人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

草野心平の三つの詩

『秋の夜の会話』草野心平

さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずいぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだろうね
腹だろうかね
腹とったら死ぬだろうね
死にたくはないね
さむいね
ああ虫がないてるね

(詩集「第百階級」1928)

草野心平(1903-1988)の第一詩集から、巻頭の一編。この詩集はすべて蛙の世界を題材にしており、宮沢賢治以外の日本の詩の影響は見られない。詩集全体のエピグラムには、

蛙はでっかい自然の讚嘆者である
蛙はどぶ臭いプロレタリヤトである
蛙は明朗なアナルシスト
地べたに生きる天国である

-と宣言されている。
草野が主宰した同人誌「学校」~「歴程」に依った詩人たちも蛙の群のような存在だった。宮沢賢治は田舎の学校教師、草野はヤキトリ屋、金子光晴はヒモ、高橋新吉精神障害者山之口獏はルンペン、逸見猶吉はバー経営、岡崎清一郎は貸本屋、石川善助は草野の居候、吉田一穗や中原中也は無職…といった面々だった。中原中也は西洋文学ンテリのエリート集団である「文学界」や萩原朔太郎の弟子たちによる詩壇エリート集団「四季」の同人でもあったが、その夭逝は「文学界」同人からは深刻な文学思想上の問題視され、また「四季」では美化と共に異分子が去った安堵感をもたらした。
中原は晩年、長男の死から精神疾患に陥り、まもなく次男が生まれても長男の死による打撃から立ち直れなかった。草野は中原家からの弔報を「次男にも死なれたか」と思ったという。二年後、草野は中原への追悼詩を書いた。

『空間』

中原よ。
地球は冬で寒くて暗い。

ぢゃ。
さようなら。

(詩集「絶景」1940)

この詩は再び第一詩集の、「世界一短い詩」として知られる一編を思い出させるだろう。草野は中原に対しても、他の詩人仲間と同様に蛙同士の友情を持っていた、ということだ。それは「文学界」や「四季」の詩人ではない中原だった。

『冬眠』



(詩集「第百階級」1928)