(連作「ファミリー・アフェア」その36)
彼女と個人的な親睦が生じたのが本の貸し借りだったなら(ぼくは岩波文庫の「ロビンソン・クルーソー」と「ガリヴァー旅行記」を持って入院した)、先に退院していった彼女とのメールのやりとりは完全に個人的なものだった。彼女の退院祝いに、ぼくは自宅外泊練習(ビールがうまかった)のついでに文庫版のヴァージニア・ウルフ「灯台へ」を持ち帰ってプレゼントした(数年おきに買っては読み返しているので、何冊も持っているのだ)。ぼくには大した意味はなかったが、そんなことも彼女は特別なことのように感じたらしく、ぼくからのメッセージをさがすように時間をかけて丁寧に読んでいたようだった。
彼女はやや早目に入院を切り上げ、ぼくは三か月まるまる入院したので、メール文通期間はぼくの退院までの一か月におよんだ。SくんやOさん、Uさんも先に退院していたのでKくんは半日外出して彼らと食事会をしてきたりしていた。
「なんで来ないんだよ?」とKくんにぼやかれた。「おれは一生の友人だと思ってるんだぜ」
「毎回カレーなんだろ?おれ、専門店のカレーは苦手なんだよ」
「…そうなのか」
もちろん口実だった。退院した人とは会わない。入獄経験からぼくは累犯という現象を学んだ。アルコール依存症ではむしろ断酒サークル活動が奨励されているのだが、欧米でのような文化基盤なしでどれだけ成果をあげているか疑わしい、とすら思える。
病院は交通機関の便が悪く、バスは1時間に1本、最寄り駅まで迂回して1時間という立地にあった。Nさんは市内在住だったからKくんの退院はNさんに車で駅まで送ってもらうことになった。Kくんはぼくと同日退院に決まった。Nさんはふたりとも送ってくれるという。ぼくは退院を数日後に延ばすことにした。病棟の誰もが不思議がった。なんで?
「一緒に退院なんてかっこ悪いからね」
とぼくは答えていた。
だがNさんはぼくの退院も送るという。最寄り駅からは数駅もないので、自宅まで。ぼくは断ったが、一週間のメールのやりとりで折れた。久しぶりに会う彼女は再会を喜んでいた。見たいというので部屋にあげ、退院発表の朗読をした。彼女が帰ると、途端に孤独感が押し寄せてきた。
翌日から彼女は毎日のように訪ねてきた。男女の関係になるのに時間はかからなかった。