人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

精神障害者としての作文

ぼくは国家公認(!)の精神障害者で、精神錯乱による昏迷や幻覚・幻聴を明確に体験したのは入獄中だったから、それが一過性の監禁性障害でないならばぼくが本格的に発症したのは獄中ということになる。友人のクワバラくんと一緒だ。彼は統合失調症だが、壁や天井から無数の腕が生えていたという。ぼくも壁や天井に無数の模様や文字が見えた。ノンストップでドアーズの曲が鳴り響いた。警官に押収されたバッグの中に五百万円入っていると思い込み、明日は知人の誰彼が訪ねてきて自分は釈放されるはずだと思い込んだ。

釈放後にぼくは抑鬱性障害と強迫性=シゾイド人格障害、およびアスペルガー症候群と診断され、就労不可能として生活保護受給者となった。通院一年半経過後に、ぼくは一過性の抑鬱性障害ではなくもっと重度の障害だと明らかになる。

ぼくと同病(双極性障害一型、通称「躁鬱病」)の文人は実は数多く、皮肉なことだが精神疾患の中で唯一病状が高い創作力に結びつくのが躁鬱病なので、躁鬱病の人は大半は病状によって日常生活に支障をきたすのだが、たまたま創作家だと創作の原動力になる。夏目漱石は「坊っちゃん」や「草枕」を書くのに数日とかからなかった(だが「野分」や「二百十日」などの凡作も書いてしまう)。

ジョン・レノンなどは実に解りやすく「ジョンの魂」で上昇し、「イマジン」でつんのめり、「NYシティ」で天上天下唯我独尊化し、「マインド・ゲームス」で落ちて、「ウォールズ・アンド・ブリッジス」で安定した後は創作意欲を喪失した。典型的な双極一型の上昇下降を示しており、躁の頂点では冷静な客観性を失うが、起点と安定点では鬱とのバランス(通常、ある程度までの鬱では判断力は保たれる)で優れた作品を生み出した。

ぼくと同病の文人には坂口安吾三島由紀夫がいるが(躁鬱病なら文才があるのではなく、文才のある人が躁鬱病を患った例だが)、ぼくは自分がそう診断されるまで彼らの病跡に関心はなかった。詩人では蒲原有明に明らかな神秘体験があり、北原白秋はおそらく入獄によって発症している。神秘体験や入獄経験があれば誰もが発症するわけではない。それにぼくは精神医学の専門家ではない。だが現実に精神疾患を生きている人間、これまで四回入院して患者どうし大勢とひとつ屋根ですごした人間として、気になってならない気持がするのだ。