Marion Brown(1931-2010,alto sax)。
マリオンの初リーダー作は65年11月の'Marion Brown Quartet'で、ドラムスはラシッド・アリ(翌年よりコルトレーン・クインテットに加入)、ベース二人、サックスにベニー・モーピン(のちマイルスの『Bitches Brew』に参加)とトランペットにアラン・ショーター(ウェインの兄)で、曲ごとに編成が変わるピアノレス作品。これは散漫な出来が否めなかった。だが第2作、
Why Not?(画像1)66.10.23
----でマリオンの作風は確立する。作風はおおげさか。芸風、といった方がいいだろう。
ここでもマリオンの演奏力には限界があるが、この作品では実力ある新鋭ピアニスト、スタンリー・カウエルを迎えて、いきなりラテン・ムードのオリジナルで迫る。泥沼のようなフリー・ジャズ揃いのESPの中で、こんなにポップな作品はあるまいと思われる。マリオンはムードの設定程度にほんの少ししか吹かず、大半をピアノ・トリオに任せているのが作品を成功させている。
60年代後半に渡欧したマリオンはけっこう話題のジャズマンになったらしい。アルバム制作もヨーロッパのレーベルからだが、「ジュバ・リー」などはヨーロッパのフリー・ジャズ・シーンに大きな影響を与えた。
Porto Novo(画像2)67.12.14
----は渡欧初期の代表作で、ピアノレスのアルト/ベース/ドラムスのトリオ編成だから、ここではマリオンはたっぷり吹いている。どのオリジナル曲も明るくメロディアスなフリー・ジャズだが、楽器が上達して楽曲をとぎすましたらもろオーネット・コールマンになってしまうきらいもなくはない。
その後マリオンは'Afternoon Of A Georgia Faun'70や'Sweet Earth Flying'74などで'Why Not?'以来の牧歌調路線を邁進し、
November Cotton Flower(画像3)79.6.21-22
----はデビュー15年目の総決算的アルバムになった。日本ビクターによる、いわゆる「日本制作盤」(録音・原盤はニューヨーク制作)だが、日本向けのコマーシャリズムは一切ない。ラテン調明朗(または哀愁)フリー系ジャズで愛されたジャズマンがマリオンだった。'La Placita'などこの人ならではの牧歌ジャズだろう。