人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補10b)アンドリュー・ヒル(p)

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Andrew Hill(1931-2007,piano)。
ヒルは63年秋には活動拠点をニューヨークに移し、ブルーノート社専属アーティストになる。従来37年生れというのはだいぶサバをよんでいたので、10歳年下のハンコックよりも2年遅れた、32歳の遅咲きのニューヨーク・デビューだった。ブルーノート社での最初の録音は、
Joe Henderson:Our Thing(画像1)63.9.9
-で、ケニー・ドーハム(トランペット)とヘンダーソン(テナーサックス)の'Blue Bossa'コンビとのクインテット。続いて、3月にハンコックのピアノで2曲の録音を進めていた、
Hank Mobley:No Room For Square(画像2)63.10.2
-の4曲をリー・モーガン(トランペット)を含むクインテットで録音する。

どちらも60年代ブルーノートの秀作として名高く、それぞれリーダー自作のタイトル曲が代表曲だが、ポジションの近かったハンコックならもっとスマートだったろうな、と思うくらい乗りが重い。50年代のピアニストではマル・ウォルドロンという先達がいた。ウォルドロンからヒルへの影響関係はないと思われるが、資質として似通ったものを感じる。共通点にはバド・パウエルセロニアス・モンクの影響があるが、これはモダン・ジャズのピアニストの必須科目だからヒルとウォルドロンに限ったことではない。

そしてブルーノートは半年で5枚のヒルのリーダー作録音を決行する。これはピアニストではモンク、エルモ・ホープ、ハービー・ニコルス以来の大抜擢で、ヒルは全作品を自作オリジナルで固めることになる。
Black Fire(画像3)63.11.8
-はその第1作で、全7曲。編成はヘンダーソンとのワンホーン・カルテットで、ベースはリチャード・デイヴィス、ドラムスはロイ・ヘインズという最強のメンバー。音楽性はマイルスの「E.S.P.」を思わせるが二年早い。オリジナル曲の独創的な作風はすでに出来上がっている。セシル・テイラーを意識していない訳はないので、「セシル・テイラーの世界」あたりから発展させたピアノ・スタイルも感じる。AABA型式のタイトル曲や'McNeil Island'は曲もモンク風。取っつきづらいが、繰り返し聴くと病みつきになる魅力がある。