人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(42d)ポール・デスモンド(as)

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Paul Desmond(1924-1977,alto sax)。
'Easy Living'では日本盤アルバム・タイトルになっている『水玉と月光』'Polka Dots and Moonbeams'が美しい。'Grad To Be Unhappy'はロリンズも演奏しているビリー・ホリデイ作のタイトル曲『不幸せでもいいの』、ポップス曲'A Taste of Honey'がいい。続く'Bossa Antigua'64.7-9(画像1)との3作でデスモントとジム・ホールとのコラボレーションは極まったと言える。'Bossa Antigua'は当時流行のジャズ・ボッサとはひと味違う名盤になった。スタンダード'The Night Has a Thousand Eyes'はコルトレーン、ロリンズとはまったく異なる情感で響く。
ちなみに「ボッサ・ノヴァ」は新しいボッサという意味で、「ボッサ・アンティーガ」は古い(時代遅れの)ボッサ、という意味になる。デスモントはこうした知的なユーモア感覚があり、ジャズマンの自筆ライナーノーツは大概真面目くさったものだがこのアルバムなど「はーい、ポール・デスモントです。デイヴ・ブルーベック・カルテットのアルトサックスと言ったほうが早いかな?」と実に力まずとぼけている。

ブルーベック・カルテットは67年11月の'Last Time We Saw Paris'で活動休止。ブルーベックはオーケストラ作品など大規模なプロジェクトに向かう。その後カルテットを再編するがデスモントの生前にオリジナル・メンバーは記念公演だけだった。
一方フリーランスになったデスモントはA&Mと契約。当時A&Mウェス・モンゴメリーを皮切りに名手ソロイストをドン・セベスキー編曲のオーケストラと競演させたイージーリスニング・ジャズ路線を進めており、'Summertime'68.10-12(画像2)、'From the Hot Afternoon'69.6-8、'Bridge Over Troubled Water'69(画像3)の3作を成功させた。「サマータイム」はガーシュイン曲だが'Ob-la-di,Ob-la-da'までやっている。そして「明日に架ける橋」はサイモン&ガーファンクル曲集で、これをやってジャズの品位を保ったのはデスモントならではだろう。