人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Joy Division:Chapter2

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ジョイ・ディヴィジョンは78年5月に大手RCAレコード社に11曲のデモテープを売り込む(前回掲載CD収録)。バンドのリーダーシップはすでにヴォーカルのイアン・カーティスにあり、RCAはイアンの憧れであるルー・リードイギー・ポップとデイヴッド・ボウイの所属会社だった。だが同社からのデビューは却下され、バンドは地元マンチェスターの新興インディーズであるファクトリーに見出だされることになる。同社は社長一名、プロデューサー兼エンジニアが一名、そして専属デザイナーの計三人だけで切りもりしている零細レコード会社だったが、それだけに社運を少数精鋭の所属アーティストに賭けていた。79年4月に録音され5月に発売されたファースト・アルバム「アンノウン・プレジャー」(画像1はCD、画像3はLP)はジャケット、サウンド共に衝撃的作品として絶賛を浴びた。冒頭の一曲がこれ。
[Joy Division-Disorder]
http://m.youtube.com/watch?v=9ryJB-FF_Jg&hl=ja&gl=JP&guid=ON&client=mv-google

メンバーはまだ専業ミュージシャンではなく、イアンは市の福祉課の障害者雇用担当の公務員職にあった。次の曲は雇用が決定した直後に急死した癲癇の少女をモデルに書かれた。79年9月15日のテレビ出演より。この時点では同年末前後からイアン自身が癲癇を発症するとは予測しえないことだった。
[Joy Division-She's Lost Control]
http://m.youtube.com/watch?v=QVc29bYIvCM&gl=JP&hl=ja&guid=ON&client=mv-google

同年末には次のアルバムへの曲づくりが始まる。次の曲は79年秋にスタジオ録音され即ライヴの定番オープニング曲になったが発表は81年10月発売の拾遺アルバム「スティル」(画像2)に持ち越された。ライヴ動画でご紹介する。
[Joy Division-Dead Souls]
http://m.youtube.com/watch?v=KKe-lq8VZFo&hl=ja&client=mv-google&gl=JP&guid=ON

(続く)