人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(39f)キャノンボール・アダレイ

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Julian Cannonball Adderley(1928-1975,alto sax)。最終回は駆け足になる。キャノンボールは多くのジャズマンがアメリカでの活動に行き詰まり、渡欧せざるをえなかった60年代のジャズ不況にも本国をベースにした活動を続け、ジョニー・グリフィンらのように亡命生活を送らずに済んだ。もちろんそれは高い人気を伴ったからこそだった。
だが日本ではキャノンボールは没後はあまり語られないジャズマンになってしまった。本国では巨匠の名声はゆるぎなく、黒人・白人を越えてアルト・サックス奏者の理想として崇拝されている。

キャノンボールはリヴァーサイドへの契約期間中(1958-1963)リーダー作18枚、サイドマン参加作7枚を残したが、出来不出来の差はほとんどない。企画として大成功した作品に第8作「ノウ・ホワット・アイ・ミーン」Know What I mean,61.1,2(画像1)がある。ビル・エヴァンス(ピアノ)とパーシー・ヒース(ベース)、コニー・ケイ(ドラムス)という端整なリズム・セクションでファンキーとは違う繊細なプレイを聴かせる。実質的にエヴァンスとの協同リーダー作。'Waltz for Debby'もやっている。スタンダード'Nancy'が素晴らしい。

第12作「ザ・キャノンボールセクステット・イン・ニュー・ヨーク」62.1(画像2)はテナーに大先輩ユーゼフ・ラティーフを迎え注目された。この怪人にはさすがのキャノンボール兄弟も喰われた。だが前年からバンドに加入したオーストリア出身のピアニスト、ジョー・ザヴィヌルがその後大化けするとは誰も予想しなかった。

キャノンボールズ・ボサ・ノヴァ」62.12と来日公演のライヴ「ニッポン・ソウル」63.7をヒットさせリヴァーサイドから最大手キャピトルに大スター待遇で移籍したキャノンボールが「ビートルズ以後」の音楽業界でも生き残ったのはライヴ盤「マーシーマーシーマーシー!」Mercy,Mercy,Mercy,66.7のアルバム、タイトル曲(ザヴィヌル作)の100週間以上トップ100入りを続ける大ヒットだった。ザヴィヌルのエレクトリック・ピアノは流行を先駆け、バッキンガムスのヴォーカル・カヴァーも大ヒットした。
キャノンボールは以後も急逝まで第一線で活動した。それはまたそのうち。