人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

短歌と俳句(17)石原吉郎16

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「短歌と俳句」と題しながら第一回で寺山修司を取り上げたきり、後は詩人石原吉郎(1915-1977)だけを延々考察しているのは決して当初の計画ではなく、現代詩の立場から短歌と俳句を相対的に見る、その最初に石原吉郎を持ってきた(寺山修司は軽い導入部にすぎない)のが論議をややこしくしてしまった。

これが三好達治なら、短歌も俳句もそれぞれの様式を活かした優れた作品を書いている。中原中也は短歌は書いたが俳句は書かなかった。宮沢賢治は質量ともに優れた短歌を書いたが俳句はまるで駄目だった。室生犀星は小説も俳句も一家をなした。小説家では滝井孝作、芥川龍之介横光利一が俳句をたしなみ、なんと言っても夏目漱石が俳句の人だったが、短歌のうまい詩人・小説家は絶対数も少ないばかりか肝心な詩や小説がどうもいけない。

もちろん伊藤左千夫の「分家」や長塚節の「土」(漱石が、うちの娘に読ませたい、と絶賛した)のように歌人の書いた本格的な長編小説の名作もある。斎藤茂吉塚本邦雄は批評もエッセイも抜群だった。
また、短歌の世界は俳句よりずっと制約が少ない。自由律非定型でも口語短歌でも許容範囲が広い。その自由さと、1000年以上の歴史(俳句の発祥はせいぜい江戸時代からにすぎない)、皇室行事にも採用され武家時代までまたいで勅撰和歌集が編まれていた(戦時下にも「昭和万葉集」が編まれた。年始の歌会始は今日でも行われている)という封建制権力との関係は一見矛盾して見えるが、これは逆に権力に囲いこまれているからこその自由ともいえる。

俳句の起源は文化の主導権が平民階級に移動したことから始まり、いわばイギリス人が紅茶を飲むならアメリカ人はコーヒーを飲むように始まった。連歌から次第に一句独立の俳句が成立して行った過程はやはり芭蕉、蕪村、一茶ら真の革新者がいたからだが、明治直前までの日本文学史津田左右吉のライフワーク「文学に現はれたる我が国民思想の研究」七巻(未完・岩波文庫)があり、亀井勝一郎「日本人の精神史」四巻(未完・講談社文庫)や唐木順三「日本人の心の歴史」上下巻(ちくま文庫)があるが、これらは近世までの日本文学史として石原の世代では共通認識だったろうと思われる。三島由紀夫の死を昭和の終焉とする桶谷秀昭「昭和精神史」正続(文春文庫)は石原の生きた時代そのものだ。