人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アル中病棟の思い出20

イメージ 1

イメージ 2

・3月13日(土)晴れ
(前回から続く)
「晩に、NHKドキュメンタリー『新薬開発の危機』をSくん、Kくんと第三病棟のデイルームで観ていると、70代後半くらいの年配の女性が腰をかがめて(ナースステーションから見えないように)寄ってきて、不運なことにつかまってしまう(Kくんたちではなく。きっといちばん親切そうに見えたのだ)。老婆が言うにはテレフォンカードか10円玉を貸してください、明日にはお返ししますから。警察に電話を…娘が第二にいるんです。さっきからずっと閉じ込められているんです(注1)」

「どこに閉じ込められているんですか、と訊くと真顔で四角い部屋です、と言う(注2)。テレフォンカードもお金も取り上げられているんです、明日必ずお返しします、と老婆は繰りかえし、さてどうしたものか。KくんもSくんも固まってしまっている。彼らには無理だな、と内心苦笑し、ではロッカーに置いてきているので取ってきましょう、となだめると、ありがとうございます、私のかわりに電話していただけませんか?第二病棟の四角い部屋、ほら!あの声です!」

「老婆は苦痛に表情を歪めながら、いま聞こえましたでしょう?さっきからずっと泣いているんです。閉じ込められているんです。もちろんそんな泣き声は聞こえない。このまま相手をしていてもきりがないので、とりあえずテレフォンカードと10円玉があるか部屋に戻って見てきますね、とKくんたちに目配せし、三人でデイルームを出てSくんは自分の部屋にさっさと避難、第二病棟に戻りながらKくんも無言」

「こりゃ参ったな、これまでの入院でもオカマのおじさんに迫られたりイカレた女に求婚されたりしてきたが、このパターンはなかった。当然気の毒なお婆さんの妄想と幻聴だろうが、一応第二の廊下を一周してみる(静まりかえっていた)。お婆さんに報告する責任があるだろうか?通報したから安心してください、それとも、もうお嬢さんは警察に保護された後でしたよとでも言うか?第三に戻ってみるともう老婆はおらず、Sくんがテレビの続きを観ていた。こういう災難に遭うタイプなんだな、とため息が出る」

(注1)その後「退院した娘の家が火事」など次々と妄想が変化する。
(注2)「なにゆゑに室は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす」前川佐美雄(歌集「植物祭」)