人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補2a)レニー・トリスターノ(p)

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Lennie Tristano(1919-1978,piano)。
モダン・ジャズ黎明期の天才ピアニストといえばセロニアス・モンクバド・パウエルだがモンクが評価されたのはずっと遅く、バドに続いて注目を集めたのはシカゴ出身の盲目のイタリア系白人ピアニスト、レニー・トリスターノだった。バドやモンクが無意識の天才なら、トリスターノは自意識の塊のようなジャズマンで、ジャズ史上初の、自覚的方法論を持ったインテリ・ジャズマンだったといえる。一切の妥協を拒む反商業主義者で、享年60歳にして生前に発表されたアルバムは3枚にすぎず、オムニバス盤収録の録音を併せても5枚に満たない。没後に本人秘蔵の未発表アルバムが次々と発掘されたが、名のみ高くしてほとんど聴かれていない天才の筆頭だろう。

トリスターノ作品は03年発売の4枚組CDボックス、
Intuition(画像1)45.5-52.7
-が未CD化曲、廃盤アルバムを一挙に8枚分網羅してあり、価格もCD1枚分と便利。これで45年5月の自宅録音ソロ・ピアノ4曲と、同月のエメット・カールズ・セクステットのシカゴ録音4曲7テイクが聴ける。驚異的なことにトリスターノはこのバンドですでに自己のピアノのみならずバンド・アレンジの方法も完成の一歩手前にいる。モンクやバドがスタイルを完成させる以前に、早くもビ・バップを消化してビ・バップを超えるスタイルに着手していたのだ。

翌年トリスターノはニューヨークに進出し、クラブ出演の傍ら、
The Complete Lennie Tristano On Keynote(画像2)46.10.8/47.5.23
-にまとめられる一連のシングルを録音する(ボックスにも収録)。この初のリーダー録音でトリスターノはバドに続くビ・バップのトップ・ピアニストとして評価を確立した。編成はバド以前のピアノ・トリオの典型でピアノ、ギター、ベースのアンサンブルだったが、トリスターノは無調や対位法を織り込んだ現代音楽的手法をビ・バップに折衷し、トリスターノの手法がビ・バップに逆流してクール・ジャズと呼ばれる分野が生まれることになる。

紙幅がなくなった。
Live At The Cafe Bohemia(画像3)47.8.22
-については次回で触れる。