詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌についての論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、主に石原の晩年一年間に詠まれた歌集「北鎌倉」について論じたものだが、急逝の前月に雑誌掲載された清水昶との対談から石原の作歌の動機の自己分析(石原は直述ではなく回想の形で本格的な作歌当時の心境を解説している)によって石原の短歌の処女作と言える「詩の世界」第五号(76年7月)の二首を検討し、「北鎌倉」巻末首となった、
・夕ぐれの暮れの絶え間をひとしきり 夕べは朝を耐へかねてみよ
について、「これは石原さんの作品だという了解のもとでなければ、よめない短歌だ」とする。続けて「俳句のほうがはるかにいい。『発想一発』のよさばかりでなく、氏の年期のこもる分野でもあるからだろう」と誰もが納得のいく意見を述べている。そして「俳句の二句目(『死者ねむる眠らば繚乱たる真下』)は、詩にも起こされて」いると指摘し、次の詩を引用している。
『死者の理由』
りょうらんたる真下
死者は終りまで黙(モダ)しついだ
黙しぬくことが
ついに死者の理由であったのか
黙すことで存在を主張する
それが
死者ということであったのか
死につつ生きつづけ
生きつつ死につづけ
凝然とうごめきつづける
群落のうえへ
なおも華麗に
火は降(クダ)りついだ
〈返句〉打ちあげて華麗なものの降(クダ)りつぐ
(詩集「足利」77より)
この返句は「詩の世界」に『死者ねむる…』の句と同時発表されたもの。藤井は「これらは技巧の世界ではなく、詩と俳句が」「すべて死からのメッセージであるかのように統率されて」「おきかえられ」ている、と評している。
同様に短歌に先立って詩が成立していた例として、74年発表の散文詩を引く。
『藤1』
幽明のそのほとりを 装束となって花は降った もろすぎるものの苛酷な充実が 死へ向けて垂らすかにみえた そのひと房を。
おしなべて音響はひかりへ変貌し さらに重大なものが忘却をしいられるなかを すでにためらいを終え りょうらんと花はくだった
(詩集「北條」75より)
だがこれは、同じ『藤』の短歌である『今生の水面を垂りて相逢わず藤は他界を逆向きて立つ』とおきかえられるだろうか?