人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アル中病棟の思い出4

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2010年1月24日・日曜日がこの文章の筆者にとってのいわば1970年11月25日だった。時刻も12時15分頃と、ほぼ同じだ。
その日曜日、教会では現任牧師罷免について礼拝後の年次総会で決定することになっていた。総会出席者の全員が罷免に賛同で、牧師擁護派は牧師の後輩夫妻だけだがその日は仕事のシフトで欠席する。
ひとりでもこんな決議には反対しなければならない。牧師の宣教が非力だから教会が成長しない、というのが罷免案の根拠だった。そんな馬鹿げた意見はない。牧師個人の能力とは事情が異なる。

25年前までこの町には信徒数2000名を超える国内屈指の大教会があった。その教会は今は隣町に移転して、信徒数は4000名を超えている。宗派は違うが同じプロテスタントキリスト教会だ。その教会のことはよく知っている。ぼくの父はその創立信徒のひとりで、その教会で初めての洗礼式がぼくの父母で、初めての挙式がぼくの両親で、初めて生れた赤ん坊がぼくだ。物心ついた時まだ30人くらいだった教会が100人を超えて、いわゆる戦後ベビーブーム世代(団塊の世代というやつ)を取り込み、都心から50分の郊外地域としての人口増大とともに1000人を超える大教会になっていく過程を見てきた。

人が人を呼ばないと教会は成長しない。その教会が隣町に移転したのでこの教会が別の宗派によって建てられたのだが、町単位でなくほとんど県央単位で潜在的プロテスタント信徒は大教会に集まってしまう。移転後に2000人から4000人に倍増したのは信徒が新たな信徒を誘うからだ。だがこの小教会の信徒はほとんど年金暮らしの未亡人しかいない。ケーブルTVやFMラジオで礼拝中継し、1000人収容の教会所有ホールで四回も日曜礼拝が行われる大教会とは条件が違う。

その数日前、ぼくはラーメン屋で入ってくるなり昏倒した老婆を見た。ぼくともうひとりの客、店員で介抱したが昏迷状態なのに体を固くして介抱を拒むのだ。老婆がまるでホームレスのように適当に拾ってきたような服装なのに気づいた。救急車が到着した時に老婆は意識を取り戻して、検査も断って逃げるように去った。たぶんこれが初めてではないのだ。以前は搬送され医療費がかかったのだ。大切なことが逆になっているのだ。この教会も今その老婆と同じだ。
―それがぼくの意見書だった。