人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

通院日記・6月24日(月)曇り

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「屠所の羊」というのは由緒正しい日本語の慣用表現なのだが、文芸書の老舗・I書店が新書判のヴェトナム戦争を扱ったルポルタージュで「まるで屠殺場のようだった」と戦場を表現したのが予想外の大問題になり、本は回収と改訂、マスコミでは「屠所・屠殺場」は使用禁止用語になった。70年代初頭のことだ。

しかし食肉用の屠殺に通常問題はなにもないように、国際法の順法戦闘行為は殺傷を伴うものでも正当化される。たまたまヴェトナム戦争では戦闘員のみならず市民によるゲリラ活動が多発したため、事態は複雑化した。

大規模戦争では非戦闘員への虐殺行為は枚挙にいとまがない。ただしヴェトナムの場合はアジアの小国に対する軍事介入という占領目的が露骨だったことで国内でも世論を分け、さらに市民ゲリラの抵抗勢力を武力で殲滅するのは明らかな国際法違犯だった。

だから非戦闘員への虐殺を「屠殺場のよう」だった、と表現するのは陳腐だが正当なレトリックで、問題があるならば畜産業者との表面的な比喩、さらに掘り下げれば近代以前の被差別階級と畜産業の歴史的な係わりがあるのだが、I書店の場合は単なる言葉狩りの次元でこの問題に対処してしまった。

以上は都庁の被差別問題対策課でぼくが編集者だった頃、編集部ごと呼ばれて見せられた差別問題ヴィデオの内容(から膨らませたもの)で、ヴィデオ自体の内容は戦場=屠殺場という表現に関する職業差別と本の回収・改訂騒ぎに触れるのみだった。差別問題の政治性・歴史性など微塵も考えたことのなさそうな職員が差別用語について馬鹿みたいな解説をし、ぼくを含めた編集部の半数が「問題の本質は差別用語自体ではないだろう」と反論した。

実はここまでが前振りで、先週は遅刻して処方だけ取りに行ったがそれすら嫌々だった。今日も睡眠薬の効きすぎで遅刻したが、先週休んだ分診察に呼ばれた。おとなしく待合室で待っていると、「屠所の羊」という言葉が頭に浮かんだ。諾諾と俎上に乗せられ、運命は成り行きまかせでしかない。従順な羊。

ぼくが先週の障害課からの通知で更新された手帳の級数を報告すると、福祉課との対応も含めて、受給額削減・さらに等級据え置きは不当で、これではやっていけないだろう、と新規の障害申請を強く勧められた。することになるだろう。ただし診断書は自費だ。吉か凶か?