Thelonious Monk(1917-1982,piano)。
前回触れた事件以来モンクは仕事も日常でも夫人の付き添いなしでは外出しなくなった。モンクの社交性には両極端の証言があり、人見知りはますます激しくなりつつあった。大手コロンビアへの移籍も決り、仕事の交渉はマイルスも手掛ける新しいやり手マネジャーにすべてを一任するようになる。リヴァーサイド社の社長ともイエスかノー以外の会話をしなくなった。55年以来の同社とのアルバム制作も、ライヴ盤、
At The Blackhawk(画像1)60.4.29
-が最後になった。サンフランシスコの老舗ジャズ・クラブでの収録で、正規メンバーに昇格したチャーリー・ラウズ(テナーサックス)とのカルテットに現地ジャズマンのジョー・ゴードン(トランペット)とハロルド・ランド(テナーサックス)が加わる。新曲は'Worry Later'のみだが、シェリー・マン(ドラムス)のメンバーでもありガレスピーやパーカーとの共演経験もあるゴードン(後ホテル火災で事故死)、元ブラウン=ローチ・クインテットのランドという腕利きで味のあるゲストの参加で新鮮な演奏になった。
これは元々シェリー・マンとの共演アルバム企画でスタジオ録音が開始されたがモンクの不機嫌で急遽代案されたもので、そんな事情もモンクの転換期を感じさせる。
続く二作のヨーロッパ・ツアーのライヴ盤、'Monk In France','Monk In Italy'はあからさまな契約満了アルバムで、リヴァーサイド社は制作に関与すらできずマネージメント側が録音して同社に送りつけてきたもので、リヴァーサイド社の屈辱感は想像に難くない。パリでのライヴ盤は同社の倒産後発売された。
大手コロンビア移籍第一弾アルバムは、
Monk's Dream(画像2)62.10.31,11.1-2&6
-で、以降はラウズとのワンホーン・カルテットがスタジオ録音、ライヴ盤ともに基本となる。LPでは編集された8曲だったが、CDではカット部分を復元し別テイク4曲追加。新曲は1曲。ここから始まるコロンビア時代については総括的な解説もあるので、次作、
Criss-Cross(画像3)62.11.6/63.2.26-28&3.29
-とともに次回で触れる。