人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

病と死と信仰・前編(連作7)

(連作「ファミリー・アフェア」その7)

子供の頃のほうが死への恐怖は強かったように思える。クリスチャン・ホームに生まれ、キリスト教教育を受けて育ったせいかもしれない。天国に対する地獄は絶対的な虚無として叩きこまれた-そもそも自分などなかったかのような。もっとうまく言った作家がいる。「女たちは墓穴に股がり産みおとす-一瞬陽が射して、すぐ暗黒」。
幼稚園児のぼくには、大阪万国博のキリスト教館(というのがあったのだ)で見た布教映画の天国のイメージは強烈だった。そこでは病人も老人もみんな生涯で一番幸福な時代の姿を取り戻す。寝床の中でお祈りしたものだ。天国ではぼくは幼稚園児でいられますように、30歳の父と母、赤ちゃんの弟と一緒にいられますように。

だが天国があるとしても、持っていけるのは茫とした風景と雑草の記憶くらいのものだろう、と言った日本の詩人もいる。たぶんそうだろう。信徒の家族は天国に行けることになっているから別れた妻も娘たちも天国に行くだろう。そしてぼくは違うところに行く。

ぼくが臨死体験に近い思いをしたのは、主にパニック発作だった(00年代に2回あったインフルエンザの大流行でもこのまま死んでもいいと思うほど辛かった)。パニック発作にもいろいろあるが、ぼくの場合は突然動悸が速まり、拍動や脈拍も倍の激しさになり、5分から10分で呼吸困難になって動けなくなる。仰向けに寝て、これはいつか治まるんだぞ、と自分に言い聞かせるが、恐怖感からは逃れられず携帯電話を枕元に置く。30分もすると突然心臓が止り、何事もなかったかのように平常に戻る。この発作で救急車を呼ぶ女性は多いという。気持はわかる。発作の原因は医学的には不明で、ストレスと推定するしかないが、ひとりの時もあれば娘たちと妻の帰りを待っている時もあり、娘の同級生たちとの家族ぐるみのパーティの最中の時もあった。

パニック発作の発症は、次女が2歳で気管支炎から肺炎になり入院した直後からだった。妻は仕事を休めないのでぼくが看病に専念した。入院先の小児科病棟は24時間看護だったが夕食は保護者同伴で、バスに飛び乗り病院に駆けつけ、夕食を半分の時間で済ませて次女の泣き声を振り切り、保育園に延長保育で最後のひとりの長女を迎えに行く。パニック発作、そして喘息。ぼくはすでに肺から膿を吐いていた。