人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小説の絶対零度(4)バタイユ

セリーヌブランショときたらやはり「呪われた」作家としてジョルジュ・バタイユ(1897-1962,フランス)を上げないわけにはいくまい。バタイユの本領は「無神学大全」や「エロチシズム」などの思想家としての面にあるが、思想も小説もニーチェフロイトを経過したサド、といった趣きがある。ご紹介する三冊のうち先の二冊は当時偽名で刊行された。
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私は孤独に育った。物心ついて以来、性的な悩みに苦しんできた。16歳頃、**海岸でシモーヌという同い年の娘と出会った。お互いの家庭が遠縁関係にあるとわかって、二人は急速に親しくなった。知りあって三日後に、シモーヌの別荘で二人きりになった。彼女は黒い学生服を着て、糊のきいたカラーを着けていた。彼女も私と同じ悩みを抱いていることに私も薄々気づいていた。その日それは特に激しかったのか、制服の下は素裸のようだった。
廊下に猫用のミルク皿が置かれていた。
「お皿は、お尻を乗っけるめにあるのよ」シモーヌが言い出した。「賭けをしない?あたしこのお皿に座ってみせる」
(「眼球譚」28)
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ある街角で、不潔で酔い痴れるような苦悩がおれの顔を歪ませた(たぶん便所の階段を降りていく二人の娼婦を見かけたからだ)。そんな時、おれは決って吐きたい気分に襲われる。自分が裸になるか、それとも娼婦たちを裸にするかだ。くたびれた肉の厚みがおれの気分を和らげてくれるだろう。酒場で一杯ひっかけて通りをぶらつくと、孤独と暗闇がおれをすっかり酔わせた。人気のない通りで夜は裸になっていた。おれも夜のように裸になりたかった。ズボンを脱いで、おれの股間と夜の冷気を結びつけた。しびれるような自由を感じ、代物が大きくなるのがわかった。
(「マダム・エドワルダ」37)
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まざまざと思い出すが、初めてロベール・C.に会った時、私は耐え難い心痛の最中にいた。われわれを律しているのは、ジャングルの残忍な掟だとわかる時がある。工場の中庭では鉛のような陽光を浴びて、職工がシャベルで石炭を鋤っていた。埃が汗でべっとりと膚に張りついていた…。
倒産したのだ。働かなくてはなるまい。
私はシャルルの顔を思い浮かべた。恐怖までが軽やかで快活にさえ見える彼を。彼に会えば倒産から来たこんな気分も始末がつくだろう、その日はまだそんな望みをかけていたのだ。
(「C.神父」50)