人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

訪問看護を受ける・後編(連作18)

(連作「ファミリー・アフェア」その18)

訪問看護精神保健福祉士Aさんは30歳だが実年齢よりぐっと老成した趣きのある人で、考えてみればぼくはもともと年齢など意識しないたちだったから気にするまでもなかった。寛解(または軽鬱)状態のぼくはものわかりのいい、ごく温厚な人間でもある。
それまでは週に一回のクリニック受診(15分)がぼくが他人と会話するすべてだったが、さらに週一回のAさんの訪問看護で1時間会話する機会ができた。Aさんと話す内容はクリニックの短い受診時間への予習にもなり、復習にもなる。

一進一退だったが、一時はぼくはかなり社交的になり自分の出身教会とは別の教会に通う習慣がつき、近所の画廊の常連になって個展のオープニング・パーティに招かれたり、市内在住の画家との親好ができ、鍵と靴の修理屋の元横浜の裏番長だったおじさん(殺人経験あり)と偶然親しくなってソウル・ミュージック愛好家の集まりに参加したりした。
これはAさんも驚いて、
「この半年でずいぶん活発になりましたね。ぼくが最初にお会いした時は『医療機関と福祉関係者しか話す機会はありません』と言っていたのに」
「もともとは社交的な面もあったんですよ」
とぼくは答えたが、実際にはぼくは明らかに活動過剰になっていた。

ぼくの通っていた教会で牧師の罷免騒ぎが起きたのがきっかけだった。教会自体は全国的に支部を持つ戦前から日本に根づいたプロテスタントの一派だったが、ぼくの通う支部はこの20年間信徒数が20人を越えたことがなかった。信徒数が伸びない原因は牧師にある、本部から別の牧師を呼びたい、という声が実は毎年3月の年度末総会の度にあったのを、ぼくは知らなかった。小さいが家庭的でいい教会だな、と思っていたし牧師の宣教も地味ながら真剣で内容が濃い(それが不満らしい)と思っていたので失望は大きかった。教会では子どもへのヴァイオリン教室と絵画教室を開いていて、その手伝いで子どもたちに接するのもぼくは楽しみだったが、子ども教室など全然教会成長に結びついていないではないか、という意見さえあった。

総会の最後にぼくは大爆発し、泣きながら追ってくる女性信徒も振り切り、三日三晩酒浸りになった。まずAさんに、次にK先生に正直に報告すると、ぼくはアルコール依存症の学習入院をすることになった。