建国記念日ったって戦前は「新嘗祭」だったんですよね、皇紀2600年とか言っていた時代の。出典はたしか「古事記」(「日本書記」ではなく)だから、世界の大半の国のように建国宣言や独立宣言があるわけではなくて、ただの言い伝えにすぎません。万世一系の天皇家の承認がこの日付だった、という伝説です。伝説を記念行事にするのはどこの国でもありますが、「建国記念日」というのは通常伝説を起源にはしない。他国に対する明確な独立国家としての主張が根拠になっているのが普通です。だが日本の建国記念日にはそのような主張は込められていない。あってもなくてもいいような記念日でしかなくなっている。新嘗祭と呼ばれていた頃に担っていた政治的意味はすでに形骸化している。
それでも敗戦後になお建国記念日と名前を変えて残っているのは不思議な現象ですが、もはやナショナリズムを鼓舞する何の力もないくらい「皇紀」という概念は風化しているから、だれも皇紀→新嘗祭→建国記念日という関連を気にしないわけで、当時の皇太子夫妻(現天皇)が民衆の吊し上げによって斬首され「スッテンコロコロ」と首が転がるという深沢七郎の奇想小説『風流夢譚』(出版社社長宅にテロ襲撃が行われ、メイドが刺殺されるという事件に発展し、現在に至るまで未書籍化。大江健三郎の『政治少年死す』も同様)の時代とは世間の意識も大きく変わりました。前記の未単行本化作品も筆者は県の中央図書館まで出向いて学生時代に掲載誌のバックナンバーで読みましたが、前者は安保反対運動が民衆のクーデターにまで発展したら、という着想で、後者は現実の未成年テロリスト事件(獄中自殺に至る)をモデルに、一人の少年がいかにして極右テロリストになるかを内面から描いた『セヴンティーン』(こちらは刊行)の完結編で、本来は前後編合わせて一作になるものです。傑作とまで言えるかは保留しても、『風流夢譚』と『政治少年死す』は当時の日本文化のタブーを示す指標になります。筆者の私見では作者が全力を投入した力作と見ます。
これらが堂々と公刊されるまで、閣僚の靖国参拝もなければ元日本の植民地国との平等な関係回復、北方領土問題の解決まで日本の文化は閉塞的であると見倣すしかないでしょう。『風流夢譚』は「中央公論」1960年12月号、また『政治少年死す』は「文学界」1961年2月号発表です。