人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補8h)セシル・テイラー(p)

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Cecil Taylor(1929-,piano)。
セシル・テイラー編最終回は74年までで終る。73年のテイラーは文献でも録音からも圧倒的だったと確かめられるが、仄聞によると74年に再来日(それほど73年の来日公演は好評だった)したテイラーはまるで別人だったらしい。この年からテイラーはヴォーカリゼイションとダンス・パフォーマンスをライヴに取り入れるようになり、演奏だけでなく歌って踊るテイラーに聴衆は拒絶反応を示した。75年の「ダーク・トゥ・ゼムセルブス」以降も今日までテイラーは話題作・問題作を順調に発表する巨匠だが、ステージでは断固として歌って踊るピアニストであることを止めない。
中期以降の作品を紹介せず円熟への到達までを全作品紹介したのはビル・エヴァンスと同じ理由で、多作時代に入ってからは収拾がつかなくなるからでもあり、ここまでで巨匠の地位を確立したからで、これ以上は過剰になる。モンクは後期まで全作品を紹介したが、そこまで見る必要がモンクにはあった。

初来日公演のさなかに無人のホールで録音された、
Cecil Taylor Solo(Lono)(画像1)73.5.29
-はタイトル通りのソロ・ピアノ作品。全31分4曲と控え目で聴きやすく、「アキサキラ」と同じく日本のトリオ・レコードから発売されてヒット作となった。テイラーにとっては初めてではないか。だが残念ながら74年のライヴ録音は見送られた。

次の作品もライヴ盤で、ニューヨークのタウン・ホール録音から、
Spring Of Two Blue J's(画像2)73.11.4
-として自主制作盤に近い発売をされた(掲載は廉価盤ジャケット)。A面B面ともにタイトル曲だが、それぞれ16分のソロ・ピアノと21分のカルテット(ベース入り)で、「Aの第二幕」を縮小したような構成。A面はドファシ、B面はミレドの三音の動機の反復と変奏だけで聴かせる。ベースが入っただけで格段に聴きやすい。録音もいいのに権利不明で廃盤。ちゃんと再発されないのだろうか。

翌年テイラーはスイスのモントルー・ジャズ祭に招待される。
Silent Tongues(画像3)74.7.2
-はその時のソロ・ピアノのライヴで乗りも良く、人気も高い(画像は近年の再発ジャケット)。テイラーは名実ともに巨匠になったのだった。