」