人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小説の絶対零度(3)ブランショ

ベケットセリーヌと来たらモーリス・ブランショ(1907-2003、フランス)は外せない。生涯写真一枚公けにせず、現代文学を読み解く上で必須である「エクリチュール」(書法)という概念はこの人の文学論集「文学空間」55で確立されたといえる。セリーヌどころか極右のジャーナリスト出身でもあった。作風が完成するまでの初期3作から、冒頭部分を読もう。
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夜はすっかり明けていた。それまでひとりきりだったトマは、頑丈な体格の男が一人で戸口の前を静かに掃除する様子に愉快な気持になった。その店の戸口は半分開いていた。トマが少し身を屈めると、店の中でひしめきあう家具にようやく場所を確保したベッドで一人の女の寝姿が見えた。顔は壁を向いていたが完全に隠れてはいなかった。穏やかだが熱っぽく、苦しげだが既に安らかな眠りに身を任せているような-女はそんな表情に見えた。その時トマは掃除をしていた男に呼び止められた。
「お入りなさい」
(「アミナダブ」42)
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その事件が私に起きたのは1938年のことだった。その話をしようとすると、私はひどい気詰まりを感じる。私は数冊の本を書いたが、それは書物によってすべてにけりをつけたかったからだ。小説も二、三書いてみたが、それらの小説は言葉が真実から後退し始めた瞬間に生れたのだ。私は真実を怖れない。だがこれまでのところ、言葉は私が望むよりずっと弱く、ずっと狡猾だった。これは確かに警告なのだ。真実は秘めたままの方が気高いかもしれない。姿を見せない方が真実には有利なのだろう。だが今では、私は手早くけりをつけたく思う。けりをつけるのもやはり気高く大切なことなのだ。
(「死の宣告」48)
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トマは座りこんで海を見つめた。しばらくの間、彼は他の海水浴客を眺めに来たという様で座りこみ、霧のせいで視界はぼやけていたが、苦心してやっと水に浮かぶ人々の姿にじっと目を凝らしていた。それから一段と大きな波が彼の体に触れ、彼も砂の斜面を降りて波の波動に滑り込むと、たちまち波の渦が彼の体をひたした。にもかかわらず、今よく知っているはずの自然の中を動き回っている感覚はまるでなかった。海水がないという感覚のせいで泳ごうという努力すら徒労に感じた。自分がそこに何らかの救いを見出だすつもりで、虚空をじっと見つめている気分だった。
(「定本・謎の男トマ」50)