人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

短歌と俳句(26) 耕衣/六林男/敏雄

戦後俳句の前衛運動を高柳重信句集「蕗子」(昭和25年8月)を起点とし、金子兜太句集「少年」(昭和30年10月)によって定着したとしても、戦前~戦時中からすでに前衛俳句を予期する作風を確立していた俳人たちがいる。それが遅れてきた新興俳句作家である永田耕衣(1900-1997)であり、早熟すぎた鈴木六林男(1919-2004)と三橋敏雄(1920-2001)だった。耕衣は西脇順三郎を崇拝する天性の前衛俳人であり、六林男と敏雄は早くから渡辺白泉・西東三鬼に師事していた。これは重信が富沢赤黄男に師事していたのと対応する。

※耕衣十句

父母哀し氷菓に染みし舌出せば

夢の世に葱を作りて寂しさよ

猫の恋する猫で押し通す

かたつむりつるめば肉の食い入るや

朝顔や百たび訪はば母死なむ

行けど行けど一頭の牛に他ならず

夏蜜柑いづこも遠く思はるる

近海に鯛睦み居る涅槃像

少年や六十年後の春の如し

コーヒ店永遠に在り秋の雨

※六林男十句

蛇を知らぬ天才とゐて風の中

怒りつゝ書きゐしはわが本名なり

遺品あり岩波文庫阿部一族

墓標かなし青鉛筆をなめて書く

生き残るのそりと跳びし馬の舌

かなしきかな性病院の煙突(けむりだし)

暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり

わが女冬機関車へ声あげて

夜の芍薬男ばかりが衰えて

五月の夜未来ある身の髪匂う

※敏雄十句

かもめ来よ天金の書をひらくたび

少年ありピカソの青のなかに病む

いつせいに柱の燃ゆる都かな

死の国の遠き桜の爆発よ

昭和衰へ馬の音する夕かな

父はまた雪より早く出立ちぬ

手をあげてこの世の友は来りけり

顔押し当つる枕の中も銀河かな

戦争と畳の上の団扇かな

戦争にたかる無数の蠅しづか

三者とも見事なものだ。耕衣には「土鰌浮いて鯰も居るというて沈む」という傑作もある。まるで谷岡ヤスジを予見したような句ではないか。また、無季句でも定型律と切れ字は守られていることに注目。