人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

短歌と俳句(1)寺山修司

筆者は、だいたい日本人にとっての言語感覚は短歌型と俳句型に分けられるのではないか、という疑問を長年抱いている。伊藤整(1905-1969)の「裁判」1952はロレンス「チャタレー夫人の恋人」の翻訳書が猥褻出版物として告訴された事件の、敗訴までの興味のつきない記録だが、心理学者の宇留野藤雄、言語学者波多野完治が被告側の証人として、心理学と言語学の両面からロレンス作品の表現を非ポルノ作品と立証していく章は、このノンフィクションの白眉と言えた。

「裁判」の場合は、性表現でもポルノ作品と文学作品ではいかに異なるものかが研究されたのだが、そのように短歌的言語感覚と俳句的言語感覚の違いが、短歌や俳句を創作しない、興味もない人でもあるのではないか。

たとえば筆者は斎藤茂吉塚本邦雄の短歌を読むとすごいものだと思う。だが短歌ではよほどの歌人の作品でないと訴えかけてこないのに、俳句はそこそこの作品なら感興が湧く。要するに短歌的言語には鈍く、俳句的言語なら反応する、ということだ。

寺山修司(1935-1983)は高校時代から俳句と短歌の両方に手を染め、10代のうちに著名新人となったが、短歌は30代まで創作したのに対し俳句は10代までしか書かなかった。寺山の短歌デビュー作は、たとえばこのようなものだった。

・わが下宿に北へゆく雁今日見ゆるコキコキコキと罐詰切れば
・わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る
・向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わず自己なき男

これらは1954年発表の短歌専門誌の新人賞受賞作に含まれるが、以下に引用する俳句作品と較べていただきたい。どれも句集収録以前に雑誌発表されたもので、当時の俳句界の有力作家たちになる。

・鳥わたるこきゝゝと罐切れば
(秋元不死男句集「瘤」1950)
・わが天使なりやおののく寒雀
(西東三鬼句集「今日」1951)
・向日葵の光輝にまみれ世に出でず
(平畑静塔句集「月下の俘虜」1954)

前記の寺山作品のうち、さすがに先の二首は歌集から抹殺された。だが寺山には「便所より青空見えて啄木忌」や「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」等の優れた句や歌もある。
次回は詩人・石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌を取り上げてみたい。