人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アル中病棟の思い出5

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「2010年1月24日・日曜日がこの文章の筆者にとっての、いわば1970年11月25日だった」
というのは、現任牧師の罷免決議の年次総会で、真っ先に発言した後だった。いや、正確には帰宅して安ワインをあおり始めてからそれに気づいたのだ。

まず、それまで誰にも話さなかった自己紹介から始めた。隣町の大教会の第一子としての生い立ちから離婚~入獄~精神疾患の判明、生活保護下の療養生活。そして罷免決議案自体がいかに信仰の本質から外れた無意味なことかを、用意しておいた意見書に沿って表明した。

沈黙。牧師夫人が口を切った。「佐伯さんは今、主がこの教会に必要な人として遣わしてくださった方だと思います」牧師の方を向くと、何となく目があった。牧師は何となくニヤニヤしていた。その理由はじきにわかった。

全員が順々に意見を述べ始めた。慎重に考えました、今回の罷免決議は見送り、今後の先生の努力を期待したいと思います。全員がそうだった。つい先週まで罷免を主張していた全員が。わかった。

わかった。毎年、年次総会のたびにこれが繰り返されてきたのだ。年金暮らしの未亡人ばかりの信徒たちはいつもは家庭的な雰囲気だが、年次総会のたびに牧師の宣教が難しい、そのせいで教会が発展しない、児童絵画教室やヴァイオリン教室(牧師は美術大学から神学校に進んだ人で、夫人は美術大学の後輩。ヴァイオリンは児童の頃からたしなみプロの腕前だった)も先生のバイト代になるだけで(牧師の給与は高校生と小学生二児の四人家族で月給14万円、年俸14か月分だった)教会成長に結びついていない、現任牧師を罷免し新任牧師を招こう、という話が蒸し返され、決議のたびに誰もが罷免案を取り下げる。牧師がニヤニヤしていたわけがわかった。牧師の後輩夫妻も、仕事のシフトとはいえ安心して欠席した理由がわかった。これを信仰の問題と考えたのが馬鹿だったのだ。

だが意見が一巡して、その時は怒りに燃えていた。立ち上がって、
「わかりました。みなさんにお話したことはまったく無駄でした。もうこの教会には来ません。お元気で。さようなら」
誰の顔も見ず教会を出た。「佐伯さん待って」と信徒の中でいちばん謙虚で素朴な老婦人が(この人は好きだった)泣きながら追ってきた。「いいえ、さようなら」振り切ってきた。

帰宅して三日三晩飲み続けた。