人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

#11.続々続『エピストロフィー』

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セロニアス・モンクの「モンクス・ミュージック」はリヴァーサイド・レーベルに前年に移籍してから第5作にあたり、「プレイズ・デューク・エリントン」を皮切りに「ユニーク・セロニアス・モンク」「ブリリアント・コーナーズ」「セロニアス・ヒムセルフ」と続いて15か月でどれもが傑作、という恐るべき創作力の絶頂期に録音された。モンクは40歳。20代初めには早くもニューヨークの若手黒人ジャズマンのリーダー視され、30歳でレコード・デビューするも鳴かず飛ばずの30代を送り、リヴァーサイド移籍後のアルバムでようやく注目され、ついに57年にジョン・コルトレーンを迎えた半年間のクラブ出演で一躍最重要ジャズマンと目されるに至った-まさにその最中に制作されたのがこのアルバムになる。

リヴァーサイドはこのアルバムには予算をかけて豪華メンバーを揃えた。全員にモンクとの共演歴がある、トップ・クラスのミュージシャンで、
レイ・コープランド(トランペット)
ジジ・グライス(アルトサックス)
コールマン・ホーキンス(テナーサックス)
ジョン・コルトレーン(同)
ウィルバー・ウェア(ベース)
アート・ブレイキー(ドラムス)
-そしてモンク自身のピアノからなるセプテット(七重奏団)で57年6月26日に全曲が録音されている。

このうちコープランドとブレイキーはこれまでもモンクのアルバムに参加し、グライスにはモンク参加のアルバムがあり、コルトレーンとウェアは57年のモンクのカルテットのメンバー。そしてコールマン・ホーキンスは1904年生れのテナーサックスの巨匠で、トランペットやクラリネットに限られていたアドリブ・ソロを初めてテナーサックスでやってのけ、テナーサックスの父とまで呼ばれる。大ヴェテランだがビ・バップにも早くから挑戦し、モンクはホーキンスのバンド・メンバーとして本格的にプロ・デビューしたという経緯がある。

ホーキンスは威張りもするが音楽には誠実で、リハーサル中に22歳も年下のコルトレーンに曲へのアプローチを訊いてきた。モンク・カルテットの現役メンバーとはいえ尊敬する大先輩に教える側ではないので、二人でモンクに教えてもらおう、ということになった。ところがモンクのそっけない返答に結局そのままセッションに臨むことになる。その様子がこのアルバムで聴ける。