(連作「ファミリー・アフェア」その26)
結局一時間後に「さっきのは冗談」「えっ!」以来彼はぼくが一挙一動彼を馬鹿にしていると思うようになった。だから陰湿な目でぼくをつけ回すように睨んでくるのも仕方がない。ぼくは冗談にしていいことと悪いことの区別がつかないのだ。
Tさんはマンションの実家がぼくの住まいの前からさらに300メートルほど歩いたところだった。駅までは数人だが、駅からはふたりきりで歩く。Tさんは過去の片思いの話ばかりしてきりがないので彼女の家まで送って行った。毎回別れ際には手袋を脱いで握手を求めてきた。
「私インテリじゃないと駄目なんです」
ぼくの別れた妻が彼女と同い年なのも強い印象を残したようだった。
デイケアは居心地のいい場所ではなくなり、スタッフかK先生かそれともぼくからか、売り言葉に買い言葉的に辞めることになったのは既に躁だったからだ。Tさんがデイケアもクリニックも辞めたのは、親しかったOさんから聞いた。
K先生は苦い口調で「佐伯さんが誘惑したようなことはなかったと信じているよ。ただ、お父さんは理解があるがお母さんはデイケアで他の患者と知りあうのも嫌だ、という人でね。謝罪しろ、というのは断った。今はどうしているのかわからない」
「転院の申し送りも?」
「なかった。もうぼくの手を離れたものと割りきっているよ」
入院中にも女性患者に求婚されましたよ、とは笑い話にもならなかった。
ぼくは退院からまだ間もなく、双極性障害という診断から自分なりに調べてみたが、入獄経験のある作家と同じくらい躁鬱病の作家が多いのには面食らった。へぼライターとはいえぼくとて文筆家だった男だ。
「漱石がそれらしいですね。はっきり診断されて入院しているのが坂口安吾」
「三島由紀夫もそうだよ。あれは躁鬱と自己愛型人格障害」
西洋文学にもこと欠かない。ヴァージニア・ウルフなど女性の躁鬱作家だ。
ぼくはついでに新聞のコラムについて訊いた。高名な精神医学者の文章で、聖書のパウロ書簡に「働かざる者食うべからず」とは過剰反応されがちだが、お布施に頼っている弟子たちを戒めた言葉であり、働きたくても仕事がない・病気で働けない人に向けた言葉ではない、という主旨だった。タイトルは「休むことも大切」。
「その通りだと思うよ」と主治医は言った。